ムダ

先日、毛糸を11玉購入した。
さてはて、空花伶のエッセイ「生活」愛読者こと「ライファー」の皆様(今、突貫工事でつけたこちらのエッセイの愛読者名)はこれを聞いて、「おい空花、おまえさん節約生活云々言っておいてそんなムダの極みみたいな買い物をしたのか。知らん。もうお前の気まぐれっぷりにはぷんぷんだ、もん、ゆうこりん」とお思いのどなたかの声がテレパシーで今、しっかりと私の胸に届きましたよ。

ちょっと待って下さい。弁明タイムを私に下さい。

確かに私は先日より節約(という名の、今あるものへの豊かさを日々に見出す)生活をしている。めざせ!食費一ヶ月一万円生活も絶賛継続中である。
金額面だけではなくて、スケジュール帳に1時間タイムでやることをスケジューリングして事細かに日々の計画を立てたりもしていた。
だけど、先日エッセイに綴った定期券未遂事件(https://note.com/reikuuge/n/nf952e715b1fe)を機に、私のその「やるからにはきっちりと」感はいい意味で崩れた。
どんなにきっちりとやり遂げようとしたところで、うまくいかない時にはいかない。そして、自分に厳しくする分だけ、誰かにも無意識的に厳しい目線をむけてしまう。そんなことに気がついた。

だから、私は日々の日課を見直した。
日々の表現活動のための時間(最低限、毎日ラジオ配信とエッセイの更新)は必ずとるけれど、それ以外のお風呂だったりごはんだったり、そういうことは日々の生活の中で心地よい時間は変わってくるし、事前に予定を立てていようとその時々によって予定が変わることがある。そういう時には、スケジュールを完璧にこなすことよりもその時の気分や流れを大切にすることにした。
そして、スケジュールを詰め込みすぎると日々の中から余白が消えてゆく。余白が消えてゆくと、心のゆとりが消えてゆく。私にとって、余白がないこと、ムダを日々から省くことはとてもさみしいことなのだ。

私はムダが好きだ。なんの生産性もない深夜ラジオを聴いたり、何度も聴いている大好きな音楽、何回も観た映画を観返したり、そういう時間が好きだし、実はそんな時間が人生において一番大切だったりするのでは?と、思う。
日々タスクに追われる現代日本において、放っておくと、ムダは一番最初に省かれる。まぬけな響きとは裏腹に、ムダは、命懸けで死守していかなくては人生からいとも容易く消えてしまうものなのだ。

だから、私は毛糸を11玉買った。
セーターを編むためだ。

節約生活をしている人間が11玉の毛玉、しかも春うらら、夏すら来ていないこの季節にセーターを編む、という、効率面で考えたらすべてがあべこべの行為である。一応私にもわかっている。
だけど、私の中では完璧に合理性がとれている。時間に追われる感覚があるからこそムダだ。セーターなんて、セールになったら市販のものが千円程度で買えたりする。わざわざ何時間もかけていびつな仕上がりになる予感しかしない手編み初心者がセーターを編むなど、もう完璧にコスパとタイパを無視している。だけど編む。だからこそ編む。
これを読んでいる諸君、あなたにとって、一番大切なムダを命懸けで守れ。そうすれば、ムダはただ無生産にだらダラダラと過ごす、のちのち罪悪感だけが募る時間ではなく、前向きに自分の意志で獲得した時間となる。
そうした前向きなムダは、必ずあなたにとって人生のどこかで役に立つ時間になる。目先のことだけを考えたコスパ、タイパを優先した行為よりも、ずっと。

そう言い聞かせながら、私は今日からセーター編みを始める。
作り方の動画を観ながら編む。ええっと、一番最初に作り目を9目編んで…

「次は長々編みを18目編んでください」

動画で軽やかに説明され、プロの編み物作家様の手で秒殺で編まれてゆく長々編み。待って下さい。初心者にはその長々編みとやらがわかりません。。とりあえず、編み方の基礎本を図書館で編み、一目一目にらめっこしながら編むことになりそうだ。仕上がるのはいつになるのやら、、春のうちに編み始めてよかった。
仕上がったら自慢させて下さい。

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