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未来のためにノスタルジーをアップデートしよう!

ノスタルジー →  過ぎ去った時間を懐かしむこと。
そして過ぎ去った時間はもう戻ってくることはありません。

冷やし中華について考えた中で、自分自身とても驚いたこと・・・
それはノスタルジーというものがとても大きな存在だということでした。

以前勤めていた高級中華料理店で感じた冷やし中華に対する違和感・・・
自分のルーツを振り返り、その理由を探しました。

その結果
僕にとって冷やし中華は「気だるさ」「ダサさ」が必要不可欠であることに気づきました。

その事について詳しく書いた記事がこちらです。

結局僕はノスタルジーを捨てることは出来ず、現代には価値としてだいぶズレてきている「富士山盛り」を継承し、レシピを作りました。

その投稿はこちらです。

ノスタルジーとは自分にとって内なる大切な小部屋。
たまに小さな部屋に閉じ籠り、故郷の事や思い出に浸る。
それはとっても心地の良い至福の時間です。

一方で危険なことでもあります。
僕は今年40歳です。

知識もある程度つき、体力もバッチリ。
いいことも悪いこともそれなりに経験し、目の前で起こったことに対して少しは冷静に対処や判断ができるようになってきました。(まだまだですが、20代の時よりはね!)

一言で言えば 「脂の乗った状態」
この時期にノスタルジーに浸っている場合じゃない!
ということも言えるかなぁ...なんて思います。

過ぎ去った時間と大切に向き合いつつ
それに引っ張られず、未来に向かっていきたい!

これから自分のノスタルジーとどう向き合っていけばよいか?思うことを書いていきたいと思います。

サザエさんから考えるノスタルジーの危なさ


国民的アニメサザエさん
このアニメについてどんな印象があるでしょうか?

急にどうした?
とりあえず、後でつながりますので進めていきます。

サザエさんに「憂鬱さ」を感じる方は多いのではないでしょうか?

日曜日も終わってしまい、明日から月曜日が始まってしまう・・・
いわゆる「サザエさん症候群」です。

アラフォー世代の僕はまさにその一人。

幼少期から見ているサザエさんを改めて僕はどのような気持ちで見ていたのか?

ぶっちゃけ、おもしろいと思ったことは一度もありませんでした。

でも
日曜日の夕方6時半になれば、家のテレビについていたのはサザエさん。

これはなぜでしょうか?
一言にそういう「時代」だったから・・・としか言えません。

アラフォー世代の僕はサザエさんをどう見ていたのか?



幼少期の日曜日の夜は、自宅で家族と過ごすことがほとんどでした。

昼間は出かけたり、友達と遊んだり、活発に過ごしました。
かつて夢中になっていたファミコンも、夕方にはもうおしまいの時間です。

つまり日曜日の夕方の晩御飯になるかならないかのこの時間、娯楽はサザエさんを見るくらいしか、選択肢がなかったのです。

エンディングで磯野一家が家に吸い込まれていく場面でいつも感じた「憂鬱」

そして楽しかった週末がサザエさんと共に終わりに近づいていく・・・

この何とも言えない憂鬱さが僕にとってノスタルジーなのです。
だから僕にとってサザエさんは、この時の感情を思い起こしてくれる大切なアニメ。

しかしこれが現代にも当てはまるでしょうか?

今の子供はサザエさんをどう思っているのか?

僕は4人家族で、磯野家のような大家族ではありませんでしたが、波平さん同様に父親の威厳が強く、サザエさんの描く「日常風景」に共感できる部分も多くありました。

ですが父親になった僕はというと・・・
波平さんのようなカツオを「バカモン!」と怒鳴りつけるような威厳はありません。(情けない話ですが・・・)

そして今はスマホがあります。
サザエさんを見るくらいなら、TikTokやYouTubeを見る方がよっぽど楽しいですよね。

また、昔ながらの家の固定電話が描かれていたりする時代背景もズレています。

残念ながら、うちの小学生の子供たちにとってサザエさんに共感ポイントもなく、おもしろさもありません。

もはやサザエさんは子供に見せてはいけない番組

おもしろくないだけならば見なければいいだけのことです。
しかしもはやそれだけではありません。

サザエさんはもうゴールデンタイムにやるべきではない!という声があり、それは少しずつ多くなっていっていることを知っているでしょうか?

