2/7~2/13、或る日の日記

或る日の日記11

あれかこれがありさえすれば、幸せになれるだろうと信じることによって、われわれは、不幸の原因が不完全で汚れた自己にあることを悟らずに済むようになる。(エリック・ホッファー)

 あえて言う、モノを売ったり集客しようとしている人はわざわざこんなこと言わないだろうけど、世の中いかに「お金を使わせるか」「消費させるか」という宣伝で溢れていて、SNSだって例外ではない。他愛ないように見えるつぶやきにもマーケティングが隠れているし、コミュニケーションに見えるものが利益を見越したサービスの一環であることはザラにある。自分にとって何が必要でないかを分析する人以外は簡単に消費社会の養分になっていくだろう。それら消費の動機は、承認欲求、この人と仲良くなりたいという欲求、エリック・ホッファーが言うところの「あれかこれがありさえすれば幸せになれるだろう」という欲求、これを身につければ一目置かれるだろうという見栄、といったものが挙げられる。

 とくに、見栄というものは消費社会にとって都合がよい。「見栄」を辞書で調べると、「見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。」と出た。

 身につけるものはその人の社会性を表す。いかに「人は見た目ではない」と言ってみたところで(今この話題の中では容姿の美醜をいかに扱うかは問題にしていない。念のため。)その人が纏ってきた文化、習慣、生活全般、消費活動、身体の姿勢、衛生観念、金銭の所有、嗜好、それらは"見た目"に集約されていく、と思われている。実際にわたしもある程度はそうだと思っている。特に衛生観念や身体の姿勢や習慣は年齢を重ねれば重ねるほど"見た目"に表れていくと感じている。「人の見た目は内面の一番外側」とはよく言ったものだと思う。人生の色々な物事が"見た目"に表れる、と思われているからこそ、人は逆算して、中身以上の見た目になろうとして見栄を張るのである。見栄に夢中になっているとき、そのヒトの頭の中の話題は専ら、誰があれを所有していて悔しい、あの人の洋服が豪奢で美しく羨ましい、あれがありさえすればSNSでもっといいねをもらえるのに、もっと誰々よりも優秀に見られたい、誰々よりも美しくいたい、誰々よりも権威的でいたい、といった、相対化された自分自身の価値が貶められることへの不安に関してのものだ。

 承認欲求は誰もが生まれつき備えているものであるし、わたしはこれを殊更に敵視したりもしないのだけれど、人々の社交がインターネットに委託されているいま、きっと意識の底で無価値観に襲われているヒトは多いのだと思う。取り戻せない若さの魅力、家柄、個人の資産、いいねの数、才能の可視化…それによって呼び起こされる自分自身の無力感や劣等感を補おうとして飾られる張りぼての美しさや虚言や様々なマテリアル。劣等感により促される消費の数々。ホッファーが言う「過度の欲望は、自分が無価値であるという意識を抑えるための一手段」という見方は現代にも通用する。そしてそんな消費社会の反動としてのミニマリズムやアンチテーゼとしての自己啓発。だけど、そこにもマーケティングが隠れていることは言うまでもないのだけど。

(わたしはバカ正直なので、このようなことを書いてしまいますが、そんなこと言うなよ野暮だろ~って思うヒトもいるよね。でもここはわたしの主観を話す場所なので…。)


或る日の日記12

 日記だと言っているのに日記らしくないことばかり書いていることに気がついた。であるので、今日は日記らしいことを書こうと思うんだ。

 今週はずっと調子が悪いというか、疲れていて、なにもする気が起きなかった。力を振り絞ってなんとか勉強したり自炊してみたりもするけれどずっとずっと疲れている。なんだかなぁ。唯一、1月下旬に悲鳴を上げながらやっていたスクーリングの課題がちゃんと受理されて、6科目中4科目が合格していたのでよかった。一段落ついたけれど、次から次へとやりたいこととやらなきゃいけないことが起こってくる。スケジュールをビシバシ管理してくれる人が欲しい。機械じゃたぶんわたしが言うこときかないからだめ。機械よりおれのほうが強いと思っている節がある。

 サイゼリヤはたのしいよね。わたしはあの安くておいしいワインを飲みながら間違い探しを一緒にしてくれるような人がすきだ。サイゼリヤが楽しいのは、男女問わず憎からず思っているか、すでに距離感のわかっている人間と行くからだよ。これから好きになるかどうかわからない人に「金目当ての女かどうか試してやろう」といって連れていかれるサイゼリヤはイヤやねえ。というか、サイゼリヤじゃなくてもイヤか。そういう魂胆って、色々なものを見てきた人は見抜いてしまうもんだよなあ。

 サイゼで「金目当ての女かどうか試す」をしようとするのも、他のことでその人の社会性をスクリーニングしようとするのも根本的には同じ、価値基準のものさしがどれかというだけなのだろうけど。ただみんな、サイゼリヤのことが大好きだからムカついているのだよ。そうだろ、みんなサイゼリヤのことが好きなだけなんだろう。あんな議論でただ一つの答えを出そうとしたって無理なのだよ、サイゼの魅力が複雑すぎるのだ。

 結局日記らしいことをあまり書けなかった。来週もがんばります。

少しのサポートでもたいへん励みになります。明日を生きられます。よろしくお願いします。