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先生になった理由② 父のもと10年間絵を描く。

父は画家を職業としながら、自宅の2階のアトリエで
絵画教室をやっている。今も現役で。

画家になる前は、テレビ局で静止画のカメラマンをしていたらしい。
激務が祟って結婚直前に胃潰瘍になり、退職。
その後、画家の道一本で生きることを決めたのか?
太陽のような母の存在が後押ししたのか?

土曜日の13時から子どもの絵の教室が始まる。その前に2歳年上の兄と2人
まずは40畳くらいある教室と階段の掃除。
それが私たち兄妹が父に支払える月謝だった。

もう一つ。手作りで作る絵画教室のチラシを週1で200枚、
ポスティングする仕事。これは、1枚一円のお駄賃もらってたかな。笑。
小学1年生にして、お小遣いも自分で稼がせるような、そんな家だった。
働かざる者食うべからず。幼い頃から叩き込まれた。

はっきりいうと、何歳から父に絵を習い始めたのかは、記憶がない。
ただ、唯一覚えていることは、ある日父がプリントゴッゴを買ってきて
年賀状に使う絵を描けと私たち兄妹にいう。上手な方の絵を年賀状にすると。。

私の絵は、毎年落選。兄の絵が選ばれた。
ようは、私に才能がなかった。悲しいくらいなかった。
子どもの絵にある大胆さや意外性がなく。真面目な絵を描く子だった。

そんな私とは対照的に、兄には才能があった。
明るく伸びやかな、子どもらしい絵を描く兄が、羨ましかった。
父には、事あるごとに「お前には俺の血が流れていない」と
本気なのか冗談なのか、子どもには判断のつかない呪文を呟かれ
私の心は結構傷ついていた。

逆に兄はどんどんと才能を伸ばし。本当に絵の上手な子に育った。
私の才能は、そうして全て兄に吸い取られたように感じた。

だから、Artには恨めしい気持ちと、憎らしい気持ちと
自己否定感につながる、負の感情しかない。

今でも、ふと思う。
私には、本当に才能がなかったのかと。

いやいやながら、仕方なく続けた絵画教室。
忘れもしない15歳のある日。
急に、父が認めてくれるようになった。
やっと、目が出てきたと。

絵の才能はなかったけど
投げ出さず、継続することの意味を理解した。

今でも、Artという名の自己表現が嫌い。
嫌いだけど、私の人生には切っても切り離せない存在。
恨めしくて、憎らしくて、もやもやした感情が湧いてくる。
自己表現とは、苦しいものだった昔の話。

#私とArt  #この仕事を選んだ理由 #Design  #Art


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