さとP@時々雪山先生

公立高校 家庭科の先生。 人生で大事なことは、雪山から学んだ。 服をつくること。興味…

さとP@時々雪山先生

公立高校 家庭科の先生。 人生で大事なことは、雪山から学んだ。 服をつくること。興味があるのはDesignと手仕事。 animal。snowboard。outdoor。旅。 単純で複雑なものがすき。

最近の記事

先生になった理由② 父のもと10年間絵を描く。

父は画家を職業としながら、自宅の2階のアトリエで 絵画教室をやっている。今も現役で。 画家になる前は、テレビ局で静止画のカメラマンをしていたらしい。 激務が祟って結婚直前に胃潰瘍になり、退職。 その後、画家の道一本で生きることを決めたのか? 太陽のような母の存在が後押ししたのか? 土曜日の13時から子どもの絵の教室が始まる。その前に2歳年上の兄と2人 まずは40畳くらいある教室と階段の掃除。 それが私たち兄妹が父に支払える月謝だった。 もう一つ。手作りで作る絵画教室のチ

    • 先生になったわけ① 母が作ってくれた服。

      私が人生の選択として、「家庭科の先生」という職業を選べたのは、母の影響がとても大きい。 母は、商業高校を卒業してすぐに銀行員になったのだが、その後どうしても洋裁に携わる仕事がしたくて、習い事がしやすい環境の職場に転職した。当時、大流行りだった洋裁学校で技術と知識を身につけた母は、その後しばらくの間、先生としても働いていたようだ。 結婚を機に嫁ぎ先となった今の家の2部屋を改装し、小さなブティックを経営。そしてその傍ら、アパレル企業から依頼のあった、サンプル品の縫製を仕事とす

      • 点と点はつながる。

        新しい始まりの1日。2022年壬寅立春。 学校の先生になって、満17年。公立高校 家庭科の先生。生徒より少し先を生きる人です。15年間は、母校であるファッション系専門学科で、デザイン、パターン、縫製、商売を、今は偏差値高めな高校で家庭基礎を教えています。父は画家、母は縫製業、兄はイラスト屋。周りが言うところの芸術一家に育ちました。今日からnoteを始めようと思います。 名前はsatoco。名前の由来は賢い子になるように。お利口さんじゃなくて、賢い子になるように。 20代前半

      先生になった理由② 父のもと10年間絵を描く。