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救いとなる音

職業柄、音楽を純粋に「音を楽しむ」ことが出来ずあちこちから聞こえて来る音楽に対して「踊りたいかそうでないか」で選別してしまうのは割と不幸なんじゃないかと思う。どうにかして無心で受け入れようとするのだが、音楽のみならず虫の声や工事現場の音にさえ音色やリズムを見出してしまいそれらにダンスを被せてみたらどうなるのか興味津々になってしまうのはもう呪縛の域だと思う。

そんな僕でも無心で浸れる音楽というものがたまに存在する。

古くはSteve Reich、Terry Riley、Philip Glassなどのミニマルミュージックの始祖達の曲を聴くたびに無心と言うよりは脳が麻痺していく心地良さを感じていたが、去年Instagramで突然流れてきたイタリア出身のアーティスト Alfonso Pedutoの演奏を聴いた時に全く異なる感覚を味わい絶句した。

水の流れる音、風が木の葉を揺らす音、蝉時雨、秋の虫達の合唱、雪が降り積もる音、それらは他の地域の人達には雑音にしか聴こなかったりそもそも何も聴こえなかったりするらしいが、我々日本人にはそれらを聴いて心が動かされるという遺伝子が組み込まれている。

Peduto氏が同じような感覚を有しているかどうかは分からないが、西洋音楽の基盤の上に最新テクノロジーを駆使して生み出された凶暴な教会音楽のような彼の作品群は咽せ返るような暑さの中で鳴り響く蝉時雨や滝壺の轟音を想起させる。

始まりも終わりも無く喜びも悲しみも無く在るのはただ情景だけ。

変な感情も動きに変換してやろうなどという不埒な気持ちも湧かないので全てをシャットダウンして音の洪水に溺れていたくなる。気付けばアルバムを最初から最後まで聴き通し、あぁほんとうに音を楽しむことが出来た、と少しホッとする。

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