VICTOR HAZE 1話

 2018年11月11日午後11時11分。

 庵堂あんどう久斗ひさと29歳は、あるネットゲームを見つけた。
 三年前からプレイしていたゲームは、メイン、サブ、両方のストーリーを全てクリアしてしまい、手持ちのキャラクターもほどよく育っている。現在では、今後のイベントを踏まえてアイテムを集める作業的な周回プレイをするばかり。飽き飽きしたので別のゲームを物色している最中であった。

(………VICTORビクター HAZEヘイズ?)

 英語表記で単語の意味は分からないが、アイコンが影の中から銃を構える絵であった。光が当たっているのは銃と手元、所持者が男か女かは不明である。

「ガンシューティングか?」

 ゲーム内容を見ると、キャッチコピーが“影を狩り、真を暴け”。あとは武器の絵柄があるだけ。説明欄にはアクションとしかない。
 ウイルスの恐れを危惧するも、スマートフォンはつい最近買い換えた最新機種。ウイルス対策も万全でありインストールした時点で発覚出来る。
 データ容量もそこそこ大きいが問題はない。
 退屈な内容だったらすぐにアンインストールすればいい。
 問題があれば運営へ文句を言えばいい。

 気になるゲームはやりたい性格の久斗は迷わずインストールした。

 数分後、早速プレイし始める。

 殆どのゲームは始めにゲームデータをインストールするのに時間がかかるが、VICTOR HAZEは始めに画面が真っ暗になり、ゆっくりと白い文字が浮き出る演出であった。

『お前は力を得るだろう。……向き合うべき敵も、逃げ出したくなる苦難も』

 プレーヤーのやる気をそそる、訴える演出だが久斗の興奮度合いは低い。色んなゲームをプレイしすぎて大凡の想定はついている為である。

『挑め、戦え。逃げては全てが無駄となる。今まで繋いできた希望を絶やすな』

 データのダウンロード時間を稼いでいる演出。ただ、黒画面に白文字はさすがに退屈だ。

『……まずは思い出せ。自らを、この時を、そして、この言葉を――』

 次の短文が表示されると、突然スマートフォンの画面が異常なまでに眩く光り、久斗は咄嗟に画面を余所へ向ける。しかしスマートフォン自体が発光し、やがて部屋全体、外へと広がった。


 ……ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。
 久斗はスマートフォンの目覚ましを停止した。

 11月12日午前7時。
 今までは出勤する準備のために動いていたが、無職になって三日目。こんな朝早くに目を覚ましても仕方がないので二度寝した。
 午前8時10分。
 今までの早起き習慣が染みついているのか、二度寝も浅くて起きているのか寝ているのか分からない状態である。

 歯磨きと小便を済ませ、服を変えず、菓子パンを食べながら呆然とテレビ番組を観る。
 興味がない芸能ニュースばかりで、適当に聞き流しながらゲームを始めた。

『速報です』

 言葉に反応して視線をテレビへ向ける。内容が自分にも関わることなので、ゲームの手を止めて集中した。

 最近、久斗の住む地域付近では通り魔事件が相次いで起こり、三日前にも年配の男女一人ずつが被害に遭った。
 殺され方は刺殺か斬殺によるもの。死体発見現場が、駅近くや広場など、目に付く場所であり、久斗の住むアパートからそれ程遠くない。

 リリリリリー、リリリリリー。
 突然の電話。
 着信画面の名前を見ずとも久斗には誰か想像がつく。通り魔事件がニュースになると、必ず母親が心配してかけてくる。
 電話に出ると心配の言葉がいつも通り続き、昼間にしか家を出ないと伝えて切る。いつも通りのやりとり。

 家を出たら凶悪犯罪者がうろついているのだろうが、久斗には退屈過ぎる日常、無職者の生活、妙な焦りが燻る現状。別世界の出来事としか思えなかった。
 退屈凌ぎに久斗は出かける準備をした。

 午前9時。
 目当ての場所はない。家に籠るより外に出たいだけの散歩である。
 週刊誌を立ち読みしようとコンビニでも寄ろうとした時、事件現場が気になってしまい、足がそちらへ向かった。

 今回の現場は人通りの多い公園内である。公園というが若者のダンスやスケボーの練習場所と化し、夜になると若者が屯する公園でもある。
 公園には当然のように野次馬が多い。

