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平安は藤原ばかり、中臣鎌足と乙巳の変

 大河ドラマを毎週見ている。前回は平安の遊びのシーンや、美しい着物のお姿も拝見できて楽しかった。もちろん上流の貴族の世界の話であり、平民の生活は想像ができる。いつの世も階級格差が生じるのは古今東西の当たり前。もちろん現代も例に漏れすだ。
 しかし、出てくる人間が藤原尽くめで、どうも展開がピンとこない時がある。他のドラマでは先ず無いことだが、そのうち顔を覚えれば慣れるだろう。
 藤原さんの始まりは今から1300年ほど前のこと。あの大化の改新で有名な中臣鎌足さんだ。昔は大化の改新は正義の味方、中大兄皇子と中臣鎌足が、政治を私物化して幅を利かしてきた悪党蘇我氏を滅ぼしたと、そんなイメージがある。最近では様々な研究が進み、新たな説も出てきて教科書の表記も変わってきた。
 大会の改新と言うのは天皇中心の政治体制への様々な変革のことであり、645年に起こった蘇我入鹿殺害事件は乙巳の変と呼ばれるクーデターとして捉えられているようだ。
 蘇我氏こそ仏教を通して新たな大陸の政治文化や技術をこの国にもたらした偉大なる貢献者ではないかとする学者さんたちもいる。そうなるとこれは単なる権力争いということになる。しかもこの乙巳の変に同席していた時のオオキミ皇極天皇は、後に天智天皇となる中大兄皇子の母親である。初めての女性天皇は推古天皇なので、皇極天皇は二番目の女性天皇ということになる。しかもこのお方、初の重祚という飛び道具で斉明天皇として二度目の天皇に君臨している。このお方かなりやり手とみた。興味がある。
 現在126代天皇が続いているが、実際天皇に成ったのはは124人である。2人だけ重祚して二度天皇となった人がいるからだ。一人は皇極天皇、重祚して斉明天皇、もう一人は孝謙天皇、重祚して称徳天皇。いづれも女性というのがちょっと驚きではある。
 まだ都が平安京に移る前の話である。
 中臣鎌足は亡くなって藤原の姓を賜った。
 平安にかけて日本の政界で活躍した藤原の祖となるのだ。
【REG's Diary  たぶれ落窪草紙  1月26日(金)】


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