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性別変更要件に関する最高裁の違憲決定で「ヒゲの生えたおじさんが女子風呂に入ってくる」なんていう不安は見当違いだよ。

みなさんこんにちは。

トランスジェンダーの性別変更要件の中の手術要件につき、生殖不能要件についての違憲決定が2023年10月25日に出ましたね!!(正確に喋ろうとするとこうなる。リズム感は悪いが致し方ない。)
多分この問題について戦ってきた人たち、あらゆる物事について差別の少ない世の中を求める人たちの全てが、この決定に大喜びしたのではないでしょうか。

しかも全員一致。これはなかなかないことです。
すごいこと、であると同時に私は少し当たり前の判決だなぁとも思いました。最高裁の裁判官が全員どリベラルのど左翼ということはなく、人権制約の程度と、得られる利益や守られる自由について考えた結果、ある一定レベル以上の法律家であれば全員がこの結論に辿り着くよね、というそれだけのことだったように思います。
とはいえ、司法が国家におけるマイノリティ保護の最後の砦としての役割を(久々に)果たしたことにはやっぱり喜色を隠しきれない私です。

さぁてさぁて。「司法が国家におけるマイノリティ保護の最後の砦としての…」とか小難しいことをベラベラ喋っているところからもわかるとおり、私は少しだけ法律をかじっています。(ちなみに、民主主義社会においては立法を行う国会とかその法律の基づき政治を行う行政とかって多数決原理しか働かなくて、マイノリティの意見って届きにくいから、司法がマイノリティを守るための判断を行うんだよね、というのを「マイノリティ保護の最後の砦」なんて言い方したりするのです。)
そして卒論はジェンダー論について書きました(とはいえ教養学部の学部卒論文なのでこれまた「かじった」程度)。
さらに、ライター業もかじったことがあります。

法律の専門家であれば、これから「判例評釈」というものが出てくるのでそれを読んだり、読んだ上で色々物申すのが一般的です。ジェンダー論の専門家であれば、社会学の論文を読んだり書いたりするのでしょう。
でも、私はこの決定について、これがどんな決定なのかをできたらみなさんと分かち合いたいと思っています。私の想定する「みなさん」は法律の専門家でなく、ジェンダー論の専門家でもなく、他のことを勉強してきたんだけれどこの決定に興味のある「みなさん」です。判例評釈も社会学の論文も読まない「みなさん」です(でも読む方々にボコボコに言葉で殴られたいという気持ちもなくはない)。

そんなみなさんに、完全な正確性は担保できないけれど、一応どちらもの視点を持った私から、解説文を贈りたいと思います。これはあくまでも「私の解釈」なので、間違っているところやおかしなところ、違うよ〜ってところや疑問点があったらなんでも言ってください。頑張って考えたり調べたりします。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/446/092446_hanrei.pdf(決定の全文。36ページあります。気合い入ってんね。)


前提①トランスジェンダーについての簡単な知識

「いやいや知ってるよ。心と体の性が不一致の人でしょ?」という声が聞こえてきそうです。この理解だけだと、「私は女だ!!」と言って女風呂に入ってくるおじさんを想像してしまうのも無理ないと、私は思います。

イメージを持ちましょう。たとえば、タレントのはるな愛さん、わかりますか?彼女はトランスジェンダー女性です。
そして、彼女は非常に「パス度」が高いです。
あとはトランスジェンダー男性の俳優さんでは若林佑真さんという方もいます(https://www.oricon.co.jp/special/60534/)。彼もパス度が高いのではないでしょうか。
パス度というのは、トランスジェンダー女性で言えば「女性として社会的に通用するか否か」の度合いのこと(トランス男性だと逆ですね)。
はるな愛さんのように「パス度」が高い人は、基本的にホルモン治療を受けている人だと思ってしまって大丈夫です。(少なくとも私は、はるな愛さんが女子トイレに入ってくることに恐怖を覚えないので、みなさんもそうかなと思うのですがいかがでしょう。)
そして戸籍を変える手続をするのは、基本的にはホルモン治療済のパス度が高い人たちになります。どうしてかわかりますか?
パス度が低い人たちは、元々の性別の人として扱われることが多いので、戸籍が元々の性別のままでもあまり困り事がないです(もちろん日常生活に困り事はあるでしょうが、戸籍とは関連しません)。一方、パス度が高いと、「みんなから女性だと思われているのに戸籍だけ男性」「男性として扱われているのに戸籍だけ女性」みたいな状況が生じ、就職の際などに大きな不利益を被ることがあります(戸籍変更がまだのため内定が取り消されてしまったパス度が高いトランス女性の事例:https://niji-recruiting.com/2018/06/30/1150/)。
何が言いたいかというと、元々戸籍を変える必要に迫られている人は、パス度が既に高く、戸籍の性と見た目の性が合っていないことで困っている人たちであり、「『俺の心は女だ!』と主張するおじさん」ではない、ということです。あと多分そんなおじさんはジェンダークリニックで弾かれて性同一性障害の診断をもらうどころの騒ぎではないです。

前提②違憲とは何か?

