自慰行為をすることは一般的には好ましいこととされておらず、またそれについて語ることもタブー視されるところがあります。特に男性のそれは世間からとても惨めなものとして捉えられるということは、独身の長い私のような者ほど身に染みて実感するものです。とはいえ男性は体内で精液が作られ続けるため、それを出す作業はいずれにしても必要になることです。惨めだから情けなく思えるからといって我慢をし続けられるわけでもなく、人によって夢精に至ることがありますし、私の場合は腹痛の果てに小用中に脈絡なく出そうになることがあります。しかし自慰行為は相手の伴う性行為と同様、対象が必要であり、それによって性の対象が決まっているところがあるでしょう。つまりシスジェンダー男性の場合は射精に際し、その射精を女性と関連付ける必要があります。ですので小用中に脈絡なく出るということは私としてはとても違和感のあるもので、男性として女性が好きな以上、どうしても射精は女性と関連付けざるを得ないところがあります。

そして我慢をし続けると特にデスクワークで顕著になりますが、私の場合は文章を書いたりプログラミングなどをするときに集中力に悪い影響があり、最悪何も手が付かなくなったりします。他にもしなければ寝付けなかったりするという意見もあるようです。ということで男性にとって自慰行為はどうしても必要になることですが、シスジャンダーである以上は射精を女性と関連付ける必要があり、どうしても女性の「情報」が必要になり、その多くは現代ではポルノが用いられているのが現状です。

歴史時代を考えてみると、核家族化が進んだり個室のある現代と比べ、昔は家族や三世帯での同居、農村それも江戸時代くらいまで遡るなら大勢の村人同士での同居形態などもあったようであり、そこで現代のように男性が頻繁に自慰行為をしていただろうかと考えると、私は現代男性の旺盛な性欲は、肉食や体を使う機会が減ったことによるものがありそうだということ。それでも歴史時代にそういう行為をする機会が全くなかったかというとそうではないでしょうけど、現代と比べれば頻度はよほど少なかったのではないでしょうか。本当はしたくないのだけど止むを得ず自慰行為をせざるを得ないという男性は食べる肉の量を減らしたり、へとへとになるまで運動をしてみるのも一つの手かもしれない。要はお坊さんのような生活を目指すと自ずとそういった欲も少なくなっていくかもしれない。ニートでずっと家にいるにもかかわらずティッシュの消費量が多い息子さんをお持ちの家庭は、一度寺に預けるなどしてみるのもいいかもしれません。

さて現代では男性にはどうしても自慰行為の問題はついてまわる問題ですが、それにあたっての実際的な問題としてポルノが利用されていることが挙げられます。しかしポルノは必ず被害者を生むという問題があり、そしてネット社会となった現代では拡散して収拾がつかなくなるという問題もあります。それほどの大金でもない割に女性の支払う犠牲が大きすぎるというのが私の意見でして、そういった女性の犠牲のうえにポルノ産業は成り立っているということを男性は自覚する必要があるでしょう。そしてそれは正されるべきできないかということも併せて問題提起をしていきたいと考えます。

ポルノを利用する以外では、日本人は外国人から「Hentai」と言われたりするように、一部ではマニアックな性の分野もあります。それは主には女性や女性の排泄物を主題にし、いわゆる「スカトロ」といわれる文化です。ですがここでは女性の排泄物のうちでも小の方を取り上げ、なぜ現代では男性の自慰のためにポルノが活用され、氾濫する結果になっているのかを考えてみます。

