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秋の訪れと、エンジンの替え時。

 感情の移り変わりとは、季節や天候の移り変わりと似ているもので、希望に満ちた朝を迎えたと思えば、1日の終わりに希望のかけらも見出せない事もある。まるで「さっきまで、晴れてたのにね」なんていう雑談の定番テーマのようなもの。一方で「あれ、なんだか肌寒くなってきましたね」なんていう季節の移り変わりのように、段々と気持ちに変化が訪れる事もある。そんな今日も秋の訪れを感じさせるような肌寒さで、洋服選びに苦戦しているわけですが、ここ1ヶ月曇り気味だった僕の気持ちが、秋の訪れとともに、快晴に向かう気づきがあったので、お天気雨のようにひどい天気になる前に、明日の僕がどう思うかは知らないけど、書いておきます。

気持ちに名付け親が現れない。

 1ヶ月と少し前から、少し気持ちが晴れない日々が続いていて、胸の周りに靄がかかって、酸素を吸い込んでも、吸い込んでも、なんだか少し息苦しいような感覚が続いていました。と思えば、喉の奥に固体ではない何かが詰まって、言葉が詰まるような感覚があったりなど、不安定な状況でした。なんとか持ち直そうと色々試したましたが、不安定なものを安定させようとすることは、かえって僕を疲弊させました。さらに、その感情が何から生み出されているのか、それは不安なのか、悲しみなのか、怒りなのか分からない事が、より僕を苦しめていて、待てど、待てどこの感情の名付け親が現れることはありませんでした。

非合理の先に、合理的な答えを探すが。

 こんな経験は初めてではなく、こういう時はひたすらにジャーナリングをするようにしていました。名付け親の現れない感情は、毎日姿を変えて僕の目の前に現れるようになり、ジャーナリングで頭から追い出しては、その時なりの答えを出すも、翌日にはケロッとしてまた姿を変えて現れてきました。この消耗線の中で導き出した気づきもあったものの、精神的な疲労は、体にまで影響を与えるようになりました。

トンネルの終わりは、突然に。

今日も相変わらず様々な感情を手懐ける事も出来ずに、帰路に立ったわけですが、ふとトレーナー時代の恩師に言われた一言が頭をよぎりました。

健太の今のエンジンじゃ、ここでやっていけないよ。

この言葉は、当時日本一のアメリカンフットボールチームでトレーナーをやってきた時に、後輩もいる中で社長に言われた一言でした。ひどく悩んでいた訳でもなく、むしろ割とうまくやっていけてると思っていた時に、不意に言われた一言で、今思えばどこかテングになっていたタイミングでの言葉だったので、ひどく堪えたのを覚えてます。

そんな事を思い出していた時に頭の中で「今もそうなのかも?」と思えた時、靄のかかった胸がいつの間にか晴れてる事に気付きました。

秋の訪れと、エンジンの替え時。

 今思えばここ1ヶ月とちょっと前まで、社会人生活の中でも最も忙しく過ごしていたように思えます。今まで培った経験をフルに動員し、向き合った先に訪れた、僕には長すぎる1ヶ月とちょっと。きっと僕が今持てる手持ちの武器を使い果たしたタイミングだったんだと思います。

手持ちの弾がなくなり、それでもその状態でやりくりしようとしていた事で、僕の胸には靄がかかり、苦しい日々が続いていたんでしょう。

きっと今の僕のエンジンでは、今のステージではやっていけないんだと気づけた事で、やるべき事がすごくシンプルに思えました。きっと今すべきは、愛着の湧いていたエンジンを手放す事。今のエンジンでは闘えない事に気づく事は、悲しいことでは無く、それはむしろ幸せなことで、次のステージに来れたのだととても前向きに捉えています。

さて、我が家ではタオルケットから、厚手の掛け布団に切り替わりました。明日の僕はどう思ってるか分からないけど、タオルケットと一緒に愛着の湧いたエンジンをしまって、眠りにつく事にします。

「最後まで読んでくれた」その事実だけで十分です。 また、是非覗きに来てくださいね。 ありがとうございます。