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53歳の誕生日を迎えて・・・

「おめでとう」って言ってもらえることは、やっぱり嬉しい。

正直、私、あまり誕生日は好きではありませんでした。
パートナーもいないし、家族で誕生日を祝う習慣もないし、私には、どちらかと言うと孤独を感じやすくなる日でした。
ところが最近、久しぶりに「自己受容」の本を読んでから、自分を否定することをやめて、意図的に自己受容する様になったせいなのか、
今年はいろんな人から、お祝いの言葉やプレゼントをいただいたんです。

“自己受容”することを忘れてたかも・・・

自己受容とは自分の欠点や嫌な部分もありのままに受け入れること

実は、久しぶりにお祝いをしてもらって、ひとつ気づいたことがありました。それは、いいことで目立つことに居心地の悪さを覚えてるってことです。
Facebookに誕生日の記載もここ数年外していました。
だから、誕生日に気付く人がいないのは当然のことなのに、誕生日になるとなんか孤独を感じるなんて、矛盾してます。
でも、私のような人は少なくないんじゃないかな?
「自分からは言いたくないけど、誰かに気付いてほしい」みたいな。
これをオンナ心と言ってしまえば、それまでなのですが(笑)

お祝いしてもらっているときに、「私のために時間を使ってもらうのが申し訳ない」と思ってしまっていました。
この感情はかなり癒したつもりだったんですが、ここ数か月の間に起こった数々のネガティブな出来事で、自己肯定感もかなり低くなり、自己受容なんて言葉すら、すっかり忘れていたことに気付きました。

「おめでとう」最強の言霊

誕生日の数日前に、以前、旅行に行ったりと交流があった方が、講演会で九州に来ていることを知り、懐かしくなって、会いに行き、そのことがきっかけで、その方の出版した自己受容を扱った本を読んだんです。

そこで紹介されている
“自分を認める”自己受容のワークを毎日やったことと、誕生日を迎えたタイミングが良かったのか、「生まれてきてよかった」と言う感情がふっと沸いてきました。
安直すぎますが、やっぱり「おめでとう」って言葉は最強です。
生れてきたことに対して「おめでとう」って言われると、私自身の存在を認めてもらった感覚が芽生えました。
大げさに聞こえるかもしれないけど
「私が、私でいいんだ」って感覚になったんです。

“ただ寄り添うこと”

私は数年前、頑張って年収が数千万になったことがあります。
でもその後、仕事のやり方が苦しくなり、迷走してしまったんです。
やり方ばかりに走り、在り方を見つめていなかったことが原因だとはわかりましたが、中でもこの「自己受容」ができていなかったってことに、この本を読んで気づきました。
頑張って結果を出した自分を認めていたつもりだったけど、心の奥では
「これくらい誰でもできる。」と自分のことが全く認められていなかったんです。
そして、周囲と比べて、「私なんてまだまだ」とも思っていました。

そんなことで、ずっと、在り方について勉強はしてはいましたが、ありのままの自分の感情に“ただ寄り添う”と言うことを本を読んだことで思い出し、毎日自分の気持ちに寄り添うことで、心の奥底に「私なんて・・・」と言う自己否定の気持ちがまだ、根強く横たわっていたことに気付いてあげることができました。

ご先祖様からの誕生日プレゼント

話は戻りますが、「私なんて」と言う前提があると、何をやっても「私なんて」と言う現実を作ります。だから、「私なんて」誕生日をお祝いしてもらえない。と言う現実をつくってたんです。
それが、ありのままの自分を受け入れ始めると、「私でもいいかな」くらいに自分のことも受け入れることが少しずつできてきて「私でもお祝いしてもらっていいかな」って現実ができたんだと思います。

このタイミングで、自己受容することを思い出し、 「生れてきてよかった」と言う感覚になれたのは、ご先祖様からの誕生日プレゼントじゃないかな?って思っています。

いきなり「私は楽に幸せになっていい」みたいな、ピッカピカの自分の前提は心に抵抗が生まれて、逆効果です。
「いいかも」とか「いいかな?」くらいの軽い感じで、自分自身を受け入れ、成長している自分を認めてあげることができてくると、心がちょっと緩んでほっとできます。そのほっとできる安心感が人には必要です。
誰かに見守ってもらえていると、なんか頑張れたりしませんか?

自分が自分を見守る安心感は自己受容することで芽生えてきます。
そして私は「大丈夫」と言う自信につながってくるんです。

自分のことを信じれる人って、人のことも信じる事ができます。
そういう人って人生の幸福度が高いんです。
人は人と関わることで幸せを多く感じるようにできています。
だから、自己受容がもっとできてくるようになると、人とも深く関われるようになり、幸福度がますます増してくるのです。

今年の誕生日は"自己受容する"ことを思い出すと言う、最高のプレゼントをいただきました。

必要なものは、必要なタイミングで現れる。

そんな人生の「前提」は持っていたと言うことも確認できた一連の出来事でした。
"人生捨てたもんじゃない"
53歳になりましたが、次の誕生日が来るのがちょっとだけ楽しみになってきました。





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