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人生は選んだ方を後から正解にできる

学校のテストでは、正解を選ばないと間違いになります。つまりは正解が先にあって、その正解を選べるかどうかということです。だけど、人生では選んだ方を後から正解にすることができます。つまり先に正解はないんです。

なのに、どういうわけか僕たちは行動を起こす前から正解を求めてしまいます。選んだ方を後から正解にできるというのは、聞こえはいいけど、後から正解にするためには、多少なりとも行動が必要になります。

なので、行動したらすぐに正解にできるとも限らないんです。正解が先にあれば、選択肢の中からひとつ選べば、正解か間違いかはすぐにわかります。だけど人生では、選んだ方を正解にするためには時間がかかることもあるんです。数年単位で時間がかかることだって普通です。この時間差が不快に感じることもあると思います。

後から正解にできるというのは、間違いにもなるということです。考えようによっては、1,000回失敗しても1,001回目で成功すればそれは正解となるし、1,000回目で諦めたらそれは失敗になります。ある意味では根性論と隣り合わせのところがあるかもしれません。

正解なら正解、間違いなら間違いってはっきりした方が気分的には楽です。結果がどうであれ安心感があるからです。正解かもしれないし、間違いかもしれない、こういうはっきりしない状態というのは、感情的には意外と苦しいです。安心感がないからです。だからこそ、正解を求めてしまうんですね。

「自分の才能は何なのか?」
こういう自分に対する問いかけも、もしかしたら正解探しなのかもしれません。先に自分の才能がわかれば、それをやることで正解に近づくからです。実際は、才能があるから結果が出るのか、行動しているうちに才能が磨かれて結果が出るのか、どっちなんでしょう?卵が先か、鶏が先かに近いものがあります。

人生は先に正解はありません。あの人と結婚すれば正解かなんて、結婚する前からわかるはずがないんです。たとえ結婚したからといって、一生幸せかどうかもわかりません。離婚を選択する人だっているし、そもそも離婚が間違いかどうかだってわかりません。

ただ、人生はいつだって選んだ方を後から正解にすることはできます。それは、正解になるまでがんばろうというわけではありません。どっちを選んでも正解にできるというのであれば、正しそうな方よりも好きな方を選んだ方がより幸せになれると思います。もっと気楽にリラックスして選んでもいいのかもしれません。

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