見出し画像

【R09:STORY】ウルトラスーパーエンターテイナーグループ・水戸コンドリア

MC.39MentoS(サンキューメントス)、MC.伊藤(イトゥー)、DJ.ダルシムによるHIP-HOP MUSICグループ・水戸(ミト)コンドリア。軽妙なラップを交えたアッパーチューンから心にしみるバラードまで歌いこなし、涙あり笑いありの独特なパフォーマンスでクラブシーンを賑わせてきた彼らは、20年春に結成15周年を迎える。その活動の軌跡と、今後への想いとは。

水戸から上京した夢見る青年と、ふたりの友人

茨城県出身の39MentoSは、「世界で有名になりたい」と思いながら日々サッカー、音楽に没頭して育った。「小学生のころには、自分が目立ちたがり屋ってことを自覚していましたね」。

popミュージックを中心に、ジャンルに捉われず幅広い音楽を聴いており、中学生になると、憧れの路上ライブデビュー。人の曲を歌う事ができなかったため、すぐさまオリジナル曲を作り、活動をしていた。

クラブへ通うようになったきっかけは、高校で知り合った友人がHIP-HOP好きだったこと。現在の39MentoSからは想像もできないが、当初はラップが苦手だった。

「全然ノレなかったんですよ。でも色んなクラブで同じ曲が流れてたから、通ううちにノレるようになっていって。だんだんラップが好きになりました」。

39MentoSは、大きな夢を抱いていた。「いずれ東京に出て、音楽でもなんでもやって成功しよう」。その足掛かりにと、神奈川県の大学へ進学した。

ところが、入学してすぐに恋人が出来た。「もうドストライクの女の子で、ぞっこんでしたね」。

恋愛に夢中になるうち、かつての野心は影を潜めた。音楽への情熱も色褪せ、たまに友人とカラオケへ行けば満足する程度になった。「このままずっと彼女と付き合って、普通に就職して、普通に結婚すればいいかなと思っていました」。

しかし大学3年生の冬、すれ違いの中で彼女に振られてしまう。青天の霹靂だった。

「ぽかーんとしちゃって。そこから『なんで俺は上京したかったのか』って、もう一度考えました」。

初心に返った39MentoSは、芸能系の専門学校にも通いはじめた。「やっぱり俺は芸能人になりたい、有名になりたいって、夢を思い出しましたね」。

ちょうどそのころに彼の大学の友人、39MentoSの言葉を借りれば「マイフレンズ全員HIP-HOP大好きメンバー」が、CLUB 24 YOKOHAMAでのイベントの開催を企画していた。

ソロステージの枠をもらった39MentoSは、仲のいい友人たちに「一緒に出演しないか」と声をかける。その友人たちが、伊藤とダルシムだった。

神奈川県出身の伊藤は、サッカー好きな少年だった。歌うことは大嫌いだったが、「中3の時にSOPHIA(ソフィア)というヴィジュアル系バンドが仲間内で流行ったんです。その曲を家で歌い込んでいたら、いつのまにか上達しました。それまでは『めちゃめちゃ音痴』って言われてたんですけどね」。

大学の同級生だった39MentoSとは、趣味が同じことから意気投合。よくふたりでカラオケに行く仲だった。

「僕は普通にJ-POPが好きで、HIP-HOPにはあまり興味がありませんでした。ラップを聴くようになったのは39MentoSの影響が大きいです。あのころ、ORANGE RANGEやケツメイシが流行っていたっていうのもありますね」と伊藤は語る。

「39MentoSとカラオケに行くのは本当に楽しくて。声質が合うというか、ハーモニーの相性がいいというか。他の人とはまったく違う震えがあって、ぶるぶるぶるって来るんですよ。言葉で表しにくいですが、最初から、ふたりにしかないものを感じてました」。