「スカトロ」の中でも女性の尿を男性が浴びたり飲んだりする分野は「女王様」ものとか「聖水」ものと呼ばれており、そこでは男性が女性の尿を喜んで、或いは嫌がる素振りを見せつつ実際に飲んだり浴びたりするわけですが、実は男性にとって女性の尿とは排泄物でありながら、それほど嫌なものというわけでもなく、これは性器の形にも原因がありますが男性は一般的には出口が棒の先についている形状で尿が残りにくく、女性はその反対ということもあり、性行為をする際には行為前に毎回シャワーを浴びて綺麗に洗うということでもなければ少なからず女性の尿というものは性行為につきもので、少なからず触れることになります。そして最近の若者の間では行為前のペッティングが普通の行為となっているようであり、Instaなどでアンケートやインタビューに答える動画を見たりします。そうするとやはり男性側としては行為をする度に女性の尿に対する忌避感というものが薄れていく、慣れていくところはあると思います。慣れる慣れないという尺度とは別に、男性にとって実は女性の尿というものは特に「匂い」という部分で「嫌な」ものではないかもしれないという個人的実感がありまして、そこからもう一歩(Hentaiの方向へ)進む人達が一部にしても存在するという現実が、女王様ものや聖水もののポルノが存在する理由となっているでしょう。そういったポルノの中で女性の尿を浴びたり飲んだりする男性は「M男」などと呼ばれ、そこには男性を蔑むニュアンスが含まれますが、私はポルノで唯一女性が被害を受けにくい、又は最も女性の被害が少ない分野ではないかと考えます。

ポルノとは自慰行為の手段となっているように、相手がいないなどで現実的には出来ないことをポルノの中の男優視点で見て想像を膨らませたりするものですが、そのような「M男」が出演するポルノを好むということは、もちろん自分自身がそういった立場になりたいという願望を反映させているという意味でもあります。

ここでそういった男性がMになる分野と、女性が被害にあう「レイプ」ものと対比させてみるとどうなるかです。ポルノはレイプものでなくノーマルなものであったとしても性行為を多くの人に見られる以上は女性の側に少なからず被害が生じるものですが、最近では出演者の女性をぞんざいに扱うものが本当に多くなっているという印象をうけるものです。私は独身歴が長かったからという言い訳をしておきますが、どちらかというと多くのポルノを見てきました。日本におけるポルノの質は2000年前後を境にして変わったと思ったことがありました。具体的には日本はあまり好まれなかったレイプものが視聴者の好みを無視して数多く出回るようになったこと。それから「内容」という意味で出演女性がぞんざいに扱われるようになり、以前には出演者と監督の良好な関係が見てとれるものでしたが、女性が本気で怒ったり泣いたり憤慨させたりすることが目的としか思えないようなものもありました。一例として女性の髪の毛を掴んで激しく揺するなどの行為は以前ではまず見られなかったものです。日本の伝統的なポルノは日活ロマンポルノのような、どちらかというとソフトな内容であり、出演女性に配慮したものでしたが、2000年前後を境として内容がハードになっていき、言わば急速に欧米化が進んだ時期と言えるでしょう。欧米特にアメリカではポルノ作品の中で女性の髪を掴んだり(軽く)引っ張ったりすることはごく普通のことのようであり、そういった欧米の人達の好みが反映された結果としか思えません。日本は失われた30年と言われるように様々な分野で多くの変遷を経てきました。そしてその多くは悪い方向へ進んできたのです。ではなぜポルノをそのように荒々しく暴力的なものに変貌させる必要があったのかと考えると、それが男性の自慰行為の本質をよく表す話へと繋がります。

ポルノを利用する男性の自慰行為とは女性から視覚的な刺激を受け、それによる性的興奮によって射精に至りますが、男性はその度に自分の遺伝情報をゴミ箱へ捨てたりトイレに流さなければならないわけです。男性の私としても、女性と比べて男性が如何に惨めな生物であるかを白状しなければなりません。この現実が男性に与える精神的影響は小さくない筈であり、その影響はプライドが高くS的気質の強い男性ほど顕著でしょう。そういった偏屈な男性は自慰行為をする度に、なんなら生きるにしたがって女性への対抗心を持つようになるかもしれません。

これが実は男性が自慰行為に暴力的なポルノを利用することの本質であり、S的傾向の強い男性にとってほど、そこでの女性は「惨め」でなければならない理由なのです。つまり男性の惨めさを女性に転嫁する結果、ポルノとは必ず女性にとって被害を生じさせるものとなってしまうのです。