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僕のnoteでの付き合い方

寝た子を起こし太郎こと、
now here manこと、
ぷる兄こと、
鮭こと、
N.O.T.Eさんが「noteの交流で僕が心がけているいくつかのこと」を書かれていました。


あまりnoteを書いてない僕なんかが書くのもアレですが、noteの向き合い方というか、ストレスなく楽しくnoteを続ける僕なりの方法みたいなものを書いてみます。


僕は「noteをやめたい」と思ったことは一度もありません。
というか、読みたいとき書きたいときだけnoteを開いて、気分が乗らなければnoteを開かなければ良いだけです。

もしずっと気分が乗らずnoteを開かない状態が1年続こうが2年続こうが、別にnote をやめる必要はありません。
3年後にふと書きたくなるかもしれませんし。

「noteをやめたい」や「noteが辛くなってきた」というのは、だいたい人間関係だと思います。
アドラーも「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と言い切っていますし。

noteにおける僕の人付き合いの考え方を書いてみますが、
「こうすべき」とか「これが正解」という気持ちは全くなくて、むしろ考え方は千差万別なので、人間関係のトラブルや軋轢は避けられる完璧な方法はないとすら思っています。

そういうものでしょう。
色んな人がいるわけですからね。

▼ 気軽にフォローしない

フォローされたらフォローバック、というのは僕はしません。
「たくさんフォローするとタイムラインがゴチャつく」というのもありますが、「フォローを外す」ということに嫌悪感を抱く人が思いのほか多いからです。
(これ、僕には理解できません)

ちょっとでも記事やコメントに違和感を感じたら、フォローされていて何度かコメントをくれて他のフォロワーさんたちとも交流があるような方であっても、フォローしていません。

一度フォローしてしまうと「うーん…やっぱ関わらないようにしよう」と思った時にフォローを外すというアクションが必要になるからです。
(別に全然外していいと思うんですけどね。なぜか不快に思われたりするのも嫌なので。)

まぁ、フォローした後にやっぱりフォローを外すということもありましたが、幸いそれでクレームを受けたことはありません。

▼ きちんとブロックする

意外かもしれませんが、僕はたぶん10名前後の方をブロックしています。

ブロックすると、僕の記事にスキできない・コメントできない・有料記事を買えないなどの制約を設けることができます。

基準を設けているわけではありませんが、
・距離感が合わない
・特定の人物への配慮にかける内容
・読解力がなく文脈や行間を読めない
・他の方とトラブルを起こしている
などはブロックするかなぁという感じです。

ブロックは通知はいかないようですが、僕にリアクションできなくなるため、相手には悟られる可能性があると思います。
なので、嫌悪感を抱かれるかもしれないと覚悟する必要があります。

一部の人には少し嫌われるかもしれませんが、
僕は自分の時間と自分の好きな方々との関係を大切にしたいので、
早めにブロックしたほうが良いと思っています。

ブロックする時の注意点としては、
絶対にブロックした方のコメント等にリアクションしないということです。
自分はブロックしているのに、相手にリアクションして、相手がリアクションを返そうとしたら出来ない…とか、煽り以外の何でもありませんからね。
ブロックした人の記事を読みにいくことはありませんが、誰かのコメント欄でブロックした方を見かけることはありますので、そこは注意が必要です。

ちなみにブロックは「嫌い」ではないと僕は思っています。
真意が伝わらない可能性があるWebという場所だからこそ、関係の構築には細心の注意をしているだけです。

あなたはリアルで「今の話を聞いてましたが、いいですね!」と声を掛けられた人を無条件で受け入れますか?
まずはどういう人かを観察して、お付き合い出来ないと判断したら距離をとるはずです。

不要な営業電話は着信拒否するでしょう。
(しませんか?僕は即着拒します)
営業の方も仕事なので、その方が悪いわけじゃありませんが、僕の時間を守るために真っ当なアクションだと思っています。
結果として相手も無駄な時間を掛けなくて済むわけですから、お互いに良いと思います。

noteは開かれた公共のスペースであり、
・フォローする(近づく)
・フォローしない(そのまま)
・ブロックする(距離をとる)
しかないのですから、距離を取りたい場合のブロックは真っ当なアクションだと思っています。

ユーザー想いのnote運営さんが、わざわざブロックという選択肢を作っているのですから、「ブロック=悪いこと」みたいな認識は僕はしません。

先にブロックしてちょっと嫌われる勇気を持てた方が、結果として優しいと思っています。

▼ フォローを確認しない

noteを初めた当初はフォロワー数の増減を気にしていたこともありますが、少なくともここ1年以上は自分のフォロワーさんが増えたのか減ったのかも分かりません。

フォロー、フォロワーの確認をしないようにしています。
(というか全く気になりません)

「フォローを外された!」という謎の嫌悪感を抱く人は
①フォローされているかを無駄に確認している
②フォローは誰のものか履き違えている
③フォローされないことはダメだと思っている
という少なくとも3段階以上の勘違いをしていると思うのですが、そもそもフォローされているかどうかを見なければ、勘違いのしようがありません。

自分の記事が飽きられたり、
なんか違うなーと思われたり、
何か気に障ってブロックされたりすることも、
そりゃあるでしょうよ。
そんな完璧なnoteを目指して書いてません。

フォローが外れていても、確認しなければ自分には分かりません。
もしかしたら僕が親しく思っているつもりの人から実はフォローされていないかもしれませんが、別に何も問題ありません。僕が知らないので。

結論

N.O.T.Eさんの記事にコメントしましたが、
誰かに少し嫌われることすら恐れているくせに、自分は誰とでも仲良く優しくできるという傲慢さが他人と自分を深く傷つける。と思っています。

ゆうゆうさんみたく、異なる意見や昂る感情の中から発見や面白みを見出せるならともかく、僕みたいにヘラヘラと楽しい余暇を過ごしたいという方は、一部から多少嫌われてでも自分の時間と好きな人との関係を守ったほうが良いんじゃないかなぁと思います。

繰り返しになりますが、あくまで僕のスタンスなので、それぞれが心地よくnoteを楽しめればそれが一番ですね。




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