治療としての小説について

実は私は小説というものをほとんど読まないです、それはなんというのか…、この世は事実・現実だけで何百億の物語があって、それに加えてこの世ならぬ別世界の物語までをも受け入れる心の余白みたいなものが私にはないからなのです。一方、私は私小説とか、あるいはある程度事実に基づいた物語というものは大変面白いと思ってはいて、最近聞いた話で、かの三島由紀夫は「ゲーテは『ウェルテル』(注:『若きウェルテルの悩み』のこと)を書いたことで、ウェルテルが死んだ代わりにゲーテ自身は生き返った。『ウェルテル』を読んでたくさんの人が自殺したが、ゲーテ自身は書くことによって生き延びた」という趣旨の話を話していて、その三島自身が『仮面の告白』を書くことによって三島自身を生き延びさせたという趣旨のことを話しています。

変な話ではありますが、私は私小説(ではないが、そのようなもの)を18歳の時に一回だけ書いていて、その時には書けなかった、その時にはなかった、絶望的なまでの「苦悩」を、その小説の構想に載せたいと思う気持ちがあります。そこには、バラバラな人物が主人公なのですが、そのどれもが同時に「私」である、といったような感じで、最後の部分を除いてあらすじはできていて、どうしようかとずっと何も書けずにきましたが、「自分を治療するため」という視点で書こうかなと、思っています。

音楽では、これは無理なんです。文字で書けることと音楽で書けることには違いがあって、音楽は不思議なもので、非常に動きのある感情であると同時に、極めて精巧に作られた機械時計のような数学性を求められますが、どちらも「言葉」ではないのです。

その構想については、今のところは全体で三部で、それぞれが前後に分かれているような感じです。あとは、私は作曲家と思い込んでいる何かなので、何かその視点で、音楽的に文章書けたらいいんですが、文才はかけらもないので、難しそうです。

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