米山氏のMMT批判の問題点

こちらの記事の3つの問題点を指摘します。

米山氏の批判対象

米山隆一氏は、中野剛志氏の記事を元に、MMT批判を行っています。最初に、中野氏の主張6点を取り上げ、「このうち1~5は標準的経済学でも同じ結論になります」と述べています。

1.銀行の預金が貸し出されるのではなく、預金は貸し出しによって生まれる
2.通貨発行権を持つ国は財政赤字では破綻しない
3.財政赤字は民間の貯蓄を増やす
4.財政赤字によって通貨供給量が増える
5.財政赤字は金利上昇をもたらさない
6.財政赤字がインフレを招いたら、財政赤字を止めればいい(やめる事が出来る)

間違い①:国債を日銀が買わない限り通貨供給量は増えない(?)

まずは、「4.財政赤字によって通貨供給量が増える」についてのこちらの記述から。

標準的経済学では、財政赤字をファイナンスするための資金を、赤字国債を市中に売却することで調達するからです。この場合政府は、赤字国債を売って民間から通貨を受けとり、それを使いますから通貨供給量は変わりません。/しかしMMTでは、暗黙のうちに、発行した赤字国債を中央銀行が直接引き受けるか、現在日銀がやっている「異次元の金融緩和」のようなことをして、ほぼ全量を買い取ることが前提となっています。

「民間」としか表現していないところからみて、国債の売却先が「民間銀行」なのか銀行以外の「企業や個人」なのかによって違いがあることを米山氏は理解していないようです。

端的にまとめるなら、政府が赤字財政支出を行い、国債を
①中央銀行に売却→マネタリーベース、マネーストック
②民間銀行に売却→マネタリーベース一定、マネーストック
③企業や個人に売却→マネタリーベース一定、マネーストック一定
となります。この法則性は会計上、常に成り立ちます。

ですから、国債を中央銀行に売却した場合のみ通貨供給量が増えるというのは明らかな間違いです。

間違い②:財政赤字は金利上昇を招く(?)

次に、「5.財政赤字は金利上昇をもたらさない」についてのこちらの記述。

5も4と同じことで、標準的経済学では、赤字国債を市中に売却するので、民間の資金が政府に吸収されて逼迫(ひっぱく)し、債権の値段が下がって金利が上昇します。

ここでも、間違い①と同様、「民間銀行」と銀行以外の「企業や個人」を「民間」として一緒くたに扱っています。

そして、間違い①では「赤字国債を売って民間から通貨を受けとり、それを使いますから通貨供給量は変わりません」と述べていたはずです。通貨供給量が変わらないのに、資金が逼迫するとは一体どういうことでしょうか。

ここで、財政赤字を「財政支出」と「国債の発行」に分けて考えてみましょう。そもそも、財政支出自体は通貨供給量を増やし、金利を低下させます。そして、金利を元の水準で維持するためには、国債発行して民間銀行に売却し、準備預金を吸収する必要があります。

確かに、「国債の発行」だけなら、金利の上昇をもたらします。しかし、そもそもの中野氏の主張は「財政赤字は金利上昇をもたらさない」です。よって、財政赤字が金利上昇を招くというのは明らかな間違いです。

間違い③:又貸し説も万年筆マネーも同じ話(?)

続いて、「1.銀行の預金が貸し出されるのではなく、預金は貸し出しによって生まれる」についてのこちらの記述。

預金が貸し出しを作るのか、貸し出しが預金を作るのかも同じ話で、同じ物事をどちらから見ているかに過ぎません。標準的経済学でも預金が貸し出しによって生まれると考えることもあり、特段新しい考え方ではありません。

冒頭では、「このうち1~5は標準的経済学でも同じ結論になります」と述べていたはずです。「同じ結論になる」と「考えることもあり」は全く違います。「又貸し説よりも万年筆マネーの方が正しい」と考えるMMTと、「又貸し説も万年筆マネーも同じ話」と考える「標準的経済学」とが「同じ結論になる」とは一体どういうことでしょうか。

なお、又貸し説と万年筆マネーの帰結は全く違います。決して「信用創造を逆の方向から見ている」程度の話ではありません。「又貸し説は融資した全額が即座に引き出され(あるいは送金され)るという限定的な状況のみを説明するモデルである。又貸し説を採用した場合にも、決済需要に応じてBMを別途準備する場面は起こり得るのであるから、又貸し説が万年筆マネーに対して優位な点というのは全く存在しない」というのが私の考えです。詳しくは次の記事をご覧ください。

また、こちらは物語形式で又貸し説と万年筆マネーの違いを説明したものです。


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