それはジェンダー(性別)に対する考え方です。

料理をフネさんやサザエさんが作り、波平さんやマスオさんは居間で待っているというシーンが多く描かれています。
これは女が料理など家事をするものということを無意識のうちに現代の子供たちにすり込まれてしまいます。

波平さん(男性)が絶対的な威厳を持っている家父長制。
今もこのような昔ながらの形がまだまだ根強く残っている・・・

しかし世界的にジェンダーフリーを目指す風潮の中、このような描写がゴールデンタイムに堂々と流れていることに違和感どころか、腹立たしさを感じている人は年々増えてきているのです。

ジェンダーの話とはズレますが、僕も個人的にちょっと腹立たしさを感じてしまうシーンもあります。

それは波平さんやマスオさんの仕事している様子が描かれているシーンです。

なにやらオフィスで土同僚や上司とペチャクチャ雑談をして・・・
なんかコピーをとって・・・
仕事終わりに一杯ひっかけてくる・・・

僕は料理人で現場仕事なので状況は違いますが、
これで仕事しているといえるのか?

もっとみんな出すべき結果を意識して、仕事に取り組んでいます。
通勤時間や休みの日も仕事のことを考えている時間だって実際はあります。

高度経済成長の終身雇用制の時代はとっくに終わっている中、こんな感じの働き方が描かれていることに、幼少期にはなかった怒りの感情が僕自身起こっているのです。

かつての多くの人が描いていた日常の中にある幸せの形は、多様化する現代において共通の認識ではもうありません。

そんな中このアニメに一体なにを見せられているのでしょうか?

サザエさんはオワコン化しつつあります。
それどころか老害であるとさえ感じます。
僕はこのアニメはあと数年したら、地上波から姿を消すだろうとと思います。

時代が変わっても変わらないものとは?


サザエさんが本当に終わってしまったとしたら・・・
やっぱり寂しいです。

では僕にとってサザエさんとは何だったか?
日曜日が終わってしまう 「憂鬱」
ささやかな幸せなどの「日常の共有」

この辺りがノスタルジーの中心となる部分です。

小学生のウチの子供はサザエさんを見ません。
しかしTikTokやYouTubeでレコメンドされ流れてくる動画に、共通する日常を求めています。
また日曜日の終わりには月曜日が始まってしまうことに僕と同じように憂鬱になっています。

つまり今の子供たちは、サザエさんを見てもこれらを感じないだけで、「憂鬱感」や「日常を共有したい」という思いは持っているのです。

「サザエさん」に感じたノスタルジーをそのままノスタルジーとして記憶するのではなく、その核となる「憂鬱感」や「日常のささやかな事」を抜き取って自分の内なる小部屋に入れておく。

ノスタルジーを断捨離し、アップデートすることが大切なんじゃないかと思うわけです。

冷やし中華でも同じじゃないですか?


日曜日の夕方といえばサザエさん・・・
スマホが一般化し、世の中の日常や価値観が多様になってきたことでそれは崩れました。

夏といえば冷やし中華・・・
「安くてボリューム満点=満足感」の価値観は薄れ、他にも美味しい夏の冷たい麺料理が登場する中、今の時代にマッチした冷やし中華を考えるべきではないでしょうか?

中華は火の料理。
それを冷やしてしまうというアグレッシブな思考。
それは夏、売上落ちるが中華料理店が生存をかけて生み出したもの。
さらには高度経済成長期、働く男たちの胃袋を支えたもの。

そして時代が変わった...
今こそ冷やし中華の価値を再定義する必要があるのではないか?

夏が来たら去年と同じように思考停止して、とりあえず冷やし中華をメニューに入れる。
これを続けていれば、冷やし中華はサザエさんと同じ末路になってしまうんじゃないでしょうか。

つまり次の世代にとって、美味しくもなければ、何の価値も感じない、さらには老害な料理にさえなってしまうのではないでしょうか?

そのチープな食材は本当に必要なのか?
惰性なのか?ノスタルジーなのか?

今までの、常識は通じない。
ノスタルジーをアップデートし、一度壊して作り直すこと。

多様化する現代で万人に受けるものは作りにくくなってきました。
しかし同時に、多くの人が共通して思うことって実はそんなに変わらないんじゃないかって思ったりもします。

実はそんなにむずかしいことではないのかも・・・?
考え過ぎる必要はあまりないのかも・・・?
でも思考停止は絶対にダメ!

冷やし中華は進化するのか?衰退するのか?
時代の流れには逆らうことはできません。

しかしその時代の流れの真っ只中にいる今、気づかれもしないくらい微力でも声を上げることは無意味なことでしょうか?

限りなく無意味だと自分でも思います。
でも声を上げたかった!

日本人が生み出した伝統中華料理「冷やし中華」
その大河の一滴になれたのではないかと自分に言い聞かせ、喜びを感じています。

残暑が厳しいですが、2023年大変暑かった夏もまもなく終わろうとしています。
季節の変わり目にそんなことを思い、書き残してみました。




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