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アート・哲学・霊性・創造性 を探求 / 記事はカテゴリ分けしてマガジンにまとめてます

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マガジン

  • 連載「意味の流れとしての世界」

    「意味の流れとしての世界」0~5 拙いところもありますが、自分の中でかなり重要な内容を繋げて書いた記事たちになります

  • 個別の記事(非連載記事)

  • 連載「メサイアコンプレックスと良いサービス」

    「メサイアコンプレックスと良いサービス」 ①〜⑥

最近の記事

山の男としての一生 #物語

山に帰りたい。山からきた男は言った。彼の故郷は山の奥にある岩壁の下。洞窟のような場所。川のせせらぎも聞こえるそこで、祭儀を行いながら彼は暮らしてきた。 彼に名はない。彼はいつも笑っている。一人で川の中から魚を釣り上げ、嬉しそうにほくそ笑んでいる。 その男は夢の中で、自分が川をたどって、下流の世界、拓けた明るい世界へと歩いていく様子をみた 彼は不安も感じたが、少しばかりの昼飯を担ぎ、初めて、いや本当は初めてではないはずだが、記憶の限りでは初めて、自分の足で川を下まで歩いて

    • プロセス主義について

      まえに「最高の起業のアイデアはワークショップでは生まれない」と、起業関連の書籍で頻繁に見かけた。運営者の力量にも寄るが「意図的に良いアイデアを生む」場で頭をひねってアイデアを出しても、実現が途中で頓挫したり、人生を懸けるだけの思い入れが無く途中で諦めた。などはよくありそうな話だ このとき起こっていることは何か?それは、それまでの各個人の人生の”文脈”が考慮されていないという浅慮;文脈の不在による形骸化。各個人の人生のすべての側面が納得している状態で決定したアイデアではなく、

      • 書籍「クリエイティビティ」のまとめ

        書籍:「クリエイティビティ」の中のまとめをさらに要約 クリエイティビティという本は、「フロー体験」という言葉を生み出したことで有名なチクセントミハイ博士が書いた、人の「創造性」についての本です。自分の創造性をどうやったら開花させるられるか?どうやったら社会の荒波から守れるか?、また他者が創造性を発揮する支援にはどんなことができうるか?そんな問いを考えながら、この本を読んでみました。今回は、この本のまとめが書かれている章から、さらに自分なりに要約して、全11の項目にまとめ、こ

        • ②"奥行き"の世界

          前の記事 人がどう現実を認識しているか?が、現実を形づくる。おそらく、逆も然り。 前提・過程・物語などにより物理的に目に見える外面世界が著しく秩序化されていることを考えると、外面世界には、目に見えない"奥行き"として"客観的な"内面が存在する、と捉えられる気がした。 人々が現実をどう認識しているか?(前提・過程・物語)は、現実世界に実際に現れる物理的な作用に反映される。そして、物理的な外面世界の中で、人は現実の認識を新たにしていく。日々更新する。この相互作用そのものが『

        山の男としての一生 #物語

        マガジン

        • 連載「意味の流れとしての世界」
          5本
        • 個別の記事(非連載記事)
          7本
        • 連載「メサイアコンプレックスと良いサービス」
          6本

        記事

          ① "記憶( 個人の物語 )"が語られ、"記録"され、物語が織り合わさる。

          2022/01/14 〇シンプルで面白い物語には"自然"な展開しかしない。自然な一手は、自然な物語を描くところから。 〇意味の流れ(ピュアな思いの接合)は、人をチームにし、未来を創る原動力となる。目指す未来像の一致、感覚の『共鳴』とも呼べる。 こうしたことを元に考えを深めていった。 今までは、この社会を根本から作り替えるような「巨大システムの調整」というトピックに興味があっていろいろと思索していたけど、最近は「無数の物語の、文脈の糸を織り合わせる」が自分の探求するテー

          ① "記憶( 個人の物語 )"が語られ、"記録"され、物語が織り合わさる。

          『怒り』と問題解決

          今回は『怒り』という感情と、問題解決について考えてみました。 『怒り』を含んだ思考は濁っていることが多い。 『怒り』に吞まれながら、問題解決を行うことは可能か?ということについて考えていきます。 『怒り』という感情は『私は正しい』という思考と切っても切れない関係にあると僕は見ます。つまり、『正しい私の世界観(意見)』に合致しないから『怒り』が湧く。 その『怒り』は、別の何かを大切に思っていたり、もしくは悲しみの感情から来るものかもしれませんが、少なくともそこには「私の

          『怒り』と問題解決

          ⑥メサイアコンプレックスへの対処

          前回の記事↓ メサイアコンプレックスとどう向き合うか?今回は、メサイアコンプレックス・シリーズの記事の最終回です。 気づかないうちに、実は様々な弊害を生んでいるメサイアコンプレックス。その対処法や、どうやってそれと向き合うか?について書いていきます。 ここでは、自己の内側にある”メサイアコンプレックス的要素”とどう向き合うか?という目線で書いています。我々のうちには誰しもメサイアコンプレックスに陥いる可能性を持っていると思っていますので、様々な角度で自分と向き合い、自分の

          ⑥メサイアコンプレックスへの対処

          ⑤英雄的なリーダーシップとメサイアコンプレックス

          前回の記事↓ 固定観念としての「英雄的なリーダーシップ」ここまでは、「メサイアコンプレックスとサービスの提供」という視点で見てきましたが、次は「メサイアコンプレックスとリーダー」というトピックについて考えていきましょう。 リーダーとは、関わる人々を”導く”立場であり、その場の課題に対する答えに最終的な責任を持つ立場です。リーダーはフォロワーに対してより高い地位(ランク)で指示したり、または手助けしたりすることが暗黙の了解となっている存在です。 ここでの「リーダー」は必ず

          ⑤英雄的なリーダーシップとメサイアコンプレックス

          ④倫理的に良いサービス提供に必要なことは何か?

