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源義経に寵愛された静御前と母 磯禅師の終焉の地(墓所)を訪ねて! (香川県さぬき市長尾寺、鼓渕、磯禅師の墓、静薬師、静御前の墓)

🟣静御前の母である磯禅師の生まれ故郷は、東かがわ市の小磯(こいそ)と言う場所だ。

出生の地には碑が立っている。

平安時代、この小磯の辺りは貴族の荘園であったことが縁で、イソ(後の磯禅師)は12歳のときに京都へ渡り、舞の道に入った。

藤原道憲(ふじわらのみちのり)に従って舞楽の一種を極め、禅師の称号を授けられ磯禅師となった。



磯禅師の娘が義経の愛した静御前だ。

静御前は、奈良の吉野で源義経と別れた後、僧達に捕らえられ源頼朝がいる神奈川県の鎌倉へ移された。

そして、文治2年(1186)9月中旬、鎌倉から京都へ帰ることを許され、傷心のうちに京都の法勝寺の一室に一時身を寄せた。

その後、翌年の春から夏にかけての頃、母と共に母の故郷である讃岐の国へと向かった。


讃岐へ帰ってからの静は母の生家、香川県東かがわ市小磯の長町家の屋敷でしばらく静養していたが、すでに母の両親は他界しており、母と共に寺社遍歴の旅に出た。

お遍路の旅に出た親子は、今も残る志度寺や八栗寺、屋島寺、六万寺など屋島合戦ゆかりの寺々などで、義経の戦いの跡を偲ぶとともに、そこで亡くなった将兵たちの菩提を弔った。


そして、文治4年(1189)3月20日、長尾寺(四国霊場第八十七番札所)に参拝したとき、9代住職の宥意和尚から「いろはうた」などによって世の無常を諭さされ、母とともに得度を受け、剃髪して尼となった。

母は磯禅尼、静は宥心尼と名乗った。

この後、義経からもらった形見の鼓を煩悩の種と思い切って川へ捨てた。

現在も長尾寺の境内に、静御前が剃髪した際の髪が埋められている剃髪塚が残る。



それからの静は母の縁者がいたといわれる現在の香川県木田郡三木町井戸中代(なかだい)に行き、鍛冶池(かじいけ)という池の畔にささやかな草庵を結んだ。


詳細 続き (静御前と磯禅師の墓所)




以上



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