見出し画像

「ハウス・オブ・フィールド」

私にとって特別な一冊がようやく今、刷り上がろうとしています。

パトリシア・フィールド・アート・コレクション「ハウス・オブ・フィールド」/中村キース・へリング美術館より出版

この本は、私が過去に7年間、専属でグラフィックのお仕事をさせていただいた、パトリシア・フィールドが、彼女の自宅またはブティックで50年以上もの時間をかけて蒐集した作品を、彼女をとりまく「House of Field」(ハウス・オブ・フィールド)という家族的な媒体を通して見つめたユニークな作品集です。
全くの無名から著名なアーティストまでをごちゃ混ぜにして詰め込み、まるでニューヨークのイースト・ヴィレッジの歴史やカルチャーをそのまま体現しているかのようなコレクションとなっています。洗練され、一貫性を称えた作品集とは異なる、生で独特の世界観を体感していただけたら幸いです。
こちらは中村キース・へリング美術館で現在開催されている展示「Patricia Field Art Collection THE HOUSE OF FIELD」(「ハウス・オブ・フィールド」展)にちなんで出版された画集になります。中村キース・へリング美術館は、ニューヨークが生んだ偉大なストリートアーティスト、キース・へリングの作品に特化した、世界で唯一の美術館です。
この本のデザインの依頼を受けた時、私は自分の17年間のNY生活の集大成になると感じました。
私にとって、ニューヨーク生活はチャレンジの連続でした。そして、この本のデザインが、私にとって新たなチャレンジとなったことは言うまでもありません。

ハウス・オブ・フィールド展    2023年6月1日 (木)〜2024年5月6日(月)

私は2006年にNYに渡り、2009年にパトリシア・フィールドで働く機会をいただきました。私は日本にいる頃から、彼女の手掛けた作品の大ファンであり、また彼女を取り巻くNYアンダーグラウンド・シーンに憧れを抱く一人であったため、まさか自分がそんな夢のような場所で働けることになるとは思わず、自分の運の良さをこの時ほど痛感したことはありませんでした。
当時の稚拙な英語力やデザインスキルにも関わらず、入店当初からセックス・アンド・ザ・シティやヴィダルサスーン、メイベリン ニューヨークなどの名だたるデザインプロジェクトに参加させていただき、グラフィックデザイナーとしてもニューヨーカーとしても経験の浅かった私は、厳しく美しく、そしてたくましい「お姐さま方」に心も体も鍛えられ、徐々に「House of Field」の一員として振舞うようになっていきました。
今でこそLGBTQ+に理解の深い世の中になりましたが、パトリシア・フィールドは創設時の1966年からずっと、ダイバースのメッカのような場所でした。「ストレートの私」はむしろそこではマイノリティな存在であり、また、ゲイ、レズビアン、ドラァグクイーンやトランスセクシュアルの彼女達からは、「マイノリティのアジア人女性」としての、ニューヨークという街での強い生き方を一から叩き込まれました。

REIKO、AYUMI、FLAME、GISELL at PATRICIA FIELD STORE

社会に迎合できず、世間からつまはじきにされるような者達が、まるで電光に吸い寄せられる夜の蛾のように彼女のもとに集まって、他を寄せ付けないような刺々しさで存在していた、その「House of Field」という母体に女王として君臨していたのが、パトリシアです。
彼女の周りには、良い意味でも悪い意味でも、常にたくさんの人が集まっています。かつてはバスキアやキース・へリングも彼女の店に出入りしていました。ニューヨークで生まれ育った彼女は、ニューヨークの流れを常に鋭い視点で見つめ、男性社会に迎合することなく世界中に流行を発信してきました。
常に才能のあるクリエイターに囲まれ一線の仕事をする彼女の下で働き続けるために、私ができる事は誰よりも多くの仕事をすることでした。
駆け出しでセンスが良いわけでもなく、英語も稚拙だった当時の私にとっては、与えられたすべての仕事がチャレンジであり、自分を奮い立たせるきっかけとして、髪の毛をまっ黄色に染め、とにかく一つ一つの仕事を寝る暇も惜しんで全力で取り組みました。
昭和世代の厳しい母親のもとに育った私にとって、唯一できる事は人より少し多めの努力をすることで、その努力と運の両方の後押しで、その後彼女の下で7年間もの間、たくさんの素晴らしいプロジェクトに携わることができました。