「最近多いわねぇ」
「早く犯人、捕まらないかしら」
 そんな会話を耳にする。
 こんな場所にいると母に告げれば、「帰れ!」と、ヒステリックに返す電話越しの光景が浮かぶ。

 この相次ぐ通り魔事件には奇妙ないくつかある。その一つが”なぜ犯行現場が目立つ所なのか”だ。
 夜間の犯行なのだろうが、なぜ監視カメラに映る危険を冒すのか。
 余所で殺害し、死体を運んで来たにしても、これでは自ら犯行をアピールしているとしか思えない。
 しかし未だに警察は犯人を捕まえれていない。不気味な事件だ。

 遠景で犯行現場を眺め、ものの数分で久斗は去ろうとした。

 ……バキッ。ピキッ、パキキッ。
 何かが折れる音、割れる音。そういった類いの音が聞こえた。

「え?」
 周りを見ても、それらしい破壊の音源が見当たらない。
 こんなにも大きな音なのに、誰一人として異変を探ろうとしない。
(……なんだ?)

 ……バキッ!!
 一際大きな音に反応して頭を向けると、非現実的な光景を目の当たりにする。空間が割れている・・・・・・・・
 周囲に亀裂も走り、割れ目の向こうは暗めの紫色。

 久斗が驚き見入っていると、次第に亀裂が広がる。
(ヤバい……絶対ヤバい)
 自分しか見えず、何が起きるか分からない。直感が現場から離れようと身体を動かした。しかし振り向いた先で別の亀裂が発生する。こちらは破壊が早い。
 眼前の割れ目から細長い巨大指をした両手が伸びてきた。
 割れ目を掴み強引に広げだす。

(冗談だろ!?)

 割れ目が広がり、亀裂が無数に走る。
 広がった暗い紫色の隙間から三つの目が縦並びに覗いた。上から右目、少しズレて左目、また右目。さらに空間が広がると、縦長の顔に目が付いていると判明した。
 口を横に広げて卑しい笑みを浮かべている。犬歯がすきっ歯で並んでいる。

 防衛本能の如く、振り返って逃げようとするも、今度は空間全てがガラスが砕けるように崩れ、久斗を薄暗い街へ落とした。

 空は曇りがかっていて覗く青空は紫色。
 明るさは暮れなずむ頃合い。
 野次馬もおらず、現場を覆うブルーシートも無ければ警察もいない。いや、人間が何処にもいない。

「おい、何処だよここ!」

 公園へ目を向けるとその存在・・・・と目が合い、身体が恐怖で固まった。
 長髪が重力を無くしたように宙を靡き、縦並びの三ツ目に耳まで広がる口の怨霊女めいた化け物。身体は全体的に細く長い。手足はあるが人間ではない。
 化け物が動くと久斗は叫んだ。

「う、うわあああ!!」

 一目散にその場を離れようと走るも、同時に化け物も走り出す。始めは二足歩行で走るが、次第にトラのように四足歩行で駆ける。そして速度が急激に上がった。
 久斗は必死だったが、呆気なく追いつかれてしまった。

 恐怖に襲われ、死を覚悟した時。
 バアァァン!!
 猟銃のような銃声がした。

 化け物は胴体を打ち抜かれて久斗の横に転がるもすぐに態勢を立て直す。だが、追い打ちの発砲で頭部、胸部と撃ち抜かれた。

「無事?」
 猟銃の弾丸を装填しながら化け物から目を逸らさない女性が近づく。
「え、……はい」
「なら早く立って」
 急かされ、久斗は従って立つ。

 女性は蹌踉よろめく化け物の頭部にもう二発銃弾を見舞った。
 絶命し、横たわった化け物の身体は粉が風に舞うように散り始めた。

「行くよ!」

 混乱する久斗を余所に、女性は近くのデパートへと向かった。



「……はぁ、はぁ、はぁ。あれ、何なんですか?」
「アレは残滓ざんし。殺すのは簡単だけど、すばしっこいの」

 手早く猟銃の弾を装填し終えると、次に周囲を見回しながら腰のホルダーにあるハンドガンの弾倉も交換する。

「こ、ここって何処ですか。俺、なんで?」
 女性は人差し指を口に当て、「しっ」と言って周囲を警戒する。
 久斗も警戒すると、濡れた足で歩くような、ヒタヒタ、と音が聞こえた。「合図したらエスカレーターまで走って、そのまま上がれるとこまで上がって」
 小声の指示、目つき、細かな動き。女性は場慣れした戦士のようであった。
 素直に久斗は従った。

