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お腹が空くのが怖かった。

ご飯が食べられなくなった時、周囲の人から言われるほどの自覚はなかったけれど、どんどん痩せていきました。

インターンでのプレッシャーや重圧、家族と就活の話があまり出来なかったこと、ストレスが原因の部分もあるので、決して死ぬほど痩せたい!というほどではなかったけれど。それでも、痩せていく過程での身体と体重の変化は自分にとってすごく心地の良いものでした。

朝はバナナ半分と納豆半パック。昼はサラダチキン。夜はさけるチーズ1本。そんな日もありました。とにかく咀嚼すれば、殆ど何も食べてないことになる、どこで聞いたのか、そんなことを思っていたので2時間かけて駅のベンチでコンビニのおにぎりを1個食べていたこともあります。

ゆっくりゆっくり噛んで、脳みそが「お腹空いた」と感じるのをバグらせるようにしていました。「本当にお腹空いた?」と何度か問いかけて、「空いていない」と考えるようにしていました。

自覚はないほどに痩せ切って、胃袋も小さくなり。おにぎりを1個食べただけで血糖値が上がって眠くなって、倒れるように眠るようになってしまった頃には、私の中に「食欲」という概念はもうほとんどなくなっていたように思います。

拒食と過食は紙一重。食べなさすぎる反動で、今度は頭のネジが切れたようにむさぼるように食べてしまったらどうしよう。その不安がどれほど食べれなくなっても、常に頭の片隅にありました。一度インターンの勤務日にあまりにも食欲が湧いて、菓子パンを一気に3つ食べてしまった日がありました。戻したりはしなかったけれど、あの時の自分が自分ではない感覚が、私の中に生まれる「食欲」をまるでモンスターのように捉えるきっかけになったのだと思います。

幸い、それ以降菓子パンなどを無茶食いするようなことはなかったです。けれど、一度知った感覚はとてつもなく恐ろしい恐怖心を私に与えました。「もしお腹が空いたらどうしよう」そう思い、バナナ半分をあらかじめ捨て。納豆半分をあらかじめ捨て。残りの半分を、脳が「満腹だ」と嘘でも思うようにただただ時間をかけて咀嚼し、食べていました。

当時は、お通じも2-3週間に1度行くか行かないか。今考えたら、少し驚く頻度です。けれど、お通じによって空いたお腹の面積分の何かを食べたくなることすらも怖かった。とにかく「食」を欲する自分を目の当たりにすることが怖かったです。

お菓子や菓子パンの無茶食いはなかったけれど、時々プツンと糸が切れたように目玉焼きを3つ食べてしまった時。豆腐を1丁食べて泣いた時。買った焼き栗を半分食べて、捨てた残りを漁るように食べたくなった時。少しずつ食べようと思って冷凍していたライ麦パンを、脳は食べたくないのに欲する身体に抵抗できずに泣きながら解凍していた時。何を食べたか、刻銘に記録して「こんなに食べてしまった」と罪悪感に駆られて消えたくなった時。

貰ったお菓子の一口分を口に入れて、「美味しいと感じてもっと食べたくなったら」と恐怖が襲い、やっぱり飲み込めず出してしまった時。勇気を出してした外食で、「これ以上食べたら」と怖くなって、やはり飲み込めずに出してしまい「もう無理だ」と食べるのを諦めてお会計をした時。

これ以上お腹が空くことがすごく怖かったです。

それでも、
「白米は絶対に“太らない”から大丈夫」
「健康的な食事なら、変に太ることはないよ」
「お腹が出てることと、太っていることは必ずしも結びつかないからね」

信じられなかったあの時かけてもらった言葉。少しずつ、少しずつ私の身体が許して受け入れてくれているようなそんな気がします。もちろん、まだまだ怖いところもあるけれど。まだまだ、食欲は分からないけれど。おなかが空くのが怖くないわけではないけれど。

段々、お腹の容量が減ってきたな。そう思える瞬間があって。その時に食べるご飯が美味しかったり。誰かと少しずつ囲めるようになった食卓で美味しいを共有し合えたり。

お腹が空くのが怖かった。

今は、おなかが空くのは時々怖くて、時々嬉しい。

そんな感じの現在です。

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