素朴な味の喜び

 子供の頃、母はいつも辛いことが多く、ほとんど怒りながら料理をしていました。作らなくてはいけない義務から作ってくれるご飯は、申し訳ないけれど少しも美味しくなくて・・・。子供心に、あんなに一生懸命に時間とエネルギーを注いでいるのに美味しくないものができることがとても不思議でした。

 たまに外で食事をすると、あまりの美味しさにびっくりしました。「そうか、お金を受け取れるほどのプロだから、やっぱり美味しいのだ。」と納得してました。

 しかし、自分が大人になって一人ぐらいしを始めた頃から、本を片手に料理を作り出しました。思ったほど難しくもなく、お金を支払ってもいい、いや自分の好みのもっと美味しいものが出来上がりました。

 最初それがどうしてなのかわからず、一体母と自分とにどんな違いがあるのか?母の手間暇かけている労力はすごいものなのに、何がどこが違うのか?そして、心の学びを続けていくうちに、感情が食べ物に転移しているのがだんだんわかってきました。

 純粋に真心込めて作ったものは本当に美味しいのです。しかし、自分のストレスからの苛立ちまぎれに作ったものには感情という毒のエネルギーが入っているので、美味しくないのです。

 世の働く若きお母さん世代が、忙しさとストレスでこの感情の毒の入った料理を作っていないことを願います。良かれと思っている毎日の料理。そこに本当の愛情を入れる努力。小さなことだけれど実はものすごく大切なことだと思うのです。

 母の何かしら手の込んだ料理は、私にはどうしても口に合いませんでした。しかし、今でもずっと美味しいと思える懐かしい料理が、ただ茹でただけのもの。ただ蒸しただけのもの。素材の素朴な味が、なんの感情にも左右されず、シンプルに美味しかったのです。素朴な味を教えてくれた母に感謝しています。

 今日、サツマイモを私なりの秘伝を加えて蒸しました。少し手間暇かかるのですが、最後はゆっくりと蒸すだけ。素朴な味に食後のデザートにしました。秋を感じる、身体に優しい美味しさでした。

 最近、忙しさで量をかけ込むように食べていた自分に気づき、自然のものを素朴にいただく身体調整の原点に振り返ることができました。身体が求めているものをちゃんと感じて食することで、中国で言われる医食同源になるのだと思います。

 身体の中からの声をちゃんと聞いて、素朴な味の豊かさに触れることができて幸せな時間でした。

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