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いきものがかり水野良樹さんとの「Jポップ」「自己表現」を巡る対話

言わずと知れたいきものがかりのリーダーにして、現在は個人でも作家として多数の楽曲提供を展開、また最近では新たなプロジェクト「HIROBA」を立ち上げるなど精力的に活動を続ける水野良樹さんにインタビューしました。


このインタビュー、実はとある雑誌(※)の企画で行ったものでして、その雑誌自体は都合により発売が遅れているのですが、その際に雑誌の企画からは外れるものの面白い話をたくさんしていただいたので、こちらで別原稿として公開できる運びとなりました(関係者の皆さま、ありがとうございました)。

※「とある雑誌」とは、先日「1円(税込)」で発売された『広告』のリニューアル創刊号でした。こちらでは「音楽にとって新作って必要ですか?」というテーマで寄稿しておりまして、それに絡めて水野さんにも話を伺っています。そちらの内容もそのうちウェブでアップされる予定ですが、ぜひ書店で「1円の買い物」を体験してください!



水野さんには3年前にもブログにてインタビューを行いました。


ちょうどいきものがかりがデビュー10周年でこれまでのキャリアを総括するモードだったこと、またJAPAN誌への登場やROCK IN JAPAN FESへの出演決定などグループとしてそれまでとは異なるフィールドに踏み出し始めた時期だったこともあり、手前味噌ではありますがなかなか本質的な話が聞けたのではないかと思っています。

そのインタビューから早3年。いきものがかりは2017年の年始早々に「放牧」して各自の活動に勤しみ、そして2018年11月に「集牧」して再び音楽シーンに帰ってきました。

平成が終わって令和の時代になり、平成の約30年間を並走したキーワード(そしていきものがかりが掲げてきた旗印でもある)でもあった「Jポップ」という概念にも再考が迫られるタイミングとなってきました。そんな中で、水野良樹という表現者はどんなことを考えているのか。

「集牧」後のグループでの活動について、作家活動から得たことについて、そして表現を通じた自己との向き合い方について……などなど、水野さんの根幹にかかわる部分についてたくさん話していただきました。

約10,000字、一気にどうぞ。


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「これは乗り遅れるぞ」


--2016年4月のインタビュー以来なので、直接お会いするのは3年ぶりですね。

水野 お久しぶりです。

--こちらこそ大変ご無沙汰してます。ちょうどこの3年の間で、僕の単著『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』に帯のコメントを寄せていただきまして。その節は素晴らしいコメントありがとうございました。


水野 いえいえ、こちらこそお声がけいただきありがとうございました。

--最近はお忙しそうですね。「たとえBAR」とか…


水野 (笑)。いや、ほんと素晴らしい芸人さんたちを前に置物みたいになっちゃってましたけど…(笑)。いろいろやってます。

--いきものがかりの「放牧」が発表されたのが2017年の1月。そして2018年11月に「集牧」。その後の最初の大舞台として、昨年末の紅白歌合戦がありましたよね。今日はまずそこから振り返っていただきたいんですが、あの日の「じょいふる」を見たときに「うわ、一気にこの空間持っていったな!」と思いました。久々にああいう煌びやかなステージでの演奏はいかがでしたか。

水野 やっぱり紅白は華やかですよね。放牧中は楽曲提供だったり一人で小さなイベントをやったり、どちらかというと少人数で動くことが多かったんです。それに対して、いきものがかりが動くとなると紅白のような大きな舞台に呼んでいただけて、そこでは本当に大勢の方々が関わり合いながら物事を動かしている。そういう「いろんな人たちの気持ちが渦になって動く場所」に戻ってきたんだな、ということは強く感じました。

--今お話もありましたが、放牧期間中に水野さんは作家としてかなり精力的に活動されてましたよね。「いきものがかりのメンバー」とはまた違う立場で日本の音楽シーンと接していたわけですが、いきものがかりが動いていなかった約2年の間で何か変わったと感じることはありますか?