 ヒタヒタ……ヒタヒタ……ヒタヒタ。

 音が近づいてくる。薄暗い無人の屋内だが、まだ姿も影も見えない。

(どこだ……何処に)
 久斗がキョロキョロと首を動かすも、「走って!」と叫ばれた。身体をビクつかせるも、一目散にエスカレーターへ向かった。

 後方でハンドガンの銃声が二発分響き渡るが気にせず二階へ上がる。
 続く銃声が聞こえないが、構わず三階へと駆け上がった。

 広場前のデパートは四階が屋上駐車場となっている。
 外に出て良いか分からないが、身体がそのまま駐車場へと無意識に向かわせた。
 さすがに運動不足が祟り、膝に手を乗せて息を切らせた。

「はぁはぁ、……はぁ、はぁ。どうなってんだよ」
 何が何やら分からない中、屋上を彷徨い、別の化け物が現われるか警戒する。女性の説明では、まだ何かいると思われたからだ。
 およそ五分待っても女性が上がってこない。足音の化け物と交戦中か、それともやられたか。

 悪い方へ考えると、銃声がしないのも合点がいき、それが正解だと思えてしまう。
 逃げ切れる自身はないが、四階の入り口から離れる。
 すると、視界の端に刀を持つスーツ姿の男性が映った。

「……え?」
 久斗が顔を向けると、男性は柳葉刀りゅうようとうを構えて迫ってきた。
「うわあああ!!」

 腰を抜かして倒れると、男性は久斗を飛び越えて、その先にいる存在に斬りかかった。

「ウギピッ、ピギェェ、ギギギィィィ……」

 奇声と共に、何も無い空間から縦長の卵形をした化け物が姿を晒した。口がそこかしこにある。小さな手をバタつかせ、足を蹌踉めかせる。
 姿を現わした化け物へ、男性が容赦なく三度斬りつけた。
 手早い慣れた動きに久斗は見入ってしまった。

 緑色の血を流して絶命した化け物は、外で襲ってきた化け物同様に身体が崩れて散っていく。

「……あ、りがとう、ござ」
 お礼の最中、男性は切っ先を久斗へ向けた。
「お前何者だ? なぜここにいる」
 目つきは獲物を狙うハンターの目であった。
「ちょ、待ってください! 俺だって分かりませんよ! 急に空間が割れたっていうか、崩れたっていうか」

 信じてもらえないであろう実味のない返答。情けないが事実なのだから仕方ない。
 しかし男性には通じた様子であった。

「お前、初陣か?」
 何の話か分からない。自分と別の誰かと間違えてるのかと思われる。
「何の話、ですか?」
 男性が怪訝な表情になると、駐車場の入り口から女性が出てきた。
はやて君」

 駆け寄る女性を見て、久斗は無事であったことに安心した。

戸倉とくら、本体は見つけたか?」
 返事は首を左右に振って返される。
「なかなか手強いわ。絶対ランク間違ってるよ」

 話の最中、女性と久斗の目が合った。

「君、運強いね。すぐに追いつけると思ったんだけど、相手がなかなか手強くて時間食い過ぎた。颯君と会えるなんて、偶然にしても強運だよ」
「それよりどういうことだ。こいつの経緯、異常だろ」
「私も現場見たから分かるけど、嘘じゃ無いね」

 久斗をほったらかしに話が進む。
「ちょっと、どういう事態か説明して貰えますか!」
 男性は久斗を余所に、スマートフォンを操作して誰かに電話をした。
「俺、急に変なことに巻き込まれたみたいで、何が何だか分かんないし。武器とか無いから、あんなのに襲われても」

 訴えの最中、颯が電話を終えた。
「“エリア”の確保が出来た。この駐車場で休憩だ」
 伝え終えると、颯は見通しのいい所へと向かう。途中で胸ポケットに入った煙草を取り出して火を点け、吸いながらであった。



