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セクハラの認定基準に関するオカマ得な要素などの雑感

今日の白饅頭さんのマガジン限定記事の
論点整理:表現の自由戦士を見ていて思い出した事とか色々あったので書く。

彼が時々使う我慢風呂大会という言葉があるけど、実は「セクハラ」も同じ側面を持っているんじゃないか。

セクハラの認定基準、男女その他で違いがち。

男の人でしかもおっさん的年齢の人ほどセクハラ言われやすいと思うけど、
女→男のボディタッチや
オカマ→男へのボディタッチって
男→女へのボディタッチと比較して扱いがかなり軽いじゃん。
普通の男の人は、俺だってお前らみたいに抱きついたり触りたいけど俺がそう言うことしたらダメでしょ?って言う。
だのに女やオカマ(≒テレビなどに出てくるようないかにも同性愛者然とした人って意味ね)は、その辺曖昧にされがちでずるいって言う論理になるのも自然。
ただ、最近はその反動からか女性からや同性間でのセクハラも問題にされてきているからリスク高まってるけどね。
けどこれも我慢風呂大会的な側面があるなと感じてる。

世の中、多少触られても平気って人や、少しでも触られるのも絶対嫌だって人や、別にちょっとくらいエッチな部分を触られるの平気って言う人もいるのに、何故か段々他人に触るのは一切ダメって言う人の意見だけが尊重されるようになっていったよね。

それこそ鬼ごっこは子供のうちからやらせないみたいな言説をツイッターで数年前見かけてビックリして引用RTしたけど(当時のその自分の引用RTは見つけられなかった)

全てが下記に集約されると思うんだけど、
何をどれくらいしたら相手がどれだけ快不快に思うかどうかなんてのは正直やってみるまで分からない(個人間の関係性は目に見えないし)のだから、いたずらにその社会的ハードルを高めまくるのがいいことだとは思えないな。

ちょっと今日はまだうまくまとめられない。この問題数年くらい前から考えてるんだけど、そのうち更新するか別記事にするかしますわ。

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