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四世紀の謎を解く 今世界中で話題の富雄丸山古墳は誰の墓なの?

 奈良県奈良市丸山にある四世紀後半に造られたとされる富雄丸山古墳が話題になっている。

 この四世紀は日本史の中で空白の時代とされていて、他の時代のような史実がない。三世紀には「魏志倭人伝」という歴史書の中で、当時日本に住んでいた倭人、つまり日本人の生活を垣間見ることができる。といっても中国の三国志の一部なのだが。卑弥呼や邪馬台国のことが書かれているので有名だが、真実かどうかは別にして、文字の記録が残っている。
 一方五世紀の日本の様子は同じく中国の「宋書」に登場する。倭国の5代の王が、当時の中国の南朝とやり取りをしている。5人の王が歴代の天皇の誰にあたるかは今もって諸説に分かれている。
 しかし、四世紀に関しては、日本には文字が定まっていなかったし、頼りの中国は南北朝動乱期で日本に関する記述がない。
 今話題になっている富雄丸山古墳はこの四世紀後半に作られたとされる。

 この古墳は直系が約100mの丸い古墳、円墳では日本最大とされる。
有力者の墓と見られるが、古墳の頂上にある墓部分は明治時代に盗掘に遭い壊されて埋葬者は不明。ここで大きな問題なのが、この古墳が円墳である事だ。この時代ヤマト朝廷は着々と全国制覇を進めているはずなのだが、その勢力図は前方後円墳の分布により確認される。この墓の主は前方後円墳を作ってもらえず、円墳になったということか。どうやらヤマト朝廷から睨まれる人物だったのではないかという疑問が湧いてくる。

 天皇陵になると発掘には宮内庁の制限がかかるから、逆にこのケースは発掘調査にはもってこいという訳だ。なにしろ天皇の古墳から日本の歴史をひっくり返すような証拠が出てくると厄介なことになる。

 古墳の中腹から鼉龍文盾型銅鏡と蛇行剣が発掘された。学者先生方の興奮は如何ばかりであったろうか。またその下からは当時のまま荒らされていない棺も発見された。昨年年末より詳しい調査がされてきたのだ。
ここまでの調査の概要は
 古代東アジア最大の蛇行剣の発見
  これまでに例のない構造の把(つか)や鞘(さや)が付けられていた。
  L字型の把頭と縁に付いた突起がある。
  蛇行剣の把は全長38cm一本の木から作られたとみられ、手で握る部分  
  以外には黒漆が塗られている。把の先端にあたる部分には縦9cm横18 
  cmの大きな把頭が付けられていて表面にはかすかに文様が確認できる。 
  また把の縁には突起が付けられている。この構造について古墳時代の鉄
  製武器の専門家は刀と剣のグリップの要素を両方持っている。五世紀に 
  刀と剣に分かれていく分岐点となるものではないかという。
  鞘はホオノキが使われ全長は2m48cmにも及ぶ。そして先端にあたる鞘
  尻には刀剣を地面に立てて置く際に、鞘を傷つけないように保護する石
  附(いしづき)が、古墳時代の刀剣では初めて確認された。130日以上 
  かけて手作業でクリーニングされた模様。

 そして墓からは、直系20cmほどの青銅鏡三枚と14cm漆塗りの竪櫛9点も見つかった。女性の墓なのだろうか。
 この円墳は神武天皇を苦しめた「ながすねひこ」のものだとする説もあるのだが、真実はまだわからない。

 今後ますます調査は続くのだろうが、目が離せない。
 古墳たまらん~。
【REG's Diary   たぶれ落窪草紙  4月13日(土)】


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