見出し画像

出来事が教えてくれる「メッセージ」とそれが示す「意味」

 昨日、イベントくじのラッキー777を当てておめでとうの鐘を鳴らしてもらいました。ラッキー7が3つ揃ったことで、「幸運が来てるかもね」と思える感じもしたし、それが起こる前から、なんとなく予感していたことも素敵な感覚でした。

 今日、カフェへ行きました。オーダーして少し待つ間にサイコロ状の待ちナンバーを渡されました。なんと、また7でした。サイコロ状にどこの目にも7が書いてあるので、ちょうど3面が見えて、また777ということでした。昨日の今日なので、「?!」今度は何なのかな?とちょっと不思議につままれた、でもまたちょっといいことが起こりそうな予感もしました。

 カフェで友人と会い、特別何かあったわけではありませんでした。2時間ほど過ごしての別れ際、友人は、日にちを勘違いしていて、私とは来週会う予定だと思い込んでいた様子でした。そう。今日、カフェで会ったのは思わぬ偶然だのだということが最後の最後でわかりました。

 ということは、たまたま、友人はそのカフェへ来てくつろごうと思ったら私がいたということです。私は、約束通り来ているので、普通だと思っていましたが、それは、偶然が導いてくれた勘違いだけれどちゃんと良い方向へお互いの時間が重なり合ったということでした。これを幸運と呼ばないでなんと呼べばいいのでしょうか。

 事実がわかった時、友人は、あまりの偶然に本当に驚いていました。
1週間勘違いしていたのですから、本当だったら会えなかったのですから・・・こんなことが起きるのですね。今日の777のメッセージもちゃんといただきました。こうした予感は大歓迎ですが、反対にちょっと気をつけた方がいいよ!という予感も大切です。

 まだ、若かった頃、恋愛で選択を迫られていた時、初めての交通事故にあったことがあります。車同士が触れてしまった小さな接触事故だったのですが、とても大事となり事故の大きさより、もめて大変な時間と労力を使うこととなりました。
あまりにも大事になったことで、このことは「私に何かを気づきなさい」と言っているような気がしました。そして、初めて「自分の今の恋愛の選択は物事が大きく変わってくる分岐点にいるのだよと言われているのだ!」と気づいた瞬間から、事態は収縮の方向に向かいました。こんな風に気付かされる予感というものもあるのだと学ばされた時でした。

 それ以来、いろいろな出来事のメッセージ的な意味というのを感じるようになりました。出来事の事実ばかりではなく、このことは私に何を語っているだろうか?と思うようになりました。それを何十年も積み重ねてきたお陰で、人より少し敏感に物事を俯瞰して感じることができるようになりました。

 今は幸運が呼んでいるタイミングのようで、それを予感するのが楽しい時です。

ありがとうございます。サポートいただいたお金はワークショップ開催等の費用に充てさせていただきます。