そんな伊藤は、カラオケ以外にも、フットサルを趣味にしていた。その遊び仲間の一人が、同じ八百屋でバイトをしていたダルシムだ。

ダルシムは、伊藤と同じく神奈川県出身で、幼いころからサッカーに親しんで育った。小学生のころにビートルズなどの洋楽にはまって以来、音楽を聴くことが好きになり、中学に入るとスケボーをしながらパンク等を聴いた。

高校生になると、ビースティ・ボーイズがきっかけでラップに興味を持ち、レゲエやHIP-HOPを好むようになった。クラブやライブハウスにも足を運んでおり、伊藤いわく「僕らのなかで、ダルが一番音楽に詳しかったですね。昔から色んな曲を聴いてて」。

カラオケ仲間だった伊藤と39MentoS。フットサルでよく遊んでいた伊藤とダルシム。伊藤を介して繋がった三人は、いつからか、常に一緒に遊ぶようになっていた。

「僕とダルは実家暮らしで、39MentoSだけ一人暮らしだったので、いつも彼の家に集まってました」と伊藤が言えば、「お金がないから発泡酒ばっかり飲んでました」とダルシムも懐かしむ。

「ほぼ毎日、三人でいましたよ。三日会わないと恥ずかしくなるレベルでしたね」。三人は顔を見合わせて、「あのころが一番楽しかった」と笑った。

エンターテイナーグループ・水戸コンドリアの結成

話は戻り、39Mentosから「みんなでライブに出よう」と誘われた伊藤とダルシムは、二つ返事で承諾した。2005年6月、4年生の梅雨のことだった。

「暇だったんですよ」と伊藤は振り返る。「僕はわりと真面目だったんで、早くから就活して内定を貰ってました。大学も、あとはゼミの単位を取れば卒業できる状態で、週一日行けばよかったんですよね」。

ダルシムも音楽好きであり、面白そうなことは断らない性分だったため、すんなりDJを引き受けた。

39MentoSが彼らに声をかけたのは、仲が良かったからだけではない。

「俺はラップも好きだけど、元々はPOPが好き。俺のやりたい音楽の感覚にピッタリ来たのが、伊藤とダルでした」。

そうして結成された三人のユニット名は『ギネスブック』だった。

名前の由来を訊ねると、39MentoSは誇らしげに胸を張った。「ギネスブックに載るレベルで、世界レベルの活動をしていこうって意気込みで名づけました。カッコいいでしょ?」。

一方、伊藤の表情は暗かった。「僕は嫌でしたね。カッコつけすぎでダサかった。生き恥レベルで嫌でした」。

若干の温度差を抱えたまま初ライブに臨んだ彼らだったが、結果は惨憺たるものだった。

「何一つウケなくて、スベリ倒しました。パフォーマンスとしても、マイクのコードが絡まって思うように動けなかったり、酷かったです。客席の前の方は、ぽっかり空席になっていました。ダンスのショウケースの直後だったってこともあったし、今なら『みんな前に来て』って煽れるけど、あのころはMCのノウハウもなかったので」。

悔しさを噛みしめながらの帰り道、「このままでは引き下がれない」と三人はリベンジを誓った。

「次のライブまでに本気で練習しよう。ユニット名も変えよう」。

『水戸コンドリア』という名前を考案したのは、39MentoSの仕事仲間だった。「おまえ水戸だし、水戸コンドリアでいいじゃん!」と笑いながら提案され、「いいんじゃない、と、しっくりきましたね」と39MentoSは語る。

伊藤は「前回の反省を生かして、とにかくダサいのがいいと思いました。ハードルを低く低く持って行こうと」。

ダルシムも「うちはやっぱり、39Mentosがメインキャラクターだから。彼のイメージに合ってると感じました」と頷いた。

それから練習を重ね、横浜の老舗クラブ・THE BRIDGE YOKOHAMAで迎えた二回目のステージ。彼らは見事にリベンジを果たした。「超ウケました。どの曲も大盛り上がりでしたよ」。