水野 「シーンを見る」というような余裕がなかったので何とも言えないところもありますが……ちょうどグループの活動を休んでいるときにJ-WAVEで番組をやらせてもらっていたんですけど(「SONAR MUSIC」)、そこで20歳から25歳くらいの若いミュージシャンのスタジオライブをたくさん見ることができたんですね。彼らは僕より一回り下の世代ですけど、ほんとに考え方が全く違って。この前レジーさんも「Jポップ」というものと「ミュージシャン自身のストーリー」みたいな話を書かれていたと思いますが……


--ああ、はい。

水野 これまでのJポップというもののある種の「型」というか、ミュージシャンが自分自身のパーソナリティとリンクしたストーリーを何らか体現して、それによってカリスマになって、そしてそのストーリーに対して色んな人が憧れを持ち、それが消費されていく----そういうスタイルとはまったく別の力学で動いているミュージシャンがほんとにたくさん出てきているんだなと。たとえば中村佳穂さんとか。


--中村佳穂さん、いいですよね。

水野 素晴らしいですよね!ちょうどこの前も会ってきたんですけど、「自分一人のストーリー」を背負っていないというか……他のミュージシャンとのコラボレーションも当たり前に行われているし、自分の作品のなかに「他者」が入ってくることも全然OKなんですよね。「作品の自由度が作り手個人によって縛られてしまう」というようなことが全くないんです。そういう感覚を持ったミュージシャンがたくさん出てきていて、そして徐々に受け入れられ始めている。まだテレビの世界とかにまで広がってきているわけではないかもしれないけど、確実に地殻変動が起き始めているという実感はありますね。

--なるほど。そんな中でいきものがかりとして「集牧」を果たしたわけですが。

水野 はい。そういう流れの中で考えると、自分たちがこの2年間で圧倒的に「古くなっている」感じはしました。「これは乗り遅れるぞ」と。



「自分があって良い」という考えを持つようになったのはすごく大きい


--水野さんの「乗り遅れる」という感覚もとても興味深いところなので追ってお話しできればと思っています。先ほどグループ外への楽曲提供の話もありましたが、先日リリースされた鈴木雅之さんの「ラブ・ドラマティック」からはちょっと「ラブとピース!」の匂いがしました。編曲も同じく本間昭光さんですよね。

水野 そうですね、はい。

--この先、いきものがかりでの活動と他のシンガーの方への楽曲提供が相互に影響し合うような形になっていきそうですね。

水野 おそらくそれぞれの活動の中で「自分から剥がすことのできない何か」がもっと見えてくるのかなと思っています。これは笑い話でシリアスに捉えてるわけじゃないんですけど、いきものがかりの活動中に何度も「こんな曲は誰でも書ける」「個性がない」って言われてきたのに、いざグループの外に曲を提供したら「いきものがかり臭が強い」とかって言われるんですよ。一体何なんだと(笑)。

--(笑)。

水野 そういう「自分でしかないもの」が他の人とつながったときに何が起こるか、というのをこの先も考えていくことになるのかなと思っています。

--鈴木雅之さんはポップシーンでの大先輩かと思いますが、楽曲提供に関してはいわゆるポップスだけではなくて石川さゆりさんや五木ひろしさんと言った畑の違う方に対してのお仕事もありました。そういった「レジェンド」と呼んでも差し支えなさそうな人たちとの交流を通じて、水野さんなりに感じたことはありますか?

水野 演歌、歌謡曲の方々ってどうしてもずっと同じような場所にいると思われがちだけど、決してそうではないんですよね。僕のようなかなり下の世代に曲を頼むということ自体がそういうメッセージになっていると思うんですけど、異口同音におっしゃっていたのが「新しいことがしたい」という話で。それぞれに僕らが想像できないような長い歴史が背景にあって、そこをしっかり踏まえたうえで「新しい価値観を導入したい」「時代に合わせて自分のあり方をアップデートしたい」ということを皆さん考えているんですよね。別にあの方々に気を遣うわけではなくて、やはりそのメンタリティを持たないとここまで長く続けることはできなかったんだろうな、というのは強く思いました。そういうことを肌で感じることができたのは自分にとって大きかったです。