 近くの自販機で飲み物を買い、女性は久斗へ一本渡した。
「カフェオレで良いでしょ」言って手渡した。
 久斗はお礼を言って、早速一口飲んだ。そして気づく。
「え?! ここのやつって、飲んでも大丈夫なんですか?」
「ええ。私達がいるのは空間は違うけど現実世界と同じなの。だから、向こうじゃ自販機にお金が入って商品が二つ消えてるわ」

 まるで言っている事が分からない。

「私は戸倉あや。あっちの昭和イケメンみたいなのは西崎にしざき颯君。あれだけ渋いのに24歳よ」
「え、同い年・・・?!」
 驚きつつ、久斗は違和感を覚える。
 綾はカフェオレを飲みながら久斗を見た。
「君は現代いま系ね。向こうは老け顔っていうより貫禄かな。……で、君の名前は?」
「庵堂、久斗です。24・・歳」

 またも違和感が。しかし分からないままだ。

「庵堂君、とりあえず現状の話だけするよ。私と颯君が倒した敵は、私達が倒す本体の残滓。本体から抜け落ちた悪性の力が形作った分裂体ってところね」
 淡々と語るが、よく分からない。表情にも出てしまい、気づいた綾は例えを考えた。
「分かりやすく言うなら、本命の敵の脱皮したのが化け物になった。でいい?」
「……まあ、それなら」
「で、その本命なんだけど、私達は【ヘイズ】って呼んでるの。形は様々で、とにかく化け物。残滓も見つけ次第殺せばヘイズに辿り着くわ」
「見分け方は何ですか?」
「強さが段違い。あと、倒したら黒い靄が垂れ流れるぐらいかな。見える人だと違い分かるけど、私は無理。ちまちま残滓倒していくしかない側ね」
「そのヘイズが生きてちゃ、何かまずいんですか?」
「最近、ここらで通り魔事件が多いでしょ? あれ、ヘイズの影響よ。他にもあるけど、今のところは完全に人間を襲ってる」
「俺みたいにこんな所に連れてこられて?」

 綾は頭を左右に振った。

「庵堂君は別件。最近、変なものに触れたり関わったり、何か違和感あるとかなってない?」
 聞かれても、特に何も無い。
 一応、仕事を辞めたことだけは話した。
「ま、当然よね。他にもそういった人いるからなんとも言えないけど。とにかく、庵堂君は何かがあって特異体質になったの」
「俺、なんかなるんですか? あんな化け物みたいに」
「ははは。襲われやすいけど、ああはならないから安心して」

 それだけだと不安しか残らない。

「ヘイズに対抗出来る力が備わってるのよ。見れるし異空間ここにも干渉出来る。後は武器か技か、自分の力を知って場数踏めば」
 話の途中、険しい表情で颯が近づいてきた。
「スイーパーが来てる。急いでヘイズを見つけるぞ」
「マジ?」
 綾はカフェオレを一気飲みした。
「俺は先に行く。戸倉はそいつをどうにかしろ」

 本当に同い年かと疑ってしまう。
 颯は急いで階下へと向かった。

「あの、スイーパーって?」
「端的に言うと協会側のヘイズ狩り連中」
「同じ敵倒すなら、仲間じゃないんですか?」
「同じ“倒す”でも、私達と向こうじゃ意味が違うの」

 言いつつ綾はハンドガンを持たせた。すると、異様に熱く感じる。持てないほどではないがこのままでは暴発する危機感を抱いた。

「これ、熱すぎません?」
「銃は無理みたいね」
 呟いて、空の弾倉と交換する。
「さっきの話だけど、私達の”倒す”は『ヘイズの主を救う側』よ。けどスイーパーは『殺す側』。細かい説明省くと、夢オチか死亡かの違いよ」

 説明しながらハンドガンのホルダーを手際よく久斗の腰に備えた。

「これでよし。これ、大事だから外さないで、ハンドガンもそんままで。庵堂君も武器となる力がそのうち出るようになるから」
「なんですかそのうちって。ってか、銃じゃダメなんですか?」

 訊いてる最中、綾はワイヤレスインカムを操作した。

「……山縣やまがたさん。戸倉です。実は……」
 しばらく話をし終えると、綾はインカムを外して久斗へ手渡した。
「ちょっと周囲見てくるから、戻るまでに話つけてて」
「え、銃は?」
「もう一丁あるから大丈夫」
 颯爽と階下へ向かった。

