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6代目三遊亭円楽師匠を偲んで

こんにちは。
LGBTQ+ライターのなつめれいなです。

9月30日に、6代目三遊亭円楽師匠が肺がんのため亡くなりました。

笑点の顔

師匠の一周忌後に6代目を襲名することが決まりましたが、入門から40年「楽太郎」と名乗っていたこともあり、今でも「楽太郎」のほうに馴染みがあるという人も多いのではないでしょうか。

円楽師匠が笑点に初出演したのは1977年8月。二ツ目昇進が1976年7月なので、まさに大抜擢といえるでしょう。

私自身はリアルタイムで見ていましたが、当時は三波伸介さん(初代)が司会だったのを覚えています。

1982年末の急逝後は、師匠の5代目が司会に就任。その頃から、師匠いじりや桂歌丸師匠いじりをするようになり、腹黒キャラや友達いないキャラが定着するようになりました。

このように、番組内では世相の風刺とともに、腹黒・友達いないキャラを通していましたが、実際は気配りの人。

表でも裏でも、まさに笑点の顔でしたね。

東京の落語団体に何らかの形で関わっている

江戸落語の団体は4つあります。

●落語協会
●落語芸術協会
●落語立川流
●5代目円楽一門会

入門時は落語協会に所属。1978年の落語協会分裂騒動時に脱退して、落語三遊協会(後の大日本すみれ会→5代目円楽一門会)に移籍します。

真打昇進は1981年。入門時の名前、「楽太郎」から改名することなく昇進しています。通常は、二ツ目昇進・真打昇進時に改名するのが一般的なので、珍しいパターンですね。

その後は、1990年に落語立川流Bコース(有名人枠)に入門、2017年には当時会長だった桂歌丸、副会長だった三遊亭小遊三のはからいにより、総会で落語芸術協会(芸協)への加入が認められ、客員として単身で加入します。

すべての団体に何らかの形で関わっている、珍しい噺家です。

落語家としての6代目

師匠の5代目といえば大ネタ。一方、6代目は『薮入り』など軽めな人情噺をやっていました。「唐茄子屋政談」などもやっていたので、まったく大ネタをやらないというわけではありませんが、印象として強いのは人情噺ですね。

ただ、惜しむらくは、ほとんど定席に出演できなかったことでしょう。2つ目昇進して間もない時期に落語協会を脱退していることが理由にあります。

2010年に芸協の協力で披露興行をやっているものの、両国寄席(お江戸両国亭)でしか聞けなかったのは残念だと思います。

最後に

報道でもご存知のとおり、大腸がんにはじまり肺がん、脳腫瘍、脳梗塞、肺炎と次々と病気が襲いかかってきた晩年でした。

一時は高座復帰していただけに、残念でなりません。

林家たい平師匠の右隣で腹黒キャラを演じていた師匠がいないのは、やはり寂しいですね。

ご冥福をお祈りします。


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