--石川さゆりさんはくるりとコラボしたり、いろいろな形で新しい風を入れようとしていますよね。

水野 時代に合わせて「石川さゆりのあり方」をずっと更新していて、でも常に「石川さゆり」なんですよね。そういう動きの中でたまたま「水野に書かせてみよう」ということになったんだと思うんですけど、さゆりさんが新しいことをしようとしているように、僕自身も吉岡聖恵というシンガーではない人に曲を提供することで感覚をアップデートしたいという気持ちだったので、そういう意味ではモチベーションとして近いものがあったのかもしれないです。

--念のため確認なんですけど、水野さんが言う「アップデート」というのは、「水野さん自身をアップデートする」という意味ですか?それとも「いきものがかりというグループとしてのアップデート」を指していますか?

水野 完全に僕自身ですね。より正確に言うと、僕がアップデートされた先にいきものがかりとしてのアップデートがある、という感じでしょうか。いきものがかりは「三人の要素が掛け合わさることによって“いきものがかりさん”というひとつの人格が生まれたもの」と理解してもらえればいいと思っていて、それはどういうことかというと、「僕が変わればいきものがかりが変わる」し、「吉岡が変われば僕が変わらなくてもいきものがかりは変わる」ということなんですよね。……ちょっと語弊があるかもしれないんですけど、放牧の前にはグループとして活動がルーティーンっぽくなっちゃう瞬間がどうしてもあって。

--はい。

水野 「期待されるゾーン」みたいなものがリスナーの皆さんからもスタッフからもあって、それを僕ら自身もわかっていて、そこにボールを投げ込めば何となくうまくいくし問題なく生活もできちゃう。それだけじゃダメなんじゃないかなっていうのは今でも思っていて、「じゃあその状況を変えるためにはどうするか?」ってなったときに、自分が変わるとグループの構造上いきものがかり全体のバランスが崩れるから、結果として他のメンバーも変わらざるを得なくなるはずなんですよね。直接的に他人を変えることはできないからまずは自分を変えよう、というのが僕の現在地です。

--そんな問題意識を持ってグループの外で楽曲提供を行ってきて、またいきものがかりとして動き始めたわけですが、水野さんとして放牧中の活動が何らか還元されている部分ってありますか?

水野 「自分があって良い」という考えを持つようになったのはすごく大きいですね。たとえばあるシンガーの方から曲をお願いされたとして、基本的には「引き受け仕事」なので彼もしくは彼女の求めていることを実現するのが使命なんですけど、いざ「どうしましょうか」って話し合う時に「自分がない状態」だとそもそも向き合うことができないんですよね。1×0だと0になっちゃって、何も始まらない。いろいろな方の曲を作らせてもらいましたけど、それぞれの方にそれぞれ大事にしているものがあって、アイドルの方とのお仕事だと「ファンの方とのストーリーそのものがこのプロジェクトの一番重要なポイントだ」なんていう今まで自分が体験してこなかったようなケースもあったりしました。そういうものに関わるときに、「じゃあ自分はこう思う」「自分ならこうしたい」という考えがあってこそ、対話が始まって新しいものが生まれていく。楽曲提供を続ける中で、そんなことに徐々に気づいていったんですよね。

--なるほど。

水野 で、いきものがかりというのは不思議なグループで、さっきお話しした通り3人の人格が掛け合わさって一つの人格になっていて、そのうえ曲を書く人間と歌う人間が違うわけです。今までは「そういうグループだからこそ、自分を消すことでより広く伝わる曲を作れるんじゃないか」と思っていたんだけど、もしかしたらそれはちょっと簡単に考えすぎていたのかもしれないし、もっと違うやり方があるんじゃないか。歌を歌う役割を持っている吉岡聖恵という自分とは違う人間としっかり対峙して、「僕はこう思う」「これが僕です」というのをはっきり表した方が、実はより多くの人に届くものを作れるのかもしれない。そんな気付きがあったのは、グループの外で活動したからこそだと思います。




重要なのは「自分」の中に「他者」を入れること


--水野さんにとって「自分があって良い」「“僕はこう思う”と表現する」というのは、かなりのパラダイムシフトですよね。

水野 はい。そう思います。

--以前インタビューさせていただいた際には、「自分が作る音楽は器であるべき」「自分を前面に出さないことで人とつながれる」というスタンスがはっきりしていたように思います。一方で、阿久悠さんの番組(2017年にNHKで放送された「いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話」)では、「自分の気持ちを吐露しても仕方ない、と言い切ってしまってよいんだろうか」というような水野さんの発言もありました。放牧前後から今に至るまで、この辺の視点の持ち方についてはいろいろ揺らいでる感じなんですかね。

水野 揺らいでますね、ほんとに(笑)。阿久さんについて勉強していく中で、「聴く人が感情を乗せられる器を作る」「そこに自分の意識も込める」という2つの考え方を両立させることも実はできるんじゃないか、というのを教えてもらえたような気がしています。阿久さんはそういうことを意図的にやりすぎてしまって、それで聴く方も冷めちゃったんじゃないのかみたいなことを小西さん(音楽評論家の小西良太郎。阿久悠の才能を高く評価していた)が指摘していましたが、そのバランスというか、「自分であって自分でない」みたいなものを作る方法論がまだ僕の気づけていないところにあるんじゃないかなと思っています。ちょっと禅問答みたくなっちゃうんですけど。


--HIROBAで発表された「I」は水野さん自身の気持ちがストレートに出た表現というか、すごく切実な重みをもった言葉が並んでいるように思いました。あれも「自分をどこまで表現に乗せるか」という揺らぎの中でのアウトプットと言えそうですし、HIROBAというプロジェクト自体が「そもそも人は分かり合えない、だから自分を出さずに誰もが乗っかれる器を作ろう」という水野さんの根幹にある思考回路自体を見つめ直すプロセスになっていくのかなと。

水野 HIROBAに関しては始めてみたものの僕自身もまだ見えていないところがあって、HIROBAの対談企画で糸井さんに「HIROBAって何なんですかね」って聞きに行くっていう結構ひどい状況になっちゃってるんですけど(笑)。ただ、「I」については、あれが自分の本心なのか?というとまだわからなくて。「伝わると信じる」みたいなメッセージは、小田(和正)さんと一緒だったからこそ出てきた、小田さんに書かされた、歌わされたようなところもあるのかなと。


--なるほど。今日お会いするにあたってここ数年の水野さんの言葉を振り返ったり「I」の歌詞を見たりする中で、「音楽とは器であるべき」という部分に何らかメスを入れようとしているというのは感じていました。で、そういう問題意識がやはりあるんだなと思いながらお話を伺ってたんですが、少し見方を変えると「じゃあ自分をもっと出そう」という方向に舵を切ることって、旧弊的なJポップのあり方、要は「アーティストのパーソナリティが音楽と一体化することでカリスマになる」というものと構造的には近くなる危険性もはらんでるんじゃないかと思うんです。仮に背景にある意識は違ったとしても表出するものは似たようなものになる、というか。

水野 うん。それは確かにそうですね。

--いきものがかりとしては、もしくは水野さんとしては大きなパラダイムシフトでも、音楽の表現全体の潮流の中で見ると、もしかしたら何かの焼き直しにならざるを得ない局面にぶつかる可能性もあるんじゃないかなと思ったんですけど、そのあたりの塩梅というか匙加減というか、どう考えているのかなというのを今日お聞きしたかったです。

水野 おっしゃっていただいたことはまさにその通りだと思いますし、そういう危惧があったからこそそちら側にはこれまで踏み込んでこなかったというのもあります。どこから話そうかな……まず、僕が書いている言葉は「詩」でも「テキスト」でもなくて、「音楽の一要素としての歌詞」なので、曲全体の中でバランスをとろうとしている、っていうのはあると思います。「I」で言えば、曲の最後に<歌うよ>っていうフレーズの繰り返しがあって、そこにチェロのソロが入ってくるんですけど、そのパートは言葉も少ないですし何か理屈を語っているわけではない。そういう余白を持たせて、聴いている方それぞれが何か余韻のようなものを感じ取れるように、というのは考えていますね。「自分を出す」というアプローチをしても、できるだけミニマムな作りにすれば、そこから虚像が勝手に膨らんでいくこともないんじゃないかと。今レジーさんからあった話は「歌が虚像を説明するための物語になる」「虚像の付随物として音楽がある」っていうことだと思うんですが、そういう構図になっちゃうと「別に音楽をやらずにメッセージを直接言って社会活動だけしてればいいんじゃない?」みたいなことになりかねない。そうではなくて、「音楽を中心に置く」という部分を外さないことがすごく重要だと思ってます。数年前にサカナクションのライブを見に行かせてもらった時に、まさにそういうことを感じたんですけど。

--ああ、なるほど。

水野 山口(一郎)さんはすごくカリスマ性もあるし、仮に「そのカリスマ性をストーリーにして消費させる」というスタイルに振り切ったとしてもビジネスとしてだったらそれで十分成立しちゃうと思うんですけど、サカナクションのライブはそうなっていないんですよね。ちゃんと音楽が中心に据えられていて、それを生み出すためにサカナクションの皆さんがいて、会場全体がそこに向かって反応している。音楽のあり方として本当に素晴らしいなと思いました。

--「自分を出す」というのを単に「自分のパーソナリティを表現する」ということとつなげるのではなく、「音楽にする」ということにいかに昇華するか。言葉にしてしまうと単純ではありますが、音楽を生み出す行為と自己表現は当然ながら強く結びついているわけで、とても難しいことなんだろうなと思います。

水野 「自己表現」という話に関連して言うと、重要なのは「自分」の中に「他者」を入れることだと思うんです。僕という人間は、たとえば僕を育ててくれた両親とか、僕が今まで出会って会話をしてきた人たちとか、すごくたくさんの他者の存在がいたからこそできあがっているわけですよね。ひとりで生きてきたつもりでいても実はそうじゃなくて、自分の中には他者の存在が内包されている。そういうことを意識していく中で、「自分を出すか、出さないか」という問いの先が見えてくるんじゃないかなと思っています。

--インタビューの冒頭でも中村佳穂さんに関して「自分の作品のなかに「他者」が入ってくることも全然OK」というお話がありましたが、「他者」というのは今の水野さんにとって一つのキーワードになっていますね。

水野 そうですね......今息子が2歳なんですけど、彼が生まれてから「自分と他者の区切り」みたいなことに関しては価値観が結構変わったんですよね。この先息子との関係がどうなろうとも、「自分がいなかったらこの子は生まれてこなかった」という事実は絶対に覆らないわけじゃないですか。それはつまり「自分が今存在する意味が息子に内包されている」と言えると思うし、自分と自分の両親についてもそれがあてはまる。そうやって人と人が生まれたときからそれぞれの存在意義を確認し合っているんだとしたら、「自分と他者は別々だ」って簡単に言い切るんじゃなくて、もうちょっと違う考え方があるかもしれない。正直ここについてはまだ結論が出ている中ではなくて、今日話している中でもすごく気持ちが揺れているし矛盾している部分もあると思うんですけど、少なくとも現時点ではそんなふうに感じています。



ちゃんと呼吸をしないと


--「他者を内包する」というお話は、先ほど僕から問題提起した「個人のストーリーを体現するモデルの危うさ」に対する線の引き方の一つでもありますよね。

水野 そうかもしれないですね。で、最初の方の話に戻るんですけど、若いミュージシャンたちはすでにその先に行っているように感じます。僕がぐるぐる回っているような「自分を出すとはどういうことか」みたいなレベルの話から離れて、自然に他者とつながりながら素晴らしい音楽をどんどん生み出している。よくJポップのアーティストを説明する言葉で「等身大の言葉、歌」みたいな表現があるじゃないですか。というかいきものがかりもよく言われてた気がしますけど(笑)、結局それが本当の意味で「等身大」だったことってほとんどなかったんじゃないかなと思うんですよね。でも、感覚が鋭敏な最近のミュージシャンたちは、誰かに押し付けられたものでもなければ「みんなが求めてる等身大とはこんな感じ」っていう虚像を追いかけているわけでもなくて、言葉の意味そのままの「等身大」をやっと手にして音楽と向き合っているように見えるんです。「いきものがかりがそういう流れについていけているんだろうか?」というのはやっぱり考えてしまいますし、だからこそ「古くなっているかもしれない」と感じることもあります。

--下の世代の話で言うと、「自分」「等身大」といったものへのスタンスだけじゃなくて、音楽そのものの作り方もだいぶ変わってきていますよね。今日名前が挙がっている中村佳穂さんなんかはメロディと言葉とビートが全部一体となったものを生み出しているように感じますし、そういう点でもいきものがかりとだいぶ発想が違うと思います。水野さんの言う「時代に合わせてのアップデート」ということであれば、そういった部分へのアプローチとかも多少は視野に入ってきたりもするんでしょうか。

水野 うーん......正直、いきものがかりについては、そこに関しては手がない(笑)。

--もちろん比較するものでもないのかもしれませんが。

水野 まず大前提として、あのグループ、って自分たちの話ですが(笑)、いきものがかりは歌とメロディが中心にあるグループで、そこは別に変える必要はないと思っています。その肉付けの仕方として「もっと新しいビートを」とかってことであれば、やるかどうかは別としてそういう音が作れるビートメイカーの方にアレンジをしてもらえばいいと思うんですけど、それはあくまでも洋服を変えているだけの話にすぎないので、本当の意味で「アップデート」と言うのであれば、僕自身が血を入れ替えるくらいのことがないと厳しいですよね。

--そういう大きな変化にもトライしてみたいと思いますか?

水野 できるかどうかは置いておいて、やってみたい気持ちはありますよ。そういうチャレンジがないと、自分に飽きてしまうので。HIROBAで小田さんと作った「YOU」はこれまで自分がやってきた音楽の延長線上にあるものになりましたけど、誰と一緒にやるかによって出来上がるものも当然違ってくるわけで、そういうプロセスを通して自分の根っこにあるものが変わっていくようなことがあれば面白いと思っています。

--いきものがかりのような国民的なグループを背負っている人がそこまで大胆に変わることがあれば、それは本当に面白いことだと思います。

水野 誤解のないように付け加えておくと、これまでいきものがかりでやってきたことはある角度から見たら古いものかもしれないし、だからこそ「やばい、時代遅れになってしまう」という危惧もあるんですけど、自分としては「今までやってきたことは全てネガティブなものだったのだから変えてしまおう」と思っているわけでは決してないんです。今までの方法論の中にも尊重すべき素晴らしいことはたくさんあるし、それはこの先も続けていくつもりなんですけど、一方では作り手として「今の時代のやり方」みたいなものに触れておかないと「過去の作り手が過去の手法で、過去について落とし込んだ作品を新作として発表する」という厳しい世界に身を置くことになってしまう、そんな不安もあって。HIROBAみたいな一見すると何をやろうとしているのか自分ですら整理がついていないようなことをやるのも、そこに対しての自分なりのアクションだったりするんですよね。「同じ場所にずっといる」というのは僕にとってもいきものがかりにとっても良いことだとは思わないし、気がついたら「博物館に展示されているもの」になってしまうかもしれない。そうはならない道を選び取っていきたいですね。

--「昔のもの」ではなく「今のもの」をちゃんと生み出していきたいと。

水野 そうですね。やっぱり作り手である以上はちゃんと呼吸をしないと、と思います。


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なお、今回の記事中に出てきた楽曲をまとめたプレイリストも用意しましたので、こちらも合わせてお楽しみいただければと思います。




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