これ、意外と勘違いしている人がいます。
「違憲」というのは、「その法律(や処分)が憲法に違反している」ということです。違憲判決・決定が言いたいことは「その法律、憲法に違反しちゃってるから早めに改正するなり削除するなり国会で話し合ってね。よろしく。」ということです。
「え、もう違憲なんだから削除したことにすれば良くない?」と思われるかもしれないですね。私も思ってました。
でも、我が国は三権分立です。立法・行政・司法の三権が互いに見張り合っているわけです。そして、司法は立法をしてはいけません。司法が勝手に法律を削除することは「消極的立法」にあたります。だから、「我々はこの法律、憲法違反で削除するべきだと思うよ。でも話し合いは立法に任せるね。」とやるわけです。まだるっこしいけれど、そうすることでどれか一つの権力が暴走することを防ぐわけです。
たまに、「違憲なんだから憲法改正すればいいじゃない」というご意見をお見かけしますが、違憲判決が出たら改正しないといけないのは法律の側です。お分かりいただけたでしょうか。
そして、司法は、立法府たる国会とは異なり、国民に選ばれた人たちが司法判断をしているわけではありません。国民に選ばれた国会議員から選ばれた行政府の人たちから選ばれている人たちが判断する…めちゃくちゃ国民から離れた場所にあるものです。でも、だからこそ、「民意」や「多数派」が暴走して少数派を抑圧する時、民意から離れたとことにいる司法が、歯止めを効かせることができるのです。
マイノリティを守るために司法は必要で、そして今回の決定は実際にその機能を果たしたものと言えるでしょう。

前提③報道で抜けている要件について

この記事、めっちゃ分かりやすくて大好きですが、「5要件」として挙げられているのは「①18歳以上、②婚姻中でない、③未成年の子がいない、④生殖腺がないか、その機能を永続的に欠く状態にあること(生殖不能要件)、⑤変更後の性別の性器に似た外観を備えている(外観要件)」の5つです。
これを見ると、「あれ!?④⑤がなかったら独身子なし成人なら誰でも性別変更できる!?」と思われてしまいそうですが

こちらの裁判所の要件を見ると、「二人以上の医師により,性同一性障害であることが診断されていること」という要件があります。
そして、性同一性障害の診断のため、性自認(性同一性・ジェンダーアイデンティティ)の決定を行うわけですが、その際には「生育歴、生活史、服装、これまでの言動、人間関係、職業などに基づいて性別役割の状況を調べ」判断が行われます(https://www.jspog.com/general/details_83.html)。
男性としての戸籍上の性別を割り当てられている人が、女性としての性自認を有していることが認められるためには、「今までも女性として生活してきた」という生活実態がなければならない、ということになります。
この条件をクリアしている時点で、女性として生活していることが2人以上の医師から認められているわけです。「ヒゲの生えたおじさんが自分が女性だと主張したら戸籍を変えられる」という主張がいかにナンセンスかお分かりいただけたでしょうか。
ヒゲの生えたおじさんは見るからに「今まで女性として生活してきた」人ではないので、性同一性障害の診断を受けることすらできません。前提要件を満たさないんですね。

前提の確認も終わったところで、判決文に入っていきましょう。

いよいよお待ちかねの判決文

第1 事案の概要について(p.1〜)

もう一度、性別変更のための要件を確認しておきましょう。
①二人以上の医師により,性同一性障害であることが診断されていること、②18歳以上であること、③現に婚姻をしていないこと、④現に未成年の子がいないこと、⑤生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること(生殖不能要件)、⑥他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること(外観要件
この6つでした。
そして、今回の決定で違憲となったのは⑤生殖不能要件。⑥外観要件については判断していません。もう一回高等裁判所でよく話し合ってください、という結論になっています。

もう少し詳しく説明します。

原告(性別を女性にしたい人です)は、⑤生殖不能要件と⑥外観要件を満たしていませんが、①〜④の要件を満たしているので、家庭裁判所に「男性に性別を変更したいです」と申し立てました。家庭裁判所も高等裁判所も、「⑤を満たしていない時点でダメです」と言ったのですが、原告は「⑤⑥の要件自体が憲法違反なので、その要件なしで通してください!」と言っていたわけです(違憲判決を求める場合、こういう闘い方がスタンダードです)。
最高裁判所は、「⑤生殖不能要件については確かに憲法違反です。⑥外観要件については第一審・第二審ともに何も言っていなくて議論が尽くされていないので、高等裁判所でもう一回審査し直してください。」という判断をした、というのがこの「第1」パートで書かれていることです。
そして、特に憲法のどの条項に違反しているか、というと13条「すべて国民は,個人として尊重される。 生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については, 公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」です。

つまり、生殖不能要件は13条の「幸福追求権」を侵害する要件だ、という判断をした、ということなのです。結論ファーストでいいですね。結論が長いけど。

第2 生殖不能要件の13条適合性について(p.2〜)

このパートでは、性同一性障害(国際的な基準でいうと性別不合なのですが、裁判所がそう表記しているのでそのまま行きます)とは何か、そして生殖不能要件が制定された目的について語り、その目的を達成するために本当に必要な要件なのか、やりすぎじゃないのか、ということについて検討しています。
憲法13条は、人格的生存に不可欠な権利を「人権」とするものと解されています。要は憲法に明文で記載されていない権利についても、「人権」として認めることはありますよ、ということを示している、ということです。ただし、人格的生存に不可欠、つまり「人間」として尊厳を持って生きるために必要なものに限るよ、人権って崇高だからね、という感じなのでそうホイホイ認められるものではありません。安心してね。

そして、裁判所はまず、13条が「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を保障している、と言っています。
憲法は国家の行為を規律するものです。そして「身体への侵襲」は、本件では「身体を傷つけられること」くらいに考えて大丈夫だと思います。
つまり、「国家に、身体を傷つけることを強制されない自由」というふうに言っても良いかもしれません。それが、憲法13条で保障されている。これは納得感ありますよね。
そして、「生殖を不能にするための手術」は、仮にそれが強制されるとしたら「国家に、身体を傷つけることを強制されない自由」を侵害するものだ、ということになります。

「いやいやちょっと待て。別に戸籍を変えたきゃ生殖不能にすればいいってだけで、強制なんかしてないでしょう。」という声が聞こえてきそうです。

裁判所は、①戸籍を変えていない場合、見た目の性別が戸籍の性別と異なるので、就職の際に明かさなければならなくなったり、見た目の性別通りに扱ってもらえないなど社会的に不利益が生じる場合がある②性同一性障害を有する場合であっても、必ずしも生殖機能についての手術まで必要としない人もいる、という2点の社会的・医療的状況をはじめに指摘しています。
他にも、ちょっとしたトラブルの際に身分証明書を見せると見た目の性別と証明書に書いてある性別が異なるのでより騒ぎになってしまう、という不利益などさまざまな不利益も考えられますし、体が弱くて生殖機能についての手術ができない人のことも想定できます。
そして、①の不利益から見るに、性自認の通りに社会的に扱われることは「重要な人格的利益」にあたります。このような重要な人格的利益を得るためには必ず生殖機能を失う手術をしなければならない、というのは「間接的な強制」にあたる、という論理構成なのです。

そして、このような間接的な強制が果たして目的を達するために「必要かつ合理的」と言えるか、を判断しています。
裁判所は、①性同一性障害者はめちゃくちゃ人数少ないわけだし、戸籍の変化による社会的混乱(「女である父、男である母」が新たに発生しるうことについて)はほとんどないと言えるでしょう(だって今までも「女である父、男である母」は発生してたけど社会は混乱してないし)。立法措置でも対処できるよね。じゃあこの制約って意味あまりないよね。②昔は確かにゴールが手術だったけど、ホルモン治療がゴールの人もいるわけで、医学的な状況もかなり変わったよね。じゃあ手術が必要!ってそこまで合理性ないよね。③なのに今、「性別適合手術を受けるか、不利益を甘受するか」の二者択一を当事者に迫るの、制約としては過剰じゃない?国際的にもこの基準使われなくなってるしね。④つまり、違憲だし無効です。
という話をしています。

これが裁判所の判断についての解説です。

結論(感想)

憲法の勉強の集大成みたいな綺麗な論理構成でアガりました。いいよね〜(急な感想)。

補足意見・反対意見について(p.10〜)

補足意見・反対意見というのは、この決定にプラスで個人的に言いたいことがあるよ〜という人たちの言葉です。
今回の反対意見は、全員「外観要件についても違憲無効とするべきだ」というものでした。

岡正晶裁判官補足意見(p.10)

生殖不能要件をなくしたとしても、別に憲法違反にならないような要件を加えるのは全然ありだと思いますよ。あとは立法府の裁量だから、頑張ってね。ということを言っています。

三浦守裁判官反対意見(p.10〜)

外観要件も違憲・無効なので、原告の性別を男から女に変更するべき、と言っています。
まず、生殖不能要件が違憲・無効である理由として①医学的状況の変化に基づく法的解釈の変化(病気ではなくなり、望むべき身体的な変化のゴールも多様になっていること)②社会的状況の変化(パートナーシップ制度など、性別変更を望む人たちを含めた、多様な家族のあり方が明らかになっている)をあらためて説明しています。

ここから、外観要件についてです。
外観要件が(特に女性になりたいと望む人にとっては)生殖不能にならなければ達成し得ないものであること、致死的な副作用があったり、健康を大きく害するものであり、身体を侵襲されない自由を(生殖不能要件と同じく)害することを指摘しています。
そして外観要件の趣旨は「公衆浴場で問題を生ずるなど、社会生活上混乱を生ずる可能性があることなどが考慮されたもの」としていますが、あくまでも公衆浴場側は事業者各自の判断で「男女」を分けることができるのであり、「外性器の別」で分けるという運用を続けるであろうことが指摘されています。
そして、性同一性障害者の定義「医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意思を有すると認められる者」を引きながら、ただでさえ少数である上、他の性別の人間として受け入れられたい人間が「あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想定すること自体、現実的ではない」と指摘しています。
冷静に考えて、埋没したい人たちがわざと外性器ある状態で入ってきて騒ぎを起こしたがるとは考えられない、という指摘です。不安感についても、公衆浴場での男女の区分については法律で別途定めるなど立法解決が可能だ、と指摘しています。
外性器と公衆浴場については社会規範が維持されるのであるから、「心は女なんです!」と主張して異性の外性器のまま入ってくる人はいないはずだし、「そういう人がいるかもしれない」という不安は(尊重されるべきであっても)性同一性障害者の自由を制約して良い理由にはならないのです。
そして、女性用トイレで外性器を見ることってほぼないよね、という指摘もなされています。(公衆浴場とトイレを同一に語るべきではない、ということですね)

最後に、外観要件の合理性を判断しています。
今までは精神科での治療→ホルモン治療→外性器の手術という段階を踏んでいたところ、今はその段階的治療という考え方が採られなくなってきているので、外性器の手術をしているからといって必要な手術を終えた状態だと言い切ることはできません。
したがって、外観要件の合理性は低減しています。一方で、制約される権利はあまりにも大きい。これも憲法13条違反、ということになります。

そして、性同一性障害の診断が非常に綿密に行われることから、外観要件・生殖不能要件を違憲無効にし、残りの要件のみで性別変更を行ったとしても特例法の趣旨には反しないと指摘し、特例法3条1項を全て無効とするのでなく、外観要件と生殖不能要件についてのみ無効とする処理をすることで、原告の性別変更を認めるべきだ、としています。
▼三浦裁判官が指摘した綿密な診断書の様式https://www.mhlw.go.jp/general/seido/syakai/sei32/dl/youshiki.pdf

草野耕一裁判官反対意見(p.25〜)

三浦裁判官と同じく、外観要件についても違憲・無効とするべきと主張しています。
手術が恐怖・苦痛を与えるものであり、生命・身体に対する危険を伴うものであることを指摘し、外観要件も生殖不能要件と同じく、「身体への侵襲を受けない自由」に対する制約にあたると述べています。

そして、外観要件の趣旨・目的を「自己の意思に反して異性の性器を見せられて羞恥心や恐怖心あるいは嫌悪感を抱かされることのない利益」と設定した上で、この制約目的には正当性が認められると主張します。

