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「仕事を辞めて介護​することをどう思いますか?」という質問に、れいわ新選組・山本太郎が答えました

「10年以上、多い時で3人、在宅介護​をしていました。仕事を辞めて介護​をしたり、学生​なのに介護をしたりすることをどう思いますか?」

2020年12月4日大分での山本太郎さんの街頭演説を一部文字起こししました(41分ごろから再生されます)。

介護は家族がすべきというのは国のコストカットの話である

「家族で面倒みろ」っていう話。これ、コストカットの話なんですよ。だからこそ、「家族は大切にしなきゃいけない」みたいな、多くの人々が否定しづらいような雰囲気で、みんなにそれぞれ自分でやれっていう空気を伝播していってるんですよね。もちろん「なにがなんでも自分がみたいんです」って人はみてもいいんじゃないですか。でも、そうではなくて、物理的に自分がやる以外は誰もやってくれないだろうからとか、そういうことで、自分の人生を横において介護し続けるっていうのは、これあまりにもありえない話だと。
(ヤングケアラ―の問題、介護離職でホームレスになった人の話をしたうえで)誰が面倒みるのかって。国が面倒みるんですよ。それが公助っていうんですよ。それを嫁がみろとか、家でみろとか、そういう刷り込み。誰かにとって都合のいい道徳を押し付けて、公で面倒をみるっていうことを回避し続けるなんてありえないですよ。だって憲法違反じゃないですか。日本国憲法13条にはなんと書かれているかを見れば、個人として尊重されるんでしょ。個人として尊重されるならば、身内の介護をその家族でみなきゃいけないっていうこと自体がおかしいんですよ。それぞれなんですよ。親が、介護が必要であるならば、行政がそのサービスをしなきゃいけない。行政に頼ってもお金がないんだからそんな手厚くできないじゃないかって、国がさっさと金出すんですよ。国はお金をつくれるんだから。財源のせいになんか絶対にしちゃいけない話なんですね。

国は介護に対して手を尽くし、お金を出していくことを徹底すべき

まず介護職に対して処遇変えなきゃダメですよね。……当たり前のことですよ。国はわかってるけどやらないんですよね。お金がないっていうような雰囲気してますけど、嘘ですからね。……国がちゃんとそこは、介護に対しても手を尽くしていく、お金を出していくってことを徹底させていく。これが一番重要なことなんだろうなと私は思います。
親の介護、そのために自分の人生を諦めなければいけない、そういうことで離職をする介護離職。他にも、その家族だけの密室空間、閉ざされた空間によってもう我慢できなくなる、お互いに逃げ場がない、そんな中で手をかけてしまう介護殺人。こういったものが一向に減らない、その理由はなにかって。国が公助っていう部分でサボっているからですよ。自分らでやれよっていう、そういう方向性にしているからですよ。でもこれって憲法13条違反なんです。個人として尊重される。介護においてもそう。家族でみなきゃいけないなんて道徳的な話じゃないんです。あなたの人生が親の介護で終わってしまうような状況は絶対に避けなければならない。だって、個人として尊重されるんだから。

介護職・保育職などを公務員化する必要がある

(親が生活保護を受給している人気芸人が、社会的にバッシングを受けた話を紹介したうえで)生活保護においても、介護においても、なににおいても、この国においては個人として尊重される。家族の面倒は家族がみなきゃいけない? 冗談じゃない。みられないときには行政がみなきゃいけないんですよ。自分の人生を横に置いてまで犠牲にならなきゃいけないような政治、これを放置し続けている政治があまりにも間違ってる。お金をつけるとこにつけなきゃいけないし、当たり前のことですよね。私はこういう考え方なんです。だからこそ、例えばですけれども、この介護職、他にも保育職、そういう職業の方々に対しては、しっかりとした処遇と、しっかりとした身分を持っていただきたい。だからそういった仕事に関しては、私は公務員化する必要があると思ってます。これすごく必要じゃないですか? 地方都市において雇用の受け皿、多くないですよね。そういった意味でも私は広げていくべきだというふうに思います。

自民党改憲案は介護の自助共助の部分を広げようとしている

自民党改憲案24条(新設)の中にはこういう条文がある。「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」ハッキリ言いますよ。余計なお世話ですよ。個人単位でみんなバラバラじゃないですか。どうしてひとつの、自分たちのモデル、家族像みたいなものをつくろうとするんですか。どうしてそこに押し込めようとするんですか。おかしな話でしょ。
どうしてこういうことを言っているかっていったら、自民党がこういうものをつくっているっていうのは、自助共助という部分をいかに広げるかっていうことを憲法の中にも入れてきているってことです。要は国が責任持たない。個人として尊重されるということならば、介護においても、その他の分野においても、行政が、国が、責任を持つような政治を本来は目指さなければならないんだけれども、こういう書き方をすれば「自分たちでやれ」っていう枠組みがもっと広がっていきますよね。まさにいま、そうなっちゃっているんですけどね。「自助共助でよろしく」っていうことに。
彼らが考えているこういう憲法的な改正の中にも、コストカット、本来ならば国や行政がしっかりとやっていかなければならないものに対しても、皆さんに押しつけようっていわれるような概念が、こういうところに入っているんだなというふうに私は思います。なので、しっかりと国・行政が手助けをしていけるように、それぞれの個人の人間の尊厳を守りながら人生を終えられるようなサービスを提供していって、介護を支える側にわざわざ回らなくていいような社会をつくっていかなきゃならないなっていうふうに思います。

なお、財源についてはこちらもご覧ください。

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