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公園観劇

 GWは静岡へ、存在だけは知っていたけど金銭的に全然行けてなかった演劇祭へ。初めての静岡、大学に静岡出身の人がいるけどなかなか静岡のイメージが浮かばない。富士山とさわやか。
 数日前から開幕した演劇祭の情報をXで見てワクワクしている。適当に予定を組んで前日に新幹線のチケットを取った。

 初日は野外での音楽劇、初めての音楽劇。こんなにも大規模な野外劇場は初めてだし、虫が照明に群がっているのにしばしば目がいく。観客席に一方的に知っている役者さんや演出家さん、ミーハーなので勝手にドキドキしてしまい他にも誰かのいるのではないのか開演までキョロキョロしている。
 パンフレットと共にカイロが入っていた、ここ数日はずっと快晴だったし今日も今年初めての日焼け止めを塗って参戦したけど開演してからしばらくすると風の冷たさを耳でよく感じるようになった。

 舞台上で実際に身体を動かす人と発話をする人が違うお芝居は初めてで今までの自分は発話も身体の一部であると思っていたからか、声は聞こえているのに実際に動いている人が話していない違和感がなかなか抜けなかった。
 とりあえず、音楽がすごかった、すごく綺麗だった。どこかからか聞こえてくる虫の声とも混じって視界に入る全てが作品が一部かのようになっていた。それでも時折自転車のライトが顔に当たって集中力が切れたりすることもあった。

 終演後はすぐに今日の寝床へ向かう、途中で駅のうどん屋さんがあったので入った。愛知よりも出汁が効いていて美味しかったけど少し濃い。新幹線で向かっている途中ににしなの初めて聞く曲にたまたま出会った。Googleで調べても歌詞は出てこないし、そのYouTubeの動画以外では聞けない。隠された名曲に出会ったようでなんか嬉しかった。言葉が耳に馴染むまで何度もリピートして聞く。ヘッドフォンを外しても勝手に頭の中で再生される。なんか良い気分、久しぶりに聴きたい曲に出会えたような気がする。夜の眠れない時間に翌日の公演場所へと向かい、マップを何度も確認するほど普通の街のただの通りでやるらしくますます眠れない。

 2日目、コンタクトをどこかへと忘れてしまう今日一日大分目が悪い、最悪。昨日の夜行ったただの通りへと向かい、どこが受付なのかもわからずにうろちょろ。普通に通行人はいるし、ベビーカーも押しているし公演中車が横切ったりもする。日常的な作品なのもあってただ誰かの日常をぼーっと眺めているような感覚があった。今日の天気が曇天、たまに雨。なんとか1日持つかなと思いながら駿府城公園に向かう。その道中、マンホールにちびまる子ちゃんがいた。
 昨日も来た駿府城公園、普通にちびっ子が走り回ったり鳩がすぐ隣を歩いたりしている。久々な感覚。公演スケジュールを見ながら色々なところを歩いて芝の上に座ったり、ズボンに付いた土をはたいたりしながら観劇。
お城はないらしい、地元にも城跡公演があってよく遊びに行った。雨が木に染みた匂い、泥と草の匂い。腰に蟻が登ってくる感覚、それを潰した感覚。真っ白い空にグレーの雲。
 一人で行ったこともあって黙っている時間がほとんどだった。本来だったら今日から学校、サボって演劇を観に来ている、なんで。高校の時から休日に予定が合えば知り合いで無かろうとなんだろうと観劇したりWSへ行った。大学に入ってからもそれはそこまで変わることもなく、面白そうというだけで東京に製作へも行った。僕がそうしたいから、使命とかタスクというわけでもなく、なんかの勉強とかよりもただ行きたいという理由で行っている。こういう時の方が足が軽いんだ。
 自分の中に出てきた一つの”なんで”がなかなか消化できない。知ったこっちゃないよ、行きたくて行ってんだから。まぁそれはそうなんだけど多分”なんで”と思ったのには自分で理由づけをしたくなっているからかもしれない。最近になって誰かと比べることが演劇において増えた、特に能力面で。良い悪いもそうだけど、比べられるということにものすごくストレスを感じている。いろんな人の定規で僕の寸法は測られてあなたはこういう人だと決められる、そんな感覚。

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