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友人と会うことの失敗

 友人と会って後悔する事がある。少なからず何かを得られたとしてもそれよりも徒労と困憊を感じるときがある。相手が、自分が、会うこと自体を目的にしていたときか。共通の目的が無いときか。話が弾まないときか。こちらに用意が、体力が、高揚感が無いときか。
 いつの間にか自分と相手が、同じ方向を向いていないことに気付かされるときか。そう思っていたのに、近しい位置に立てていないときか。

 その全てだったろう。壊滅的に間が悪かった。では多少なりとも行動において改善し得たか。合わないという選択肢が適切だっただろうかといえばそうでないと思いたい。今回のケースを考えてせめて些末な、自分の人と会うときの下手糞さをなくすようにしたいと思う。

  • 渋谷であったこと。
     今回彼の希望で美術館の展示を観ることになっていたので、渋谷に行くことはマストであり仕方なかったのだが。渋谷は2つの点で自分が苦手とする街だ。

    • やけに遠い
       今は地方に済んでいるのでそも東京に出るのも一仕事で、その上でも渋谷は遠い。遠い場所に行くのであれば前日のうちに移動時間の遊びを用意すべきだった。また、早めに移動を初めて、どこかで一休みをするべきでもあった。ずっと移動しているのは存外疲れるし退屈だ。気力体力が充実した状態、消耗を回避した状態で合うこと。

    •  混雑している
       渋谷、新宿をはじめ人混みと喧騒にまみれた場所はとにかく苦手だ。居るだけで消耗する。目的を果たしたら可能な限り早く離脱すべきであった。

  • あてどもなく歩いたこと。
     これは失敗する。だいたいにおいて、何にもならない。散歩は一人でしろ。次に行くべき場所の候補は常に用意するべきなのだ。必ず目的を持って行動する。向こうが主体であろうとバックアッププランとして用意しろ。行きの時間くらい、その土地で何をするのか、相手に任せ切らず補佐し、ときにイニシアチブを取れ。いい大人なれば計画をたてよ。

  • 店に入るのを遠慮すること。
     よく入る店の、客層をみて入るのをやめることがある。たいてい、他にもっと落ち着いている良い店があるのではないかと考えるからだろう。調べて決めて、そこに入る。よほどだめなときのためにサブの候補を取り繕っておく。

  • 会話が弾まなかったこと。
     おそらく彼は本当に話したかったことを隠していたと思う。端切れがすごく悪かった。彼は半年前に仕事をやめて無職になり、クリエイターとしての道を探っていた。聞けば人に合うことが少なくなり鬱めいた日々を過ごしており、その緩和のため半ば会うことそのものを目的とした誘いだったようだ。合う前に彼のWeb上での最近の活動も見てみたが、お世辞にもうまくは行っていないようだった。核心には触れられたくなかっただろうが、切り出して話してしまって良かったと思う。現実を見つめて、今から何を目指して生きていくのか?何をして生きる糧を得るのか?どこに向かうのか?
     彼が無職になるという話を聞いたとき無責任に、反対せず後押しした一抹の責任も感じている。その選択と行動の行き着く先を知りたい、好奇心が勝った。夢を応援するのではなかった。夢の焦点のピントが合っていないこと、拡散していることはわかっていた。

 次に会うとしたらそのことを白状し、彼が今よりより良く生きる一助をせねばなるまい。会うことには失敗したが、歪な自分たちの関係の諸々、修復の一歩として会った事自体は必要であったと思う。

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