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時の影 第1回(文字数3576 無料)

電話

「柿原昌彦さんですか。こちらは西崎署ですが」
仕事から帰って玄関を開けた直後に鳴り出した電話がこれだった。
電話の相手が刑事だと名乗るのを聞いてわたしはただ驚くだけだった。
「で、用件はなんでしょうか」
相手はきびきびした声で東崎と名乗った。西崎署の東崎とややこしい話で申し訳ないが、そんなことをいってもいられない。本来なら直接に会って話を聞くところだが事は急を要するので、などと言い訳のような前置きの後で本題に入った。
「実はあなたのお友達の前島さんについて伺いたいことがありまして」
西崎市と言えば前島の住んでいる所であるから彼の事であろうと予想はついたが、何か変事でもあったのだろうか。
わたしの緊張とは関係なく、刑事の言葉は淡々としたものであった。
「先月あなたは前島さんのお宅に招待され、何日かお泊まりでしたね。そのときのことを思い出していただきたいのですが」
「ええ……」
わたしは返事をしながら必死に頭を働かせていた。
確かに先月彼の家に招かれて三泊した。
そもそも、そのことをなぜ警察が知っているのだろうか。
「単刀直入にお聞きします。二十二日の午後二時頃に前島さんは自宅におられましたか?」
二十二日と言われてもすぐにピンとはこない。
「二十二日の午後二時ですか?」
「そうです。その前後三十分ぐらいでも構いません。前島さんが自宅にいたかどうか確認できると助かるのです。二月二十二日の午後二時。二の四並びですな」
その言葉がわたしの脳裏にある情景を鮮明に蘇らせた。
「思い出しました。その時間なら……」
ゆっくりと記憶をたどる。情景がよみがえってくる。
昔の仲間と過ごしたあの数日。楽しかった思い出。先月の二十二日。
あるいは不自然といえるほどに、それは唐突な招待であったかもしれない。

