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トイレから見る日本人

こんにちは
今日は東南アジア数カ国回った中で思ったトイレについて

欧州、アフリカ、中東、東アジアとかの地域はまだいけてないから、
自分の行ったことのある東南アジアの国と日本のトイレ事情から日本人の
価値観とか考えとか書いてみたい。

取り立てて、どこの国のトイレがこうでああでとかではなくて、抱いた印象

東南アジアのトイレはなぜか、シャワーが備え付けられていることが多い。
大をしたときにケツをすすぐためだと思うのだが、いかんせん俺日本人使い方がわからず、その辺を水浸しにしたこともある。
どの角度からどのように当てるのか試行錯誤。
トイレットペーパーも基本流せないし、なんなら備え付けられてないケースだって多々ある。
当然、ウォシュレット・音姫・暖かい便座なんてありやしない。
今ではこっちのトイレに慣れたかもしれないけど、それでも日本のトイレが恋しいよ。

そこそこの国(マレーシア、インドネシア)のショッピングモールの有料トイレはわりかし使いやすい、シンガポールも。
だけど、日本のトイレはそれの数次元高い存在にある。
それほどまでにトイレに関しては日本はすごい。
もっと、世界にかけて売り込みをかけていくべきだ。

でも、いくら色々な機能が備え付けられている日本のトイレであっても
使い方、マナーがひどければローカルの汚いトイレと遜色なくなる。
このことから言いたいのは日本人はトイレマナー、ひいては清潔に対する
意識、美意識が高い。
トイレは清潔に使うのはもちろん、便座を拭くためのアルコールだって常備されている。
なんでこれほどまでに日本人の清潔に対する意識が比較的高いのか。
歴史的背景だったりあるのかな、とか気になる。

ちょいと調べてみると、遡ること縄文時代まで。
その頃からゴミの場所と生活の場を分けるようになっていたみたい。
ゴミが集められていた場所「貝塚」聞いたことある言葉だ。
その後に掃除という文化が宗教的な意味合いを持ちながら流入してくる。
それが日本の中で少しずつ形を変えて、穢れを祓うみたいな意味で用いられるようにもなったみたいだ。
江戸時代あたりの上下水道はすごかったという授業の記憶がある。糞尿は畑に使うよう1箇所に集められたり、井戸や水道管が設置されるようになった。それは戦乱もなく安寧な生活を送れるようにした徳川幕府の知られざる功績なのかもしれない。
近代になって公衆衛生という観念が導入され、科学的な根拠を持って清潔が進められるようになった。

こうして歴史を振り返ってみると面白い、勉強になる。
今と意味合いは違うものであるが、きれいにするという概念は昔から日本
独自に存在し、意識の根底に今も紐付けられているだなと。
ある意味、掃除は戦後もなお脈絡と受け継がれてきた無形、精神的なものなのかもしれない。
忘れないようにしよう。


ここまで書いてきて、今まで我々が快適に使っているトイレは洋式である
ことを思い出した。
でもまあ明治時代ごろに新たに入ってきたものを日本風にアレンジした
日本風洋式トイレは誇っていこう。

ビバ、日本のトイレ。
ビデ、ウォシュレット。

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