チアとの出会い
こんにちは🌞
元NBAダンサーの小笠原礼子です。
高校のパンフレットに載っていたチアリーダーの写真に心奪われ、迷わずその学校を受験しチアの世界へ。
動機なんてこんなものです笑
ちなみにダンス経験なし、強いていうなら高校デビューを夢見て猛練習したパラパラダンス。(残念ながら披露の場はなかった)
私たちのチアチームは応援団とくっついていて、運動部の応援や学祭が主なイベントでした。
田舎で指導者もいない、今みたいにYouTubeや Instagramもない中でみんなで試行錯誤しながら取り組んでいました。
ある時、なぜか青森県内の高校からチアリーダーたちが集められました。
何をするかわからないまま運動着で体育館で待っていると
Let’s go!!!!!
All right!!!!
Go! Fight! Win!!!!!
めちゃくちゃ元気な4人のお姉さんが入って来ました。そしてその内の1人が他の3人に持ち上げられ、空中でクルクルっと回転し、また更に持ち上げられ綺麗なY字バランスでピタっと止まりました。
しかも終始笑顔。
私たち田舎のチアリーダーたちが、初めて本物を見た瞬間でした。
技のすごさだけではなく彼女たちの弾ける笑顔と溢れる自信、オーラに圧倒されました。
実はその翌年に2003年アジア冬季競技大会が青森で開催され、そのオープニングセレモニーの前座で県内のチアリーダーが集結しパフォーマンスをするという企画だったらしく、当時の日本チアリーディング協会から指導者を派遣したのでした。
それから定期的に青森に指導者が来てくれるという夢のようなことが起き、私は新しく習った技や彼女たちが発する一言一言に夢中になっていきました。
仲間を持ち上げたりキャッチしたり、危険が伴う技ばかりだから信頼関係が必要。
一人じゃできない、でもみんなで力を合わせるとこんなすごいことができる。
チアリーディングの魅力にハマっていきました。
キラキラワクワクの反面、
それと同時に強いコンプレックスと嫉妬も感じていました。
「東京のチームいいな、こうやって教えてもらえたらわぁも(津軽弁で私も、の意)もっと上手くなるのに」「そういう環境ならわぁももっとできるのに」「大会とかどうやって出るんだべ、、いいなぁ」
そこで初めて、自分が指導者になればいいんだと気付きました。
すごいチアリーダーになって、沢山教えられる人になる!
当時の語彙力で表すととまさにこんな感じです。
世間知らず、身の程知らず。きっともっと効率の良い方法が沢山あったと思います。
それでも自分なりにワクワクする方向へ迷わず進むと決めたことは良かったし、結果遠回りに見えることも私にとっては結果最短ルートでした。
振り返って今思うのは、当時感じていたことは
・自分をどんな環境に置くかは重要
・変えられない環境の中で自分が変われることは何か
・直感(ワクワク)が大事
これがチアとの出会い、そして私の夢のはじまりでした。
最後まで読んでくださりありがとうございました☺️
元気勇気笑顔!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?