昔日

一通の葉書がわたしの元に届いたのは二月の上旬であった。
『久しぶりだな、柿原。僕が西崎市に越したのは既に承知の事だと思うけれど、僕はこの地にささやかながら自分の城を持つことができたんだ。せっかくだから人に自慢したいんで、二月の終わり頃によかったら遊びに来ないか?もちろん仕事の都合がついたらでいいんだが。白峰君(懐かしいだろ)にも声をかけておいたから、彼女も来てくれたなら学生時代には不遇(ふぐう)だったミステリ研の最期を看取った者達の、最初で最後の同窓会としようじゃないか。
今でもホームズの名を聞くだけで胸がときめく愚か者でいるなら、僕の書斎を見ておいて損はしないと思うぜ』
懐かしい口調をそのまま想起させるような文章の後に電話番号が書いてあった。
本当に久しぶりである。大学を卒業した直後はたまに連絡を取っていたが、いつの頃からかすっかり途絶えてしまっていた。前島亮一はかなり裕福な家の次男で、父親が某製紙会社のお偉いさんだということだった。学生時代からわたしと彼とは家賃で三倍ほどの隔(へだ)たりがあり、女性経験では推定で三〇倍ほどの格差があった。別にそんなことで人間の何が決まるわけではないだろうが、目の前にそういう比較対象がいるのは結構心理的によろしくないものだ。とりあえず接点はなさそうなわたしと彼を結びつけたのは他ならぬ推理小説であった。
中学の頃から気がつくとこの特異な分野にのめり込んでいたわたしは、大学で真っ先にミステリ研という集まりに所属することにした。入部した時にはすでに衰退の一途をたどっていたのだが、あくの強い先輩達の間で、わたしを含めた三人の一年生は肩身の狭い思いをしたものだ。そのためか、新参者(しんざんもの)同士が親しくなるのにさほど時間はかからなかった。
そのメンバーが前島であり、白峰さんであった。
高校三年から読み始めたという前島よりもわたしはかなりこの分野に詳しかった。少し話してみてそのことがわかると、一瞬下らない優越感を抱いたりしたものだが、後に彼の贅沢(ぜいたく)な生活を知るようになるとそんな思いは雲散霧消である。
裕福であり、その生活を満喫しながら、それでもそれほど嫌みなところがないのが前島であった。持ち前の如才(じょさい)なさ。決して偉ぶらない態度。器の大きさを感じさせるような言動。どう考えてもいい奴である。
当時、仲良くなりながらも、あまり素直に前島に接することができなかったのは彼に責任があるのではなく、屈折したわたしの心にこそ原因があったのだと、後に思った。さらに、恥ずかしながら白峰さんの存在も、影響がないとは言えなかった。
白峰良子。傍目(はため)には物静かであるが、わたしと前島の前では結構言いたいことを言う人だった。外国のミステリに造詣(ぞうけい)が深く、ハードボイルドを語ると口調が熱くなるのだった。わたしにとっては、ともすれば不気味になりがちなサークルの集まりに、清らかな光を灯(とも)してくれるような存在であった。他人に会うことがあまり好きでないわたしは学校の授業にも滅多に顔を出さず、暇さえあれば本を読んだりつたない文章で小説のようなものを書いたりしていたので、この怪しげなミステリ研以外で他人に接するという機会があまりなかった。
そこに彼女がいたのはなんという僥倖(ぎょうこう)だろうか。
恋愛感情というものはどうしようもなく融通(ゆうずう)のきかないものである。たくさんの人間が世の中に溢れているというのに、個人が出会うのはその中のほんとに一握りで、そうそう運命の出会いなどというものはあるわけもなく、それなのに、目の眩んだ愚者は自分の感情を盛り上げるために様々な戯言(たわごと)を脳裏に並べ立てるのである。
という訳でわたしは彼女に夢中になった。
そのような病に落ちても、わたしはなんら行動を起こしたりはしなかった。ただ彼女と同じミステリ研という極めて排他的な集団に所属しているというだけで幸せだったのだ。
皆で喫茶店に行ったり、食事をしたりすることもあったが、彼女に対して個人的に誘いをかけることなど、おそれ多くてできたものではない。
だから、そのままわたしは彼女の側にいるだけでよかったのだ。
ところが、とんでもないことに前島の奴が白峰さんに興味を持ち始めた。最初はわたしを含めた三人で映画を見に行ったり、彼のアパートでテレビを見たりというようなものであったが、そのうちにわたしは排除され、彼は休日となると遊びに行こうと彼女を誘うようになった。
わたしははらはらしながらことの成りゆきを見ていた。どうしたって前島は魅力的な奴なのだ。が、幸い彼女は前島の口説きをやんわりと回避したらしい。前島もしつこく言い寄るようなことはなかったようである。それでも二人の間にはわだかまりも残らず、以前と同じような仲でいられたということが、またすごいことだ。後に彼は酒の席でわたしにこう言った。
『いや、最初はさ、柿原を見ててあまりにも歯がゆかったからさ、俺がそれを取り持とうとしたんだけど、そのうちに俺の方が彼女の魅力に惹(ひ)かれてしまったんだ。でも結局だめだったよ。まあ、俺にはもったいない人って感じだったな』
我ながら不甲斐ないが、それからもわたしは相変わらず彼女の側にいるだけの男であった。なにしろ前島でさえバランスがとれないというのなら、わたしの出る幕ではない。
我らがミステリ研はその後新しい人間が入ってこなくなり、活動も次第に衰えてしまい、大学に『同好会』として認定される人数を割って活動停止となった。それでもわたし達三人は時折、前島のアパートに集まっては最近読んだ本の話などで盛り上がっていた。

大学生活のぬるま湯のようなのんびりとした日々は瞬く間に過ぎ、やがて我々は卒業して離ればなれになった。
前島は親父さんの伝で例の製紙会社に入り、なかなか就職を決めなかったわたしも叔父の紹介で、ただしこちらは思いきり小さな塾の事務で働きだした。白峰さんは実家で両親と暮らすといって郷里に帰っていった。

その前島から四年ぶりに『遊びに来ないか』と葉書がきたのである。
何故今頃なのだろう。しかも二月の下旬なんて世間は休みでも何でもないのだ。疑問はいろいろあったが、わたしは行くことを決意した。
仕事なんてものは日常に変化が無いときの時間潰(つぶ)しである。と、学生の頃のわたしなら言っただろう。
葉書の番号に電話をかけると思いがけずしわがれた声が出た。元気がなさそうで少し心配になったが、それでもわたしが名乗ると少し声が弾(はず)んだようだ。ひとしきりの挨拶の後、喜んで行くという旨を伝えて具体的な日程はいつ頃がいいのか訊ねると、なんと、今し方白峰さんから連絡があって、彼女は二十一日から二十四日の間なら行けそうとのこと。土日が入るのでたまっている有休をとれば可能なスケジュールだ。一も二もなくわたしもその日で全く何の問題もないと返答をした。

第2回に続きます(2019/04/20更新予定)

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