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木村汎先生の剣幕

 ささやかながら、電子書籍を1冊、書きました。
 
神谷英邦(2023)『大阪府警ソトゴト(ロシア担当):大阪府警VS神奈川県警』(アマゾン電子書籍、Kindle)

 
 拙著の中には書いておりませんが、木村汎先生がご生前に、ものすごい剣幕で大阪府警外事課の課長補佐を追い返されたことは、ご記憶ではないでしょうか。
 
「お宅の会社には『役割』があるのは知っています。名刺は渡しますけどね、ゼッタイに電話をしてこないでくださいね!」
 
 小生の想像するに、ご記憶にはないと思います。
 同じ場面に、何度も遭遇されていると想像するからです。
 
 日本における「インテリジェンス・コミュニティー」が図示された際に書かれる「警察庁」や「内閣情報調査室」。これらが意味するところを属人的な固有名詞をあげれば警察庁キャリア官僚にいきつくだろうとは想像しますが、それらは47都道府県警察という「現場」から収集・分別された集積体といえるのではないか。上記拙著は、そうした「日本国内における『外交現場』」を描いたノンフィクションです。
 
 おそらく、「『プーチン』3(4)部作」のご執筆と講演活動に晩年の輝きを燃やしておられた頃。日本の諜報機関が制度面から整備されていました。それが今後どのように展開されるのか。第一次安倍晋三政権でゼロ年代に議論され、2009年の民主党政権でも議論され、第二次安倍晋三政権で制度的には骨子ができつつあったのだろうな、と想像します。
 小生は同時期の検証を行うことができないでしょうが(「検証」と申しましても小生のアプローチでは、という限定的な意味です。先行研究は存在し、学術書として出版されていることも存じておりますが)、第二次安倍晋三政権でのインテリジェンス整備の検証過程は、福田康夫政権のもとで法整備された公文書関連法案の運用によって、小生(1980生)の一世代後の研究者から本格的な検証作業を行う時間を順次迎えていくのだろうなと思う今日この頃です。
 
 内閣総理大臣のもとに、精査された機密情報が届けられ、それを判断材料として政治決断がなされる。民主的な正当性をあたえられた国会議員の中から選出された内閣総理大臣を最高責任者として、決断がなされる。
 そして、(おそらくその人の死後になって)開廷される「歴史の法廷」に、研究者による検証を経た公文書が証拠となり、その事後の経過を知る後世の人々によって、(たとえば当該歴史事象等の焦点となる当時の内閣総理大臣の)棺をおおