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観察ワーク 【沸いた感情に向き合う】 


今回は自分の感情に向き合う”観察ワーク”というものについて書いていきます

日常の何気ない感情、、考えたこともなかった
何気なくしている物事に対するジャッジが知らず知らずのうちに
自分の中の固定概念になっているという、、、

観察ワークとは

”ありのままを見る”

普段の何気なく出てくる感情を観察してみる

・日常の起こった出来事に対してジャッジしない
例)イライラして子供に怒ってしまった 
 そこでその怒っていた事に
 ”怒ってしまった事は悪い””いや!私は間違ったことは言ってない”
 などついついジャッジしていまいがち

そうではなく、ただ

”ふ〜ん、私今イライラしてたんだ〜”

と、自分を俯瞰して感情をただ観察する。善悪のジャッジをしない。
自分の感情を見える化することで自分の思い込みのパターンに気付く

他人を観察するように自分を観察してみる

他人を観察するように自分を観察してみると発見が

こう言われてみて
あ〜
たしかに怒ったりしている時って冷静さが無くなっている状態ですしね。
子供に怒ってしまっても、時間か経つと
あんな言い方しなくてもよかったなってよく反省してますし、、

あとは気づいたことをただ紙に書きまくるってことも
最近いいなと思いしています。
見える化すると”あ〜こんなことを不安に思っていたんだ〜”
自分の気持ちに向き合うとイライラや、モヤモヤが落ち着く気がしています。

感情のクセ

自分の湧いてくるっ感情のクセってある気がします

それは
・育った環境
・養育者の価値観
・兄弟の有無
・関わった人の思考

限られた環境で精一杯役割を探している

どうしても子供の頃なんて特に、
生きていくには限られた環境(家庭や学校)の中に順応して
みんなにある程度合わせられる方が生きやすかったりする。
もちろん、一緒は嫌、っていうのも
その環境で目立って存在価値を得るために必要だったりするので、
みんなそれぞれ環境に適応しようとしてるんだなって。
なんだか健気な一生懸命さが人って可愛いですね

でも、そんな環境で役割を自分なりに見出せないと存在意義がわからなくなるんですよね。俯瞰で見るとそもそも役割って自分が生きるための手段なだけ。

ただね。わかります。存在意義探しがち🤭
私はあるあるですが出産して育児している時、特に感じましたね。
毎日なんだか無駄にバタバタしてるし
子供が寝てても、”息してる?”って謎の生存確認、、😆
バタバタ忙しのに、社会からの疎外感、、

後から考えると別に気にしなくてもいいのになって
いくつになっても存在意義って探しがちなんだなって思います。

ネガティブだと思う部分も含めて受け入れる

観察ワークはシンプルですがとてもわかりやすい
他人をコントロールしないのと同じで
自分すらもコントロールしようとしない

ネガティブだと思う部分も含めて受け入れるための観察

自己承認を目指しているのではないかと
他者に過剰な承認欲求を求めていいことありませんしね

観察ワーク私には必要なので継続してみます。
また気づきがあれば♡

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