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世間を知らない未成年時代の体験から〜約20年後に憎悪を生ませた人物の末路(実話のネガティブ記事)音楽やレコードとは関係ありません・・・

あることで思い出したため、書いてみたら・・・
ネガティブな記事になり・・・ 
数日迷った上で、投稿してみようと思いました(苦笑)

実話ですが、良い話ではないので、
気分を悪くさせるかも知れません・・・ 
 

「ブラック・バイト」に当たり、大人の悪意を知らない
未成年時代の体験、そして・・・

深夜のテレビ放送でやっている外国映画を録画するための「ビデオデッキ」が欲しくて、高校1年生の夏休みにアルバイトをさせてもらいました。
1980年代中頃の話です。

まだ未成年なので、確か高校の許可が必要な関係だったと記憶してますが、当時父親が勤務していた会社の工場へ頼んでさせていただくことになり、
会社の人事は私を「手吹き(人間の手で吹き付け塗装をする意味)」という部署へ配属しました。
その部署の長であるO課長と、Uさん(共に頭文字)が、隣接する小部屋で小物の部品などに塗料を吹き付け、それが何時間かかけて、長いベルト・コンベアでぐるりと回り、6人のパート女性のいる場所へ巡ってきます。
そして、これらの小物を網に並べたり、ケースに梱包して行く訳ですが、そのパート女性達のいる場所でのアルバイトでした。

6人のパートの女性達は、私の母親より少し若い方(Aさん)以外、
母親よりも年齢が上に見える方達でした。表面上は大人のコミュニケーションなものの、3人ずつのグループで対立しているのをすぐに感じました・・・と申しますのも、そこには悪いオバサン3人組がいたんです。
職場にいるのに自分の都合しか考えない言動、面等向かって平気で悪口を言う、ミスをさせるような事を言い・・・そして嘲笑う。
また厄介なことに、オバサン3人組のリーダーは、O課長と親密のようでした。何も知らず、新入りで入って来た私も、いきなり彼女らの標的になり、ここに書くまでもなく、嫌な目に遭いました。でも、UさんとAさんがいてくれたことが、救いでもあったのです。

悪い3人組のオバサン含む、6人のパート女性達は、定時の17時30分から19時の間、それぞれの都合の時間で、いなくなります。
悪い3人組のオバサンのリーダーは、いつも19時に退社するのですが、毎日タイムカードを押す前の15分位前に、必ずO課長(当時50歳代後半)の元に行き、私達の悪口を有る事無い事、色々告げ口して帰る(私達に声は聞こえていないので、後に知ることになる)のです。

O課長の横で仕事をしているUさん(当時35歳位)は、それを聞いていないふりして、黙って聞いているのです。アルバイトを始めて翌日だったか、Uさんが来て「磯崎くんも悪く言われているから、彼女らには気をつけて」と、耳打ちをしました。そう言われても、どう気をつけるの?・・・

本来、私は午後1時から定時までの約束でしたが、2日目から悪いオバサン達が勝手に朝からフルタイムで働くように(磯崎がそう希望していたと人事に勝手に言ったらしい)してしまい、O課長からは、朝から来るように「命令」されたのです・・・ 
「えっ? 勤務時間は初めに約束してありますが・・・」と言う私に、
O課長は「とにかく朝から来ればいいんだよっ!」と怒鳴り・・・・ 

会社には自転車で来ていたため、お昼は一旦家に帰り、食べてから、また職場に向かいました。お昼休みは、12時ちょうどから12時45分までで、職場に戻ってからは、休み時間がないのです。立ちっぱなし。
17時30分の定時を過ぎるころ、お腹も空くのに帰してくれず、O課長からは「(自分たちが退社する)23時過ぎまで、やっていけよっ!」と、何度も怒鳴りました。悪いオバサン3人組は、私が怒鳴られる度に、横でクスクス笑います。
その日から毎日、Aさんは退社する時に「お腹が空いたら飲んで・・・」と、ブリック・パック(1個60円)を2つ買い、私に手渡ししてくれていました。ちなみに私の時給は500円です・・・
Aさんの時給も、多分520円か530円程度だったと・・・

悪いオバサン3人組のリーダーが、O課長に何か散々言って、いなくなるのは19時過ぎ。少し経ち、ひとりポツンと残って作業をしている私の元に、隣接する部屋のUさんがやって来て、「これは急ぎの仕事じゃないから、ゆっくり座って、やってていいよ。」と言って、パイプ椅子を持って来てくれて、Aさんが置いていってくれたジュースを見て「飲みながらでもいいから。誰もいないし。」と言って去って行くと、
入れ替わりにO課長が、ラーメンのどんぶりを持ちながらやって来て、ラーメンをすすりながら「何勝手に座って仕事してんだよっ!」「のんびりやってんじゃねーよっ!!」「仕事しながらジュースなんか飲むなよ!」などと、私の前方に立ち、ラーメンを食べながら、立て続けに怒鳴り散らしました。

Uさんが慌ててやって来て、自分がそう言ったんだとO課長に説明しても、O課長は同じ文言を繰り返したので、私は椅子もジュースも片付けて、立って仕事をしました。それでもO課長は、ずっと私に文句を言いながら、ラーメンをすすり、目の前に立っていました。

醤油ラーメンのいい匂いが漂い・・・
あぁ、もうお腹が空いて帰りたい・・・・。

O課長達の夜の食事休憩も終わり、O課長はまた作業場に。でも私はずっと立ったまま作業をしています。
Uさんには「もうお腹も空いて辛いし、21時には帰して欲しい」と何度も頼んでいますが、O課長は不満で、仕事しながらも、Uさんと私への文句をずっと、つぶやいていました。
21時になって、Uさんが声をかけてくれたのに、O課長は「まだやっていけっ!!」と、文句を言うも、半ば、私も強行で帰る行動に出ました。
タイムカードを21時過ぎに押し、(Uさんからは、必ずO課長に挨拶をしてから帰るようにと言われていたので)O課長に退社の挨拶に行くと、O課長はその辺に転がっている(梱包で使った)「新聞紙を片付けてから帰れ」と言うので、畳んで片付け始めると、O課長は、次々と新聞紙を奥から持って来ては、私の目の前に放るのでした。いつまで経っても帰れない・・・・
早く帰りたくて、慌てて片付けても、そのそばから新聞紙が放り投げられ・・・
見かねたUさんが、私に「もう帰っていいよ」と、わざとO課長の目の前で言ってくれて、帰る・・・

実は(19時過ぎにUさんが椅子を持って来てくれた件だけを除き)、
上記と殆ど同じことが、8月の終わり(私が辞める時)まで、
毎日繰り返され、続いたんです(苦笑)

18時30分過ぎになると、Aさんが帰り際にブリック・パック2個を買って来て私に手渡ししてくれて、
19時前に、悪いオバサン3人組のリーダーがO課長に悪口を言いに行き、19時過ぎになると、O課長は夜の食事(ラーメン、お蕎麦、うどん他、どんぶりもの)を手に、私の前方にやって来ては「お前は、ずっとゆっくり仕事をしてんだって?」「仕事中に何度もトイレに行って、なかなか帰って来ないんだって?」等々・・・言いがかりみたいな、
きっと悪いオバサンが言い残していったんであろう、大げさな通報?を真に受けて、暴言放題。
するとUさんが出てきて「まぁまぁ・・・」みたいにO課長をなだめ、奥に連れて行き、私はその隙にAさんに買ってもらったブリック・パック2個を飲んで空腹を満たし・・・ 
21時になるとUさんが「タイムカード押して来ていいよ!」と言い、タイムカードを押して来てO課長の所に退社の挨拶に行くと、また新聞紙が放り投げられ、畳んで・・・の繰り返し。
Uさんが「そのままにして、もう帰っていいよ!」と、奥から大声で言い、やっと帰れる・・・・ 
毎日、15分から30位のサービス残業になったでしょうか。

しかも、このO課長は、私の知らない内に、(隣の建物で仕事をしている)父親のところに何度か行って、私があまり残業せずに、すぐに帰ってしまうと苦情も言っていたらしく、父親は「本人と話をして」と取り合わなかったそうなのですが、父親は私に対しても「自分で対処しろ」と言うだけで、放置でした(笑)
後になって考えれば、会社は未成年者の私に対して、いくつもの法律を犯していた訳です。でも、私自身も無知、未熟であったことの経験でした。
(経緯を簡単に書いているので、出来事の全部ではありません)

毎日、ブリック・パックを2個(120円分)買って、私に手渡してくれたAさんには、今でも本当に感謝してます。当時の私も、まだ人間的にも未熟ですから、まともに感謝も表現せず、お礼も言わずに辞めてしまいましたが・・・ 
そして、Uさんにも、深く感謝しています。Uさんは社内でも人気があった人物で、後にどこかで父親と会った時に、転職したと聞いたそうです。私も後に2回ほど、どこかの道で会いました(笑)

「・・・。」 

それから20年近く経った、ある日の夜中の出来事・・・ 
お風呂場の窓に月明かりが綺麗に差し込み、
ロマンティックなムードになっているため、私はお風呂場の明かりをつけずに入浴していました。時間は午前2時30分頃。

お湯もちょうど良い加減で、リラックスしていると、
急に前方ななめ上の方に「見たくもない、不愉快な顔(頭の部分だけ)」が出て来ました・・・・こう説明すると、まるでホラーですが、この時の私は「霊眼」で見ていましたので、物理的に顔が出ている訳ではないのです。

その頭、顔の人物は、上記のO課長でした。

「何で今頃、見たくもない人物の顔が出てくるのか!」

過去を思い出して、怒りに震えました。
O課長は、私に何かを必死に語りかけて来ましたが、
私は全てを「拒絶」しました。

「何も聞きたくないっ!!!」

本当に不愉快極まりない出来事で、一体何だったんだろうと思いながらも、O課長のことなど思い返したくもない・・・そんな気分でした。
翌日の夜、仕事から帰って来た父親に、お風呂場での出来事を話しました。父親は黙って聞いてましたが、母親は「えぇっ!そんな事あるの???」と、まるで信じず(苦笑)
私は幼い頃から、両親に心霊の話を度々するので、毎度のことですが・・・

それから多分、2〜3日後のこと、
2人の刑事が父親を訪ねてやって来ました。
みんな働いていて、その時、昼間の家にいたのは失業中の私だけなので、
話を聞くと、定年後のO課長が殺害されたので、会社に在籍していた社員、関係者に話を聞いて回っているとか。
父親は既に別の会社へ転職していたので、何か手がかりが無いかと、話を聞きに来たそうです。ちなみに私は、O課長の現場でアルバイトをしていた時期があったので、面識があると言ったため、事件の詳細を少し教えてもらいました。

O課長は定年後、奥さんが病気で亡くなり、子供もいなかったので、
自宅で一人暮らしをしていたそうです。
こたつに座ったまま、後ろから頭部を殴打され、亡くなっていたとのこと。ここでは書きませんが、ある捨て台詞を書いたメモが、遺体の横に置いてあったそうです・・・・ それを聞かされても、私には、何の感情もわきませんでした。

父親が帰宅する時間はいつも遅く、なかなか担当刑事と時間が合わないまま、一週間位は経っていたかも知れませんが、やっと会うことが出来た時、父親は「話を聞くリストの最後の人」だったそうです。
刑事と父親の話を私はインターフォンで立ち聞きしていました。

その刑事は、「相当に沢山の人達、少なくても200人以上の方から、O課長の話を聞いてまわりましたが、誰一人として、O課長を良く言う人がいませんでした。長年、刑事をやってますが、こんな事は初めての経験で、びっくりしました。亡くなったと聞けば、誰か一人ぐらいは良い人だった、位は言うのに。だから、生前のO課長は、そういう人物だったんでしょうね。
おたくの息子さんも意地悪されたと言ってましたね・・・」
言葉は正確ではありませんが、こんな内容のことを父親に話されていたのを覚えています。

きっと、いろんな人の恨みをかっていたのでは?と思いました。

今もこうして、随分古い悪行を暴露されて・・・ 
犯人が捕まったかどうかなんて、私には知ったこっちゃない(怒)

これは全部、実話(ノンフィクション)です。

 
 

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