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胸の内を話せる

 学生の頃は純粋でなんでも話せる友達がいることが多いです。でも、大人になると社会という枠組みができ始めて、環境がそれぞれ変わったり、利害関係ができたりでなかなか本音で話せる場面が少なくなってくるのを感じます。

 そのことに気付いた時、大人になるってどういうこと?成長するってこういうこと?なんだか騙されたような、いたたまれないような気持ちになりました。大人になるってもっと可能性が開かれ、人としてももっと素敵になり、ますます本音で素晴らしくなると思っていたからです。

 純粋に思っていた私には大人の世界で器用に生きることはとても難しく、口で言っていることと、心で思っていることが違うことが瞬時にわかってしまうから余計に混乱しました。

 おかげさまで教育の世界に職場が入られたことで、少なからず純粋性は保たれました。それでも、職員同士の駆け引きにはどうしても疑問だらけで、私には馴染めませんでした。

 娘が胸の内を語ってくれました。彼女も大人になるに連れて、本音と建前があることを学び、自分の感情だけを人にぶつけてもうまく行かないことを学びました。でも、上手に平和にみんなとうまく過ごそうと思っても、どうしても自分の心に溜まってしまうものがあります。本当だったらそれを正直に表現することができると良いのでしょうが、なかなかそれは難しことのようです。

 時間をかけて親子関係を築いてきたおかげで、娘は私を信頼して語ってくれます。胸のうちにしまっておかずに語れる人がいるということは宝だと思っています。

 私の母は、母にとって都合のよい語り手であった私でしたが、私にとっては支配される存在だったので、大人になってから本音で語りたい相手では無くなっていました。母は、自分の親にも娘の私にも依存して語ることができていたからよかったのかも知れません。私は、本音を語れる相手を探して探して求めていました。しかし、そうなかなかいるものではないのが本当のところです。

 今では、学びの友だった人が心友になり、お互いなんでも胸の内を語れる存在になりましたが、それもここ5年ぐらいのことなので、探して探してやっと諦めた時に現れた感じです。そして、娘を自分なりの教育方針で育てたことで、大人になったらと見返りを少しも期待していなかったら、なんと一番信頼できる胸の内を語れる存在になりました。したことは返ってくると言いますが、まさしくその通りです。

 私は母に支配されたから、大人になってから心が離れました。子供は支配したくない、どんなに小さくても魂は対等、たまたまご縁で私が先に生まれて親としている役でそこに子供として生まれてきてくれたのなら、敬意を払って当然だと思って育ててきました。言葉がわかるようになってからは、どんなことでも「あたなはどう思っているの?」と。その対等性からか、今でも胸の内を語り合えるよい関係性です。

 親子で胸の内を正直に語り合える関係性がもてたら、みんなもっと幸せなのかもしれないと思うのです。でも、残念な親もいるので、そうしたら、友人、それが見つからなかったら、心の学びをしているプロでもいいと思うのです。正直に胸の内を語れる相手が一人でもいるということは心の財産です。

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