思い出用

 4月早々岐阜で公演を行いました。初めての土地、公演1週間前に出会った人たちとのクリエイション。そっちの文化なのか、みんな呼び名みたいなものがあるらしく、結局本名が分かったのは一人だけでした。自分にはなかった部分の経験できなかった高校演劇を経験したような感じでした。稽古場の雰囲気や、独特な女の子同士の関係性、自他に対する決めつけで成り立つような関係性、誰かが決めたわけじゃないけどなんとなくで決まったようなその場での役割を演じながら過ごす1週間。

 今回は初めて演出だけのクリエイション、時間がないこともあったが東京で風邪をもらったこともあって俳優と演出の二刀流は絶対にできないと思い最初の仕事は代役探し。顧問もおらず、主宰も自分は主宰だとは言わないために誰が責任を取るのか、最終決断を下すのかがあやふやなまま時間だけが過ぎていく。

 東京でのクリエイションを終え、そっちで高校の顧問と話したこともあって東京で演劇をしたい、一度思いっきり作品を作り込みたいと東京への移住を考えていた。最初は東海地方で共に作品作りができる人が欲しいと思い、次に他人に対して須く敬意を払える人と作品を作りたい、野心のある人と作りたいと今の環境に対する否定ではなく、自分の理想が固まってきた。なんとなくの「東京に行けばなんとかなる」では今の自分は納得しない。でも、まだ決めきれていないところが多分にある。

 公演三日前、ようやく作品の完成形が稽古場にて見えつつあった。セリフはちょくちょく飛ぶし、会話は成り立っていないけれど、演技中にそれぞれの俳優の人間像が見えてきた。演出をつけながら観る作品が面白くなってきた。それでも”こだわる”という所はかなり遠い、見えない、そもそもそれを見てもいいのか分からない。毎日朝から晩までの稽古で昨日まではできていたシーンができない等と顕著に疲れも見え始めた。これ以上追い込むこと、すなわち僕のこだわりを押し付けることは今回のクリエイションにおいては不要なのではないかと休憩中桜を見るようになった。
 自分の中にあるどこから生えてきたかも分からない自尊心に怯えている。誰かに怒られないか、自分に怒られないか、悔やむことはないのかと誰に対してかも分からない恐怖が陰に伸びている。

 学長がセクハラ問題でニュースに載ったらしい。最初はネットニュース、続いて東海地方のテレビでも学生たちの記者会見が報道されたらしい。Xの最新の欄を見れば分かりやすく世論と僕の周りで聞く言葉の違いがわかる。「この業界ではよくあることだからね」何を庇っているのか、どこの経験から言っているのか、この業界にいるから仕方ないことだと済ませられるのか、一種の諦めなのか。こんなところには居てられないと否定で違う場所を求める理由ができてしまった。
 履修登録が済み、抽選などの結果を見るとあり得ないほど落選している。オンデマンドやオンライン授業の抽選科目でないものも落選している。最近そんなことがあったせいで余計に不信感が募る。今年度から入学する学生はどれほど知っているのだろうか、これから学校はどうするつもりなのだろうか。僕にはまだこの学校に残ってすることがあるのだろうか。
 噂では揉み消されようとしているらしい。


 公演の30分前、おそらく立つことはないだろうと思った舞台でみんなに言葉をかけた。何となくそんな時間は作られるような気もしていたし、どこかのタイミングでみんなには伝えたいことを前日の夜から考えていた。僕は演劇が大好きです、そしてこの1週間で演劇の楽しさや面白さを再確認することができました。きっとそれはみんなも同じだと思います。今日はそれをみんなもそうだし、お客さんにも沢山伝えられるようにしましょう。
 初日らしい初日の楽日。そして、もうこのメンバーでクリエイションを行うことはない。緞帳が閉じる瞬間、言語化できない感情か何かが生まれたようでしばらく椅子から離れられなかった。面白かった。ありがとう。

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