元々、三人は、このイベント限りのつもりでユニットを結成していた。しかし終演後、観客から「俺の企画にも出てよ」と声をかけられたことで、次のライブ出演が決定する。

ここから、彼らの快進撃が始まった。

横浜から渋谷へ進出、クラブシーンを席巻するも…

「名前に『水戸』がついているので、初めて出るクラブでも『君ら水戸から来たの?』って絡んでもらえることが多かったです。実際、水戸出身は39MentoSだけで、僕とダルシムは茨城県に行ったことすらなかったんですけど笑、それもMCのネタとしてウケました」。

伊藤の言葉に、ダルシムも同意する。「茨城出身の人ってこんなに多いんだ、と驚いたくらい、沢山声をかけてもらいました」。

また、クラブに出演するようなHIP-HOP系のグループはアルファベットの名前が多いため、漢字とカタカナのグループ名は非常に目立った。「この名前だから、覚えてもらいやすかったかもしれませんね」。

彼らの楽曲も独特だった。メロディの作曲や作詞は39MentoSと伊藤が共作していたが、当初はオリジナルトラックが無く、既存曲のカラオケを使用していた。SEAMO with BENNIE Kの『a love story』のカラオケを使い、『21世紀』という曲を歌ったときは、とりわけ反響が大きかった。

「発売されたばかりの曲の音源、それもカラオケ店で録音してきたようなトラックを使う人はいなかったんですよ。クラブにおける暗黙の了解だったんです。周りから『あいつらやべぇぞ』と言われましたね」。

三人ともクラブシーンに詳しくなかったことが、常識のギリギリを攻めるスタイルになり、逆に面白がられる一因となった。

「当時、レコードの裏面を使って、海外のHIP-HOPのトラックでラップしている人は大勢いました。それと何が違うねんという気持ちはありました」とダルシムは語る。

周囲に大きなインパクトを与えた『21世紀』は、楽しかった恋の思い出を綴ったメロウなナンバーだ。「他の曲はふざけてるけど、この曲だけはちゃんと歌うっていうギャップもウケたようです。一気に評判が広がりました」。

結成から半年、とんとん拍子にライブが決まり続け、呼ばれるがままに茅ヶ崎や藤沢、横浜などのクラブへ出演するようになった。そんな06年春、三人は大学を卒業した。

伊藤は一般企業へ就職。ダルシムはアパレル業界で働きはじめた。39MentoSは、学生時代にバイト先の先輩とともに開業したカフェバーの経営に従事していた。

「開業と水戸コンドリア結成はほぼ同時でしたね。音楽以外にやりたいことはなかったけど、自分で店をやるっていうのは面白そうだなと思って」。

全員が社会人となっても、水戸コンドリアの活動は続いた。

「週三でクラブに出てた時期もあります。朝までステージに立って、会社の床で寝たりしていました」。聞いているだけで目が回るような生活だが、充実していたと伊藤は言う。

「mixiで『水戸コンドリア』を検索したら、自分の作った曲を褒めてくれている人がいたんです。『これまでアーティストを良いと思ったことなかったけど、初めてファンになりました』と。自分が『社会の歯車』になっていない感じがあって、その喜びがモチベーションになっていました」。

画像2

08年から10年ごろにかけて、三人の活動範囲は大きく広がっていった。横浜を飛び出し、渋谷VUENOSやClub Asia、六本木Morphといった有名店へ出演。観客が1000人以上集まるようなイベントも経験した。

「深夜から朝まで新宿のクラブに出た後、渋谷のクラブの昼イベントに続けて出たりもしてました。めちゃ楽しかった」。

当時、渋谷で高い人気を誇っていたラップグループ・TSKや、USENインディーズチャートで1位も獲得したクラブ系グループ・TERNIVAL SENSE(ターニバルセンス)の主催イベントに呼ばれることもあった。

「いま活躍してる平井大くんやC&Kとか、俺ら以外全員プロっていうなかで、とんでもなくレベルの高いところでやらせてもらいましたね。それでも自分たちのスタイルを貫いていました」。