          この記事は前回記事からの続きです↓ 倫理的に良いサービス提供とは何か?(提言)ここまでサービス提供者が相手の力を奪う瞬間の条件について見ていきました。その条件は、まずメサイアコンプレックスという事象に無自覚であること、そして支援する人が一時的にでも高い地位(ランク)となりやすい専門知識を豊富に持つ立場などが、一般にこの”罠”にはまりやすそうだということが見えてきました。 それではそのような条件のサービスの中でも良いサービスとは一体どんなものでしょうか?ここで、不完全ではあ

          ④倫理的に良いサービス提供に必要なことは何か?

          ③良いサービス/悪いサービスの条件

          この記事は以下の記事の続きです↓ 「サービスの継続購買」を目指すという信奉から離れて、倫理的に良いサービスとは何か?を考えてみる。さて、ここまで見てきたように、メサイアコンプレックスに元づく「人助け(支援)」もしくは「サービス(貢献)」は、それを受ける側(顧客)の自尊心や能力を育む機会を奪っている危険性があります。 それではこのような状況の中で、我々は本当に良いサービス(貢献)を生み、提供していくためには一体どのような考え方が必要なのでしょうか? それを考えるにあたって

          ③良いサービス/悪いサービスの条件

          ②サービス(貢献)が相手の力を奪うとき

          この記事は以下の記事の続きです↓ 「サービス(貢献)」が実は「親切の押し売り」になっている危険さて、このメサイアコンプレックスに関連してですが、ビジネスの世界で一般に行われる「サービス(貢献)」は、常に「親切の押し売り」となる危険をはらんでいるのではないか?と考えられます。 ビジネス、特に第3次産業では「サービス(貢献)」を行うことで顧客から対価を受け取り、その経済活動が成り立ちます。 ビジネスにおいては一般に焼畑農業のように顧客に一回売り切りを繰り返すよりも、その経済

          ②サービス(貢献)が相手の力を奪うとき

          ①無自覚な「親切の押し売り」〜メサイアコンプレックス~

           メサイアコンプレックスメサイアコンプレックスという言葉を聞いたことがあるでしょうか? メサイアとは「メシア(救世主)」のことです。メサイアコンプレックスとは、自分に価値が無いと思い、それを埋め合わせるために自分が救世主(ヒーロー)でありたいと心のどこかで願ってしまっている状態のことです。 この無意識のコンプレックスにより、人は知らず知らずのうちに”自分自身の願望のために”人を救おうとしてしまうことがあるとされています。いわゆる「親切の押し売り」です。 善意に見えて、以

          ①無自覚な「親切の押し売り」〜メサイアコンプレックス~

          現代社会を俯瞰する記事の紹介

          現代社会を俯瞰する記事の紹介面白かったブログ記事のリンク+僕のコメント(感想) 記事はすべてインテグラル・ジャパン 鈴木さん の記事 共感よりも重要なこと http://norio001.integraljapan.net/?eid=429#gsc.tab=0 鋭い現代起業家批判がまずすばらしい。そして次に、われわれは民主主義社会に生きているようで、実際には「民主主義的」な手続きで社会が運営されてるとはとてもじゃないけど言えないことが指摘されていて、そこも非常に鋭い視点

          現代社会を俯瞰する記事の紹介

          ⑤ "モノ"はストーリーと共に展開する。

          前の記事 モノはストーリーと共に展開する。 完全に人間の内面だけでは内面の話は一切完結しない。 つまり、モノは意志も象徴するし、関係性も象徴する。モノの方に、つまり人間の"外側"に自分の心がある。とまで捉えてみるとしっくりくる。 あるモノをどう配置し、どこに置き、何を置き、誰と置くのか?そこにすべて端的に内面世界で展開されてきたストーリーが現れるように思う。 モノを通して、人と人の尊重と和解、狂気と冷静さの揺れ動きが現れる。 人と人がうまくいかないのは、お互いの共犯

          ⑤ "モノ"はストーリーと共に展開する。

          ④ 集団内の物語は、集団の「外」に支配されて展開される。

          前の記事    集団の対立はまず内部のいがみあい、責任はどちらにあるのか?そんな話から始まる。しかしまず、あの人と比べて自分は優れてる? 劣ってる?そんな話は置いておく。ではどうしたら良いか? まず自集団が集団の"外"の世界の長期変化(外環境変化)に対応できてゆくか?に目を向ける。 長期的な 人・モノ・場所(街) の変化や自然現象の変化を読み、そうした"外"への対応を考える。"内”の違いや対立を考えるのはそれからでも遅くないのではないか。 先に"内部"から始めると、本質

          ④ 集団内の物語は、集団の「外」に支配されて展開される。

          ③ 象徴としての"モノ"

          象徴としての"モノ"モノ(物質)は本来「奥行き(物語)」を含んでいる。  言語化できずともなんらかの理由が存在して手に入った"モノ(物質)" / 買って得られた"モノ"はその役割が終了するまで使われ続ける。 手に入れる理由は明示的でなくても、潜在的でも良い。むしろ潜在的な理由であることの方が多いと思う。 そうして、潜在的な理由をもって 買われる / 手に入った モノは、ある意味で"象徴"として機能する。"象徴"としてのモノには隠れた物語や前提という「奥行き」が存在する。

          ③ 象徴としての"モノ"