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「アンカレッジ経由の成田行き」の巻

 2005年3月25日、筆者はロサンゼルス発成田行の飛行機に乗っていた。成田から伊丹へ乗り継いで、2年ぶりに日本へ帰るときのことだった。
 ロサンゼルスを出発して3時間ほどたったころだろうか、嘘ではなく、本当にこういう放送が入ったのだ。
 「機内で急病人が出ました。お客様の中に、お医者さんはいらっしゃいませんか?」
 もちろん初めての経験だ。
 ドラマでなら何度か見たことがある。添乗員の知人に聞いた話では、実際にそういう放送があった瞬間、学会かなんかで、医者の団体が乗っていたことがあって、数十人の客が立ち上がったことがあるらしい。患者はラッキーだったな。
 この時、筆者はアンラッキーだった。
 スクリーンで飛んでいる場所を確認すると、アラスカの上空だった。医者はいたようだが、病人の容態はその後どうなったかわからない。
 数時間後再びアナウンス。件の病人が悪化したので、アンカレッジ空港へ引き返すとのこと。
 再びスクリーンを見ると、アリューシャン列島の上空を西に飛んでいた飛行機が、ターンしている軌跡が描き出されていた。もちろん初めての経験だ。
 アンカレッジまで2時間かかるとのこと。成田から伊丹までの乗り継ぎはどーなるんだ?
 不安をよそに、飛行機はアンカレッジに到着。急病人がどうなったかは知らない。何の放送もない。
 解像度が悪くて申し訳ない。写真は飛行機の窓から見たアラスカ/アンカレッジ空港だ。
 ソ連が他国の航空機に領空を開放していなかった頃、太平洋便はアンカレッジ経由だった。当時空港にとてもうまいうどん屋があったと聞いたことがある。じゃぁ、降りたら立ち寄れるのかなと、のんきなことを考えていた。

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 ところが空港当局は理不尽にも、乗客の一時降機を拒否。何もすることがないまま2時間ほど機内で待たされる。給油もせにゃなるまい。その間、通常は許可されない機内での携帯電話使用が許可された。
 CAは忙しそうに、スナックとソーダの積み込みを行っていた。さすがに機内食の追加はないのか。そりゃそうだ、この会社の便は通常はアンカレッジに飛んでいないのだから。噂のうどんも食えなかったし。接続便の話を聞いてみたが、詳細不明ということだった。でも、ことは人の命にかかわることなのだ。もちろん、誰も文句を言う人はいなかった。
 成田に着いた時には、定刻より6時間も遅れていた。当然伊丹便は出た後で、とりあえず電話をすると。妹夫婦は寿司を頼んで、準備万端で私を伊丹まで迎えに来てくれていたようだ。成田からの便で私が現れなかったので、私が帰国日を間違えて伝えたのか、妹が聞き間違えたのかと、やきもきしていたらしい。伊丹空港ではLA便が遅れたことなど何も言われなかったらしい。それはそれでどうよ。
 その日は身動きが取れないので、航空会社がチャーターしたバスで、夜中の12時に、これまた航空会社が用意した蒲田のビジネスホテルにチェックイン。成田で待たされている間に意気投合したご夫婦(ご主人はたまたま同業者だった)と一緒に、それから居酒屋へ繰り出してやっと遅い夕食にありついた。
 まぁ、在米当時は国内線を含め、何十回も飛行機に乗っていたんだから、こういうこともあるのだろう。出だしはドラマのようだったが、結末はドラマチックでもなんでもなかった。病人がどうなったのかは気にはなっていたが、酒を飲んだらすっかり忘れてしまった。もちろん今もって安否は不明である。

拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「今時アンカレッジ経由?」(2005年12月15日0:00付)に加筆修正した。

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