そして、相当性を判断するにあたり、「外観要件が合憲とされる社会と外観要件が違憲とされる社会、どちらが善い社会か」という基準のもと、考えていきます。
外観要件が合憲とされる社会は、確かに静謐であるがそれは性同一性障害者に対する恒常的な抑圧のもとで生まれるもの。
一方、違憲とされる社会においては、確かに「異性の外性器を見させられるのではないか」という不安があることは拭えないが、①性同一性障害者は数が少なく、わざと見せるようなやつはごくごくごく少数であり、②また、公衆浴場の管理は管理者に委ねられており、管理者は外観要件を満たさない者の入場を禁じたり、水着の着用を条件として許容するなどの対処をすることができると指摘しています。
そしてそれは「喧しい社会」ではあるものの、個人を最大限に尊重しようとする、憲法の理念により沿った社会であり、より善い社会であると結論づけています。

宇賀克也裁判官反対意見(p.31〜)

宇賀さんは、まず生殖不能要件については多数意見に全面同意である、と述べています。そして外観要件についても違憲無効とすべきと最後に添えています。
そのほか、特に重要な指摘を2点。
①生殖不能要件があることによって「生殖不能要件を満たしていない人は真の性同一性障害者でない」という間違った偏見が流布してしまうこと
②性同一性障害者は元々ホルモン療法などにより自らの性別を社会的に移行させ、家庭裁判所で名前を変更し、外見も名も自認する性別に合致した生活をしているにもかかわらず、法的性別だけが異なるとむしろそっちの方が社会的混乱を呼ぶということ
この2点の指摘は他の裁判官にはないものでした。
また、リプロダクティブライツ(性と生殖に関する自己決定権)も13条の保障する重要な人権である、ということも指摘しています。(めっちゃ重要な指摘で嬉しい)
生殖不能要件は欧州人権条約にも反し、世界の潮流とも離れていることを示した上で、「自認する性別と生物学的な性別が一致する者(※要はマジョリティ)が誤って自認する性別と異なる性別を戸籍に記載され、その訂正が許されず、生涯、自認する性別と異なる法的性別を甘受しなければならない状況を想像すれば、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益が人格的生存にとって不可欠であることについて、大方の賛同を得られると思われる」として、マジョリティの想像力にも働きかけています。
つまり、宇賀さんは性自認の通りに扱われる自由自体もまた人権である、と主張しているわけです。
宇賀さん、めっちゃ新しい人権作り出してて私個人的には激アツであると同時にちょっと面白かったです。これ結構ロックなんですよ。

結論(感想)

三浦さん→気合い入りまくりの15ページでの主張。すごい。多数意見より長いのウケる。気合い入れてくれてありがとう。みんなが気になる公衆浴場・トイレについても触れてる。
草野さん→同じく公衆浴場について触れてるし、具体的提案とかめっちゃしてる。あと解釈基準が独特。「善い」って哲学の授業以外で久しぶりに聞いた。
宇賀さん→後々役に立ちそうな「人権」の可能性を広げまくってる。視点が全体的に他の人たちと違って面白かった。ロック。
みたいな感じです。急に感想とか入れてごめんね。比べてたら楽しくなってきちゃった。

終わりに

個人的には私はめちゃくちゃこの違憲決定、論理展開も審査基準も理由づけも何から何まで綺麗でめちゃくちゃ好きでした。そして判例変更(昔と違う判断を最高裁がすること。すごいこと。)でもあり、戦後12件目の違憲判断ということもあり、判例集に確実に掲載される歴史的事実と同じ時期に生きていることに何だか嬉しいやら楽しいやら不思議なやら…。

これが、「えっ、女湯に男が入ってくるの?」って不安な気持ちになっている人、「結局この決定って何が言いたかったの?」ってぐちゃぐちゃになって爆発しそうな人に届いたらなと思います。

専門家に届いたら「なんやこの解釈、アホちゃう?」って言われちゃうかな。どうかな。不安。いや「素人質問」されるのか。死ぬかも。私が、私こそが素人です。

でも間違ってるところ、解釈それちょっとアレなんじゃない?やばいんじゃない?みたいなところあればいつでもご指摘ください。気力の許す限り調べたり直したりします。

とりあえず書いてるうちに肩が爆発しそうになってきたので寝ます。良い…あ、善い決定が出て良かった。そして頑張って36ページ読んで良かった。みんなも読んでたらお疲れ様。読んでなくてもここまで読んでお疲れ様。9000文字だって。こんな一気に書いたの初めて。

最後まで読んでくれてありがとう。おやすみなさい。

https://trans101.jp/faq/

▼個人的にトランスジェンダーについての知識を増やすのに良かったもの

▼法律系


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