伊藤は、結成4年目ごろに横浜BRIDGEで俺達水戸コンドリアが主催したイベントが最も印象に残っているという。「両親も呼んで派手にやりました」。

だが、三人の音楽活動に対するスタンスはバラバラだった。

プロになって有名になりたい39MentoS。面白いからやっているだけの伊藤。ダルシムは「39MentoSと伊藤に合わせているのが楽しかったんで、それだけだったかな」。

そして歳月を重ねるごとに、彼らをとりまく環境は変化していった。

アパレル業界に勤めるダルシムは、職場内での立場が上がるにつれ、土日のイベントに出られる回数が減っていった。

「ダルは『はぐれメタル』のような人、会えたらラッキー、と紹介するようになりました。何でもポジティブにとらえないとね」と39MentoSは笑う。

07年には、39MentoSの経営していたカフェバーが閉店した。「飲食店の運営は楽しかったんですが、3年契約で、赤字ではなかったんですが、経済状態がヤバくて、やむを得ず廃業しました」。

それでもしばらくの間、音楽活動が最優先の生活は変わらなかった。「バイトや派遣で繋いでました。建築現場でも何でも、寝ずに働いてましたね」。

しかし、親しくしていた音楽仲間の活動休止などをきっかけに、水戸コンドリアとしてライブへ出演する回数が減少。伸び悩みを感じるようになった。

「ちょうどバイト先の企業で気に入ってもらったこともあって、正社員になりました。そこらへんから、ちょっとずつ大人になってきたのかな」。自分を省みる39MentoSに、ダルシムも「落ち着いたよね」と同意する。

伊藤は「僕の感覚ですけど、39MentoSが就職したあたりから、三人のモチベーションがまとまってきたと思います」と語る。

「絶対プロになりたいってよりは、好きな音楽を好きなだけ長く続けようというスタンスに変化してきたかなって。今の時代、副業で音楽をやったっていい。根詰めて嫌になってやめるより、とにかく続けていきたいってマインドに揃っていったんじゃないかな」。

『水戸の日』に託す想い

12年ごろに39MentoSは物流業界へ就職し、伊藤とダルシムもそれぞれ転職や結婚を経験。音楽活動どころか、三人で集まる機会も減っていった。

「でも、結成10周年が近づいてきて、『何か形にしたい』と思って。曲は結構作ってたから、このまま何も出さないでいるのはもったいないな、と」。

音楽仲間の紹介で知り合った作編曲家・Carlos K.(カルロス・ケー)氏の協力を得て、16年3月10日に1st Album『310の日』をiTunes他でリリース。反響は大きく、すぐさまiTunesのHIP-HOPチャートにて第4位を叩き出した。 

「16年までは『水戸の日』なんて気にしたこともなかったけど、こうしてみると、やっぱり水戸コンドリアって名前でよかったですね。それぞれ忙しくなっちゃったけど、この日だけは何かしようぜ、と一致団結できました」。

以降、彼らは毎年3月10日に楽曲を配信し続けている。

「普段は全く会えないですからね」とぼやく伊藤。「ライブの前に二回練習したら、自分たちでも『めっちゃクオリティ上がった』って思うくらい。普段どんだけ練習してないんだよって感じですけど。そもそもライブしなくなっちゃってるから」。

現在は家も遠く離れ、LINEの連絡すら密ではない。それでもなんとか15年続けてこられたことが不思議だと三人は言う。

「解散しよう、という話が出たことは無いんですよ」。

今後の目標を訊いたところ「夏らしい歌を作りたい」「YouTubeでも世界レベルでバズって、新作曲で1億再生くらい行きたい」など色んな話が飛び出した。

最終的に、39MentoSが「水戸コンドリアについては、とにかく俺が頑張らなきゃいけません」と力強く語った。

「若いころみたいに、『何でもいいから有名になりたい』っていうのとは違うんです。これまでやってきたことや人との縁、それらが繋がった結果として『世間に評価されたい』って想いがあります。まだまだここから。新しいネタも出していきますよ」。