 少し戸惑いながら、久斗はインカムを耳に付けた。

「……あ、の。もしもし」
「はーい。庵堂君ね」
 落ち着きながらも余裕が感じられる女性の声。大人な声である。
「すいません、俺」
「何をすれば? かな」
 見事に図星をつかれ、「はい」と呟く。

「訳分かんないでしょうけど、とにかくヘイズを潰してもらわないとならないよ」
「けど、武器とか」
 インカム越しにキーボードをタイピングしてる音が聞こえる。
「綾のハンドガンで調べたけど。ああ、ちょっとしたセンサー付きなの。それで、君は純正タイプだから方法は簡単。何か持って適当に武器として使ってちょうだい。殴ったり投げたり、何でも良いから」
「そんなんで良いんですか?!」

 ほぼ現場の勢い任せな方法が疑念を生む。

「仕方ないわよ。純正って、フィーリング面が強いから。疑わしいだろうけど、今は信じて………え?」
「あの、どうしたんですか?」

 女性からの返事はない。
 タイピング音が早くなり、独り言が聞こえた。
「リーパー? プレデターとかやめてよね」の言葉が印象に残った。

「あの、どうしたんですか?」
 久斗の質問に三秒ほどの間が空いて、ようやく帰ってきた。
「……さっそくだけど庵堂君、気合い入れてもらえる?」
「何があったんですか?」
「綾がトラブっちゃった。彼女の反応が消えたのよ」

 先ほどまでの優しい印象の女性が死んだ。そう、衝撃が久斗に走る。

「……戸倉さん、死んだ?」
「正確には死にかけ。今いる空間とは別の場所に飛ばされたから、まだ無事。けど、ちんたらしていると殺される事に変わりないわ」

 まだ救う手がある口ぶり。
 初対面で会った時間も短いが、彼女を死なせたくない気持ちが久斗には強くあった。

「俺、出来るか分かりませんが、頑張ります。何をすれば良いですか」
「ヘイズを見つけて殺して。しかもスイーパーより先に」

 初めてにしてかなりの難関。だがグズグズしていられない。悩むより、躊躇うより先に、「何処ですか?」と声が出た。

「二階よ。綾の信号が消えたのはそこから。西崎君にも伝えてるけど、向こうはスイーパー二人を相手してるから応援は期待しないで」

 報告を聞きながら、身体が動き、警戒しながら階段を降りていた。

「それから庵堂君、まだ言ってなかったけど、山縣やまがた弥千代やちよよ、よろしく」
「庵堂久斗です。よろしくお願いします」

 二階へ到着すると文房具コーナーへと向かった。

 周囲に音はなく、時折何かの衝撃音が遠くで響いた。
「……爆発音みたいなの、遠くで聞こえます」
「スイーパーとバトってるからね。外はいいから、周りを気にして」

 文房具コーナーの近くに調理器具コーナーがある。咄嗟に包丁を持とうと思考が働くも、そこへ行く前に異変を感じ、立ち止まった。

「……山縣さん……います」
 それは足音である。
 周囲に人はいないのに、複数人の革靴の足音。人数は分からないが、大勢が動いてる音がする。
「庵堂君、何か武器になりそうなもの持って」

 手頃な武器になりそうなのは麺棒。丁度二の腕くらいの長さのものがあった。
 しっかり棒を握り、足音に耳を澄ませる。
 緊張し、冷や汗が零れる。身体が熱くなる。

 コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ……。

 近づく音が、途中で切れた。
 すぐ近くにいる。
 どう対峙するかは分からない。思いつく方法は、思い切り殴るしかない。

「…………行きます」

 意を決し、化け物の前に出た。
 薄暗い屋内で、向かい合った相手の姿形は、まさしく化け物。
 全裸の小太りな男性と思しき容姿をしているが、所々形状が歪な人型、全身至る所に目と口が付いている。

