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冬眠していた春の夢 第21話 時が止まった部屋

 病院を出ると、外はもう暗くなっていた。
 ラーメンを食べて帰ろうと父が言うから、食欲はなかったけど、黙って付き合った。
 中華料理屋に行くと、父は昔から必ずチャーシュー麺を頼む。
 私は普通のラーメンにした。
 2人で黙ってラーメンをすすった。
 昔から父は、何があっても、どんな時も、ちゃんとご飯を食べる人だ。
 そんな時は必ず「腹が減っては戦(いくさ)はできぬ」と言っていた。
 戦(いくさ)ってなんだ?何と戦うんだ?って、いつも思っていた。
 でも、今は、ちょっとだけその意味がわかるような気がした。
 これから待ち構えているものを受け止めるには、体力がいる気がした。

 家に帰ると、母が小走りで玄関まで迎えに出て来た。
 そして泣いたであろう赤い目で、しっかりと私を見て、「おかえり、美月」と言って、私を抱きしめた。
 突然のことに、嬉しいよりも戸惑いの方が大きかった。
 10年ぶりに戻ってきた時、私は心からこれを望んでいた。
 でもあの時は、笑顔ではあったけど、母は目も合わせてくれなかった。

 家に上がると母は黙って私を母の部屋に導いた。
 開かずの扉が開く。
 目を疑った。
 そこは、母の部屋と言うよりも、小学生の男の子の部屋だった。
 古い学習机、くたびれたランドセル。
 本棚には『スラムダンク』や『ドラゴンボール』などの、私も持ってる漫画がズラリと並んでいる。
 そして、学習机の上には、いくつかのフォトフレームがあり、夢の中に出てくる1人の少年が笑っている。隣に幼い私が写っているものもあった。
 そして壁に飾られた古い賞状の名前は、成瀬春馬。

 「今日、お隣だった恵子さんと話したでしょう?美月が3歳の時、何かで全身に湿疹ができて、お医者さんに行っても治らなくて、恵子さんの紹介で横須賀の神子さんのところでお祓いをしてもらったの。そうしたら、翌朝に湿疹はきれいに治っていたんだけど、不思議な事に、記憶も失くしていたの」
 母は私をベットに座らせながらそう話した。
 父は学習机の椅子に座った。
 …記憶をなくした…?

 「美月には、5歳年上の春馬というお兄ちゃんがいたの。でも…春馬は、神社の裏山で友達と遊んでいる時に、突然の集中豪雨で土砂崩れがおきて、行方不明になってしまったの」
 …行方不明…?
 でも、叔父さんは死んだって…。
 私はそう思ったけど、口には出さなかった。

 「春馬のことが大好きだった名古屋の明雄もこっちへ来て、一緒になって探したんだけどね、でも全然見つからなくて…。感情のやり場をなくした明雄は、まだたった3歳の美月に八つ当たりするし、お父さんもお母さんも春馬を探すことに必死だったから、あなたをおじいちゃん達のところへ預けることにしたの」
 私は、ふと父の方を見た。
 父は黙って頷いた。

 「美月は記憶を失くしていたから、春馬のことはしばらく黙っていようって、みんなで決めたの。自然に思い出したのならちゃんと話そうと思ったけど、美月は3歳までの事はすっかり忘れていたから、動揺させないように、美月が高校生になるくらいまでは、そのままにしておこうって…」
 「…でも…名古屋の叔父さんが、お前のせいで死んだって…」
 「そんな事ない!」
 私の言葉を打ち消すように、父と母の言葉が力強くシンクロした。

 「美月のせいじゃない…。私が…私が…。私のせいなの…」
 母の目から、洪水のように涙が溢れ出した。


 第22話に続く。

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