伊藤はその言葉を聞き、「僕は元々安定志向で、人前に出るのも嫌いで、39MentoSに引っ張られてここまで来ました」と答えた。

「たぶん、彼が音楽を辞めたら僕も辞めます。39MentoSの才能を一番信じてるし、一番のファンです」。

ダルシムも「39MentoSのことを『出会ったころは面白かったけど飽きた』って言う人もいるけど、全然分かっていませんね。彼は飽きてからが本番です」と笑う。

「俺たちは15年前に飽きている、そこからが面白いんですよ」。

伊藤とダルシムは、口々に39MentoSのことを語った。

「ネタはもう尽きているんですよね。過去のフリースタイルバトルでのネタとか、学生時代の合コンでのコールとか、俺らからしたら使い古したネタを延々と繰り返してるだけ。でも、なんとか絞り出しているのが分かって、その絞り出す作業すら面白い」。

「年々衰えてきているところも面白い。それを認めようとしない健気さも面白い」。「たとえば酒なんか、明らかに飲めなくなってきて、途中からコーラになってるけど、それも面白い」。

「もう一般人レベルなのに、無理して『俺はみんなよりテンション高い』と言い張ってるのも面白い」。「初めて会った人に『俺みたいなやつに会ったことないだろ?』と言いたがるのも面白い」。

「一生懸命盛り上げようとしている姿も可愛い」。「15年間、変わらず頑張っているところには勇気さえもらえる」。

取材の終盤には、もはや話題の中心は音楽を離れ、39MentoSの恋バナになっていた。

「結婚願望はめちゃくちゃあります。理想の結婚式っていうか1.5次会は、多摩川緑地でのバーベキューですね」と、笑いながら熱弁を振う39MentoS。

伊藤は「実体験を基にして曲を作ってるんで、早く39MentoSがゴールインしてくれないと、ハッピーなラヴソングが書けない。失恋の歌ばっかり」と嘆く。

ダルシムは「純粋に幸せになっていただきたいです」と切実に語った。

画像2

彼らに『水戸コンドリアのコンセプト』を訊ねると、「誰よりも自分たちが楽しむこと。自分たちが楽しいステージは、誰が見ても絶対に面白い」と断言してくれた。

たしかに編者は、彼らのステージを見た時、曇りない笑いと感動に包まれた。その日は機材関係でトラブルがあったり、ダルシムが不在であったり、彼らにとってベストな状態でなかったことは明白だった。

しかし、ステージ上の彼らは実に楽しそうだった。トラブルすら面白がっている様子が伝わってきた。

ラップや歌の技術だけでなく、人柄も含めた39MentoSのカリスマ性は魅力的だ。しかし今回の取材を通じて、それは誰よりも彼を理解し、支え続ける伊藤とダルシムがいてこそ発揮されていることが分かった。

SNSや動画配信の技術が発達し、一般人でも、ちょっとしたきっかけで大きなムーブメントを起こせる時代になった。

彼らの類まれなる友情は間違いなく世界レベルであるからこそ、そのエンターテイメントで多くの人を幸せにしてほしいと思った。

text:Momiji

INFORMATION

2016年3月10日 水戸コンドリア 『〜310の日〜』をリリース!!! 「村一気」がスーパーヒット!!! iTunes HIP-HOP chart第4位を叩きだす!!!

2017年3月10日 『人間』fest.黄楊ザMyWayをリリース!!!黄楊ザMyWayのデスボイスが世界に炸裂!!! iTunes HIP-HOP chart第3位を叩きだす!!!

2018年3月10日 『東京クラシック』feat.zukijima、うーちゃん、黄楊ザMyWayでリリース!!! iTunes HIP-HOP chart第22位を叩きだす!!

2019年3月10日 『町のつくり』をリリース!!!iTunes HIP-HOP chart第4位を叩きだす!!

関連記事


お読みいただき、ありがとうございます。皆さまからのご支援は、新たな「好き」探しに役立て、各地のアーティストさんへ還元してまいります!