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大人も民主主義を学ぼう(まちの不思議 おもしろ探究日記 #16)

(本記事は雑誌『社会教育』2023年10月号に掲載された記事を転載しています)

8月6日、シェアリング・ラーニングで「子どもたちに民主主義を教えよう×大人たちも民主主義を学ぼう~工藤勇一さんと100人のリアル対話会~」というイベントを開催した。
千代田区立麹町中学校の校長として話題になり、現在は横浜創英中学・高等学校で校長として学校改革を進める工藤勇一先生をゲストに、民主主義について考えながら対話を重ねていくイベントである。
昨年、工藤先生が共著で出された本『子どもたちに民主主義を教えよう』の読書会と対話の場を事前に三回開き、イベント当日も、工藤先生からお話をいただいた後に4~5人ずつに分かれての対話を行った。

100人が対話している様子

工藤先生のお話の中でキーワードに挙がったのが″Agency″という言葉であった。OECD(経済協力開発機構)が教育理念として定めている概念で、日本語で言うと″当事者意識″や″主体性″という言葉が近いだろうか。
一人ひとりが社会の中でよりよく生き、よりよい社会をつくっていくことを目指していく中で、責任ある行動をとる力(自律)や、対立やジレンマを調停していく力(対話)、新しい価値を創造していく力(創造)を身に付けていくということの中心にある、主体的な学びの在り方のことである。
日本の学校教育において、このAgencyは圧倒的に欠如しており、だからこそ今、教育の大きな転換が求められているという事であった。

″Agency″という言葉は、たしかに感覚的につかみにくい言葉である。
参加者の方からも、「結局のところ、Agency=当事者意識を育むためには、どうすればいいんでしょうか?」という質問があがった。
これに対し、工藤先生の答えは単純だった。
「子どもたちに学校をあげるということです」と。
「ただし、多数決による数の論理は使わず、全員がOKとなる答えを見つけること。」

工藤先生は、学校の運営や学校での学び方について、どんどんと子どもたちに渡している。運動会の競技を何にするのか、修学旅行をどうするのか、授業中の時間の使い方についても、子どもたちが当事者として自分たちで決めていく。
例えば、修学旅行のプランは、旅行会社との折衝からプランづくりまですべて子どもたちが行った。全員がOKという答えを探し求めた結果、七通りの修学旅行ができあがったという。百五十人規模の団体での修学旅行もあれば、最少催行人数の六人の修学旅行もあった。その結果、全ての子どもたちは満足し、クレームは一つも出なかったという事である。

この七通りという答えが民主主義の正解ということではない。
この答えを出すまでの過程で民主主義を学ぶことができる、という事が大事なのである。多数決による数の論理を使わずに、全員がOKと言える状態を目指し、そのために必要な、自律・対話・創造のスキルを身に付けていく。そのために、学校を子どもたちにあげるのである。

工藤先生の話を聞きながら、「これは、大人も同じだな」と私は感じた。
大人たちには、学校ではなく、「まち」をあげてしまえばいいのではないだろうか。
というか、「まち」を市民として、勝手にもらってしまえばいいのである。

「まち」は、一人ひとりが当事者として関わりつくっていくことができる社会として、無限の可能性を持っている。
まちは誰がつくるのか。
どんなまちがいいまちなのか。
その正しい答えが存在しない曖昧さゆえに、新しいフィールドをどんどんと作り出していけるのだ。
実際に、今私がまちで取り組んでいる活動のほとんどは、まちを勝手にもらうことから始まっている。
「まち」は自分たちでつくっていい。
ただし、多数決の数の論理を使わず、全員がOKとなる答えを探していくのなら。

具体的には、まずは自分が抱える困りごとや好きなこと、つまり自分がどんな当事者性を抱えているのかを自覚して、まわりと共有することから始めてみるといいのではないだろうか。
そこから、自分なりの活動を始めてみようとか、好きなことをまちで広めてみようとか、パブコメを出してみようとか、選挙を盛り上げてみようとか、これはあくまでも私のやり方だが、一人ひとりがそれぞれのやり方で新しい答えをつくり出していけばいい。その過程で、自律・対話・創造のスキルは必ず求められる。

そうやって「まち」を市民としてもらってしまって、自分たちのAgencyを育んでいくことで、大人たちも民主主義を学んでいくことができるのではないだろうか。

もちろん、それはそう簡単なことではない。
面倒くさいことも嫌になることもたくさん起こる。
事前の読書会や当日の対話の場でも、この「全員がOK」といったことを望まない大人との関わり方が一番難しい、といった話は多く挙がった。

何か問題が起きた時に、民主的な解決方法を望む人とそうでない人がいる。誰もが、常に「民主主義を学ぶ」という事を至上命題としては生きてはいないのである。だからこそ、民主主義は学校教育という機会で子どもたちに教えていかないといけないのだと工藤先生は言う。
しかし、大人たちも、「まち」を勝手にもらってしまうことで、民主主義を学ぶ事はできるのだと私は信じている。そして、そこにこそ社会教育の可能性がある。

10月は、雑誌をあげて『オクトーバー・ラーニング』に取り組んでいく。市民による市民の学びのお祭りだ。私は、14日に「読者交流会プラス~生きた学びを自分に取り戻そう~」を開く予定にしている。
一人ひとりが、自分の当事者性と向き合い、そこから全員がOKと言える社会を目指していく中で、生きた学びを自分に取り戻す。
そんな学びを励まし合っていけるような仲間たちと、出会える機会にしていけたらいいなと思っている。ぜひ、皆さまご参加ください。

▼ 社会をつくる学びを提案する 『社会教育交流サイト』

▼ 雑誌『社会教育』

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