気がかり

私は忘れっぽい。
思えば子供の頃からぼんやりしたタイプだったような気がするのだけれど、最近そのぼんやりが更に顕著になってきた気がする。
否、頭の中は常ににぎやかなのである。あれしたいこれしたいとか、色んなアイデアや哲学じみた1人議論のようなものが湧いて出てくるのだが、それはその場で生まれて花火のようにパッと消え、私の頭の中には何も残っていない。
ひらめきが多いからこそ、神様は記憶の持続力を私からなくしたのかもしれない。そんな風に、人間って色んなことのバランスが取れているのかも。
そんなことはどうでもいいか。とりあえず問題はただでさえぼんやりしている私の頭のポカ度合いがこの春更に増してきていることである。
とりあえず対処法として、安心して忘れられるように自分が気になってきることや思いついたことなど、少しでも引っかかったり形にしたいアイデアなんかはスマホのメモ帳に書き起こすことにした。こなしたタスクがあれば都度メモを削除していく。そのなも「気がかりメモ」である。
そんな気がかりを書く習慣をつけていたところ、なんと気がかりは3日間で40個になった。
自分でもそんな短期間に気がかりが出てくるとは信じられなかった。だけど、これはきっと、私が日々のなかで少しずつ解消していくべきだった気がかりを見て見ぬ振りしてきた代償である。
それらを忘れても違う気がかりとして私のもとへやってくるだろう。ならば、するべきことはひとつひとつ、できることから気がかりを解消していくことだけである。
そんな「気がかりメモ」の内容はというと、「100均でスプレーを買う」とか実用的なことから、「今度自分が企画するイベントの内容を考える」といった活動のこと、「ずっと気になっていた映画を観る」みたいな、楽しみだけどやれていなかったことなど多岐に渡る。
多すぎて途方に暮れるが、とりあえず今優先してやった方がいいであろう、イベント企画を考えることから始めた。私はスマホは外出先ではモバイル通信をオフにしているため、移動中ネットやラインを使うことはない。この時間を有効活用し、イベントのタイムスケジュールを作った。
あとは、知人にあげるはずだった、自分の持っているパソコンを初期化するのに手こずり放置していたが、こういうのも思い切ってやった。ワンピースがほつれていていつか直そうと思っていたけどめんどくさいから放置していたけど、これもぶきっちょながらにお直しした。
ああ、どこまでいっても「めんどくさい」はいついくるもんだな、と気がかりを解消していくうちに思った。だけどその面倒くさいは、面倒に思えることから逃げれば消えるわけではない。ワンピースのほつれを直すことから逃げれば、ごはんを作るのが面倒くさくなる。それも面倒くさくなれば、お風呂が面倒になる。歯磨きも面倒で、その面倒の成れの果てが「生きるのって面倒くさい」になるのだ、きっと。
人は放っておくと、あっという間にすべてが面倒くさくなるから。そうだ。生きるために、私はワンピースのほつれを直すのだ。
そんなこんなで、少ないながらも解消された気がかりたち。それらを書いていたメモを削除すると、不思議と少しだけ心の風通しがよくなったような心地がした。

生きることは、気がかりをひとつひとつ、つまりを解消していくことだ。地味だけどやっていきます。
それをやっていくことは、たぶん、「私は生きていきます」という意味と同義なのだと、そんな風に思う。

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