「きっしょ!」
 怯む気持ちを抑えこみ、相手を睨み付けて棒を構える。
「ピイイイイィィィィ、ギャギャギャギャギャギャギャギャ!!!!」

 奇声が全身に響くも、負けじと踏ん張り、殴り掛かった。
 素人が棒で殴り掛る。
 早い行動とはかけ離れた素人の素振り。

 化け物はあっさりと躱し、思い切り久斗の腹部を蹴った。

「うお、ぐぉっ……」
 鈍痛が残り、腹からこみ上げ、嘔吐する。
「ギャギャギャギャギャギャギャギャ!!」

 高笑い、化け物は再び久斗に向かって跳び蹴りをしてきた。
 危険を察し、横に転がって躱す。
 化け物は勢い余って棚をいくつも貫いていった。

「庵堂君大丈夫!?」
「いや……どうやって勝つんですか」

 勝てるイメージがまるで湧かない。せめてハンドガンを使えれば、多少はまともに戦えるのだろうが、手に取ろうとすると、またも熱さが押し寄せて握らせてくれない。

「最悪の場合、屋上まで避難しなさい」
「でも、戸倉さんが」
「諦めて。貴方は巻き込まれた民間人。こういったことはよくあるの、だから」
「いやです」
「庵堂君!」
「戸倉さんには助けられてます。恩を返します」
「バカなことを」

 久斗はインカムを外し、ポケットにしまった。

 先のやり合いで違和感を久斗は抱いた。それが何かまだ分からないが、今は目当ての包丁を取りに行きやすい。
 腹部の痛みも耐えれる程に治まる。
 足音を潜めて包丁を取りに向かうと、またも無数の革靴音が響いた。
 棚の隙間から覗くと、化け物が歩いてウロウロしている。

 柳刃包丁を手に取った久斗は、今度こそ刺せると考えた。最悪掠りでもすれば傷を与えられると。
 再び化け物の前に飛び出し、包丁の切っ先を向ける。
 化け物は獲物を前に喜ぶ猛獣の如く、喜びと思われる目つきをして奇声を上げた。

 どこを斬るかまったく考えてない。
 手当たり次第に斬りつけようとは思うも、相手の一撃をもらえばひとたまりもない。
 先の突進攻撃を受ければ人間の形を残さない末路を想像させる。

 躊躇いが生じる久斗目がけて、化け物は突進してきた。
 驚きつつも、横に転がって躱し、再び態勢を立て直す。

(……まずは思い出せ)

 頭に声が聞こえた。はっきりと、自分の声で。
「え?!」
 なぜこの非常時にその言葉が浮かんだかは分からない。

 僅かに戸惑うと、化け物は足を踏ん張って突進の効力を無理やり抑え、踵を返して飛びかかる。空中で腕を振りかぶり殴り掛ろうとするのは分かる。
 咄嗟のことだが、久斗は飛び退いて躱す。

 床に窪みか、階下までの大穴が開くと予想していたが、化け物の右腕が弾け飛び、礫が久斗へ襲いかかった。

(ヤバッ!)
(……自らを、この時を)
 再び自分の声が頭に聞こえる。そして、急に視界に群青色の光りの波が広がる。

 何が起きたかを考えるよりも、全体的に明るくなる視界、礫の様子、数、化け物の状態。すべてがゆっくり進むのに気を取られる。
 まるで別人の意思が久斗の身体を動かしているように、礫の数、動きを機敏に動く目が追い、躱せる経路を読み、身体が流れるように動く。
 礫を躱した久斗は、化け物の首を落とそうと包丁を振り上げて降ろそうとする。
 突如、視界の色、速さが元に戻る。

「え……」
 頭が思い描いた、化け物を斬る光景が消えた。
 化け物は口を開いて包丁を噛み、止めた。
「マジか!?」

 包丁を抜こうとするも、硬くて抜けない。すると間もなく、化け物は包丁をかみ砕いた。
 化け物が右手を生やし、両手を地面にあてて踏ん張り、左足で久斗の腹を蹴飛ばす。その威力は、大の大人をデパートの端まで飛ばす程強い。

 久斗を蹴飛ばし、喜びの奇声を上げる化け物は、態勢を整え、力強く両足に力を入れて踏ん張り、渾身の突進で向かった。
 しかし突進の途中、化け物は意図せず止まったことに驚いた。

 紫に光る巨大な鎌の刃が三本も刺さってるからだ。

「ア……ギェエ?」
 痛みは後からじわじわ感じたのか、化け物は次第に奇声を上げて苦しみ出す。
「本体確認。速やかに執行します」

 黒く見えるローブ姿の女性が、サーベルを構え、化け物に斬りかかった。

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