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【N03】青のはじまり #人生を変えた出逢い

皆さんは、初めて自分の意志で買った物は何ですか?

私は、毎週かじりついて見ていた大好きなテレビ番組の、大好きな音楽ユニットのCDです。お小遣いを握りしめて、発売日にCDショップへ向かったこと(楽しみにしすぎて前日から熱を出してしまい学校を休んだけれど、母に『絶対今日中に買うの』と涙ながらに訴え、病院と薬局へ行くついでに店へ連れて行ってもらったことまで)を、昨日のことのように覚えています。

手に入れたCDを夢中で聴きながら、私は母に訊ねました。

「私も歌手になりたい。どうやったらなれるの?」
「オーディションを受ければいいのよ」
「オーディションってどうやって受けるの?」
「東京に行けばいいのよ」
「東京ってどうやって行くの?」
「東京の大学へ行けばいいのよ」
「わかった!じゃあそうする!」

……この会話だけが理由ではありませんが、18歳になった私は東京の大学へ進学し、上京しました。

通学で渋谷駅を使うたび、「都会だ。すごい。こわい。たのしい。きれい」とキャッキャしていた私。ある日、エスカレーターで地上へ降りる途中で、一人の女性の歌声を耳にしました。

マークシティと渋谷駅を繋ぐ高架の下、キーボードを弾き語っているその女性は、ファンと思しき数人の男性に囲まれていました。

「こ、これが噂の『路上ミュージシャン』! さすが渋谷!」

私は感動しながら、いそいそと近寄っていきました。路上ミュージシャンに遭遇したのは初めてでした。女性の傍らにいたスーツ姿の人物が渡してくれたチラシで、歌っている人の名前は『宮崎奈穂子』だと知りました。

数曲演奏した後、彼女はキーボードを弾く手を止めて自己紹介をしました。大学生になってから活動を開始し、CDデビューして、路上で歌い始めたこと。「夢は武道館で歌うことです」と、綺麗な声で言いました。

「こ、これが噂の『夢を追う若者』! さすが渋谷!」

私は感動したので、すぐにCDを買いました。せっかくなので盤面にサインをしてもらい、調子に乗って握手もしていただきました。

それから月日は矢のように流れました。

色んなことがありました。

私は数々のオーディションに落ちながらも、オリジナル曲を作って、ピアノ弾き語りでライブ活動をするようになりました。東京にはすっかり慣れて、渋谷駅を歩くたびに感動することはなくなったし、路上ミュージシャンの演奏に足を止めることもなくなりました。

そんなある日、ローソンで買い物をしていたら、軽やかな音楽が聞こえてきました。キーボード主体のメロディは馴染みのないものだったけれど、ボーカルの女性の声には聴きおぼえがあるような気がしました

会計をしようとレジに向かった私は、そのモニターに映っている映像を見て驚愕しました。それは店内で流れている音楽とリンクしたMVで、歌っている女性の顔には見覚えがあり、画面の隅には『アーティスト/宮崎奈穂子』とクレジットされていました。

「こ、これは! あの場所で歌っていた人じゃん!!」

私は感動し、家に帰ってすぐに彼女の名前を検索しました。

すると、立派なHPができていて、『武道館での単独ライブ実施決定』と書いてありました。

「こ、これは! あの時言ってた夢を叶えてるじゃん!!」

私は彼女のブログやSNSを読み漁りました。彼女にも色々あって、色々がんばって、結果としてローソンの商品のタイアップ曲を歌っていたり、武道館ライブの実施が決定したりしたことを知りました。

私は猛烈に感動し、当時の自分のブログにその想いを綴りました。

すると、あろうことかご本人が読んでくださり、ご自身のブログで私の記事を取り上げてくださいました。畏れ多すぎて悲鳴をあげたこと、その日だけ私のブログのアクセス数が爆上げしたことが深く記憶に刻まれています。

もちろん私は、彼女の武道館公演を観に行きました。

これまでの人生で武道館へ行ったのは、その日、たった一回だけです。

どのように書いたらよいか、今も迷っているのですが。

宮崎さんの活動に救われた人がいれば、傷つけられた人もいると思います。彼女より歌の上手い人、音楽的に優れた楽曲を作っている人、強烈な個性を持っている人、成功した人、失敗した人、私が知らないだけできっと世の中にはいっぱいいると思います。

ただ、私にとってはかけがえのない出逢いでした。

彼女が武道館で歌う姿は素晴らしいものでした。すっかり存在を忘れていたのに、ローソンで歌を聴いて「この声は!」とピンときた自分は捨てたものじゃないと思います。最初に渋谷でCDを買った自分もグッジョブです。

私が人生初のCDを買ったユニットにとっても、日本武道館は聖地でした。だから彼女の武道館公演は、私にとってそれ以上の意味があって、万感の想いがありました。そこで全てを振り返って、人生が変わる気づきを得ました。

子どもの頃の私が歌手になりたいと思ったのは、あのCDの曲の歌詞やメロディの影響じゃない。もちろん、単純に歌うこと自体好きだったけれど、何よりも心惹かれたのは、テレビ番組を通じて描き出されたメンバーたちの人柄。音楽への愛。CD発売を目指して頑張る姿。彼らの物語のハッピーエンドとしてリリースされたCDだったから、どうしても手に入れたかった。

そして「私も、こんな物語の主人公になりたい」と思ったのでした。

紐解いてみれば簡単なことです。ずっと自分で自分のことが分かっていなくて、迷子でした。それでも私なりに真摯に生きてきたから、目の前の人や出来事と向き合ってきたから、今ここに綴った『物語』があります。

宮崎さんは、子どもの頃の私の夢のなかで最も大切だったひとつを、私の夢見た形に近い形で叶えてくれました。それを自分にとってもかけがえのない物語として得られたのは僥倖です。

彼女が今も歌っておられることは、何よりも嬉しいことです。

私も私の人生の主役として、真摯に、やりたいこと、できること、すべきことをしていきたい。

全てはHAPPYのために。


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