私はティーンネイジャーの頃からパンクカルチャーに没頭しており、パトリシアは私にとって、「パンク」を体現している憧れの女性の一人でした。彼女は私が好んで聴いていたようなパンクやハードコア等は音楽的には全く興味がありませんでしたが、彼女の存在や生き方そのものが私にとっては誰よりもパンクであり、その印象は今でも変わっていません。

私は一つのシーンやカルチャーにとどまる事が苦手なタイプであり、同じような価値観の者通しで群れるのも苦手であるため、日本でもNYに来てからも、特定のシーンには馴染めずにいました。様々な相反するカルチャーや音楽が好きで、見たことのない世界への憧れが強く、ある日は全身レザーに身を包み、その翌日は思い切りシンプルなワンピースを着たりするような、一つのスタイルを持つことが苦手な私が、人生で初めて、ルールなし、国籍も性別も年齢も関係なしの「House of Field」というコミュニティにすんなりと馴染めたのは、私にとって衝撃的な経験でした。そしてそこは、私を「変な人」もしくは「あのアジア人の女の子」ではなく、一人の人間として扱ってくれた、初めてのコミュニティでした。
女帝であるパトリシア本人も、何者でもない私に、まるで上司とは思えないようなフラットな態度で接してくれ、そして私の考えやアイディアを尊重してくれ、私は自分が初めて自分の生き方が肯定されたような感覚を覚えました。

パトリシアのモットはー、高級品と、リーズナブルで若い人にも手の届くチープファッションのミックスです。そしてユニークな一点物、自ら見出した無名デザイナーのコレクションなど、世間に媚びる事なくメディアに推奨しました。彼女は『Vogue』や『Harper’s Bazaar』などのファッションマガジンが作り出すトレンドには、全く左右されない唯一のスタイリストです。テレビドラマでは20ドルのペイレス・シューズと、5000ドルのシャネルのジャケットを組み合わせました。なぜならそれがそのシーンにフィットしている、と彼女が思ったからです。

パトリシア・フィールド・アート・コレクション「ハウス・オブ・フィールド」
岸雅代「虹色の日々 ニューヨーク」エッセイ より引用

この本のエッセイ部分でも、スタイリストの岸雅代さんが触れているように、パトリシアは世界のファッションシーンにおいて絶大な権力を持つ、VOGUEやHARPER'S BAZARR、著名なハイブランドなどに媚を売らずに(むしろ唾を吐くようなスタイルで)自らのキャリアを頂点まで築き上げた唯一のスタイリストであり、「スタイリスト」という職業さえもを、舞台裏からスターダムへと持ち上げた偉大な人物です。

Meryl Streep, left, and Patricia Field work together on "The Devil Wears Prada." (Barry Wetcher/20th Century Fox/Kobal/Shutterstock)

私にとって「パンク」とは、人生に対するアティテュードであり、それは長い物に巻かれず、独立しており、自分だけの意見を恐れずに言えることであり、パトリシアはそんなチャレンジを生涯をかけて体現しそして成功し続けている、数少ない女性の一人だと思っています。また、一定の年齢を過ぎると過去の栄光を延々と語り続ける人の多い中、過去に手にした成功には全く興味がなく、80を超えた今でも現在の事にしか興味がないということ、そしてチャーミングな不良であり続けている事も、私が彼女のことを今でも大好きな理由です。

私が描いたパットの肖像画。原画は母の日に彼女にプレゼントしました。

そんなパットの下で7年もの間、唯一の専属グラフィックデザイナーとして働けた事は、私にとって人生の大きな宝物です。
私はファッション業界での経歴を捨て、現在は、副業であるグラフィックデザインをする傍ら、「イラストレーター」という新しいキャリアのチャレンジをしています。なかなか芽が出ず、繰り返す挫折との戦いですが、ようやく去年、事務所に所属することができました。
私は自分の道を切り開く為に彼女のもとを離れましたが、彼女の功績を形作る上で切っては切れない「House of Field」に関わる歴史的な文献に、このような形で携われたことを本当に幸運に思っています。この本にはコレクションの作品だけでなく、プライベートな写真も含め、私の好きな「House of Field」を表現し、大切な想いを凝縮してデザインしました。
今では友人として連絡を取り合っているパットを始め、パットで出会った家族のような存在の日本人達、今では連絡も途切れてしまったたくさんの友人や素晴らしい先輩方も含め、全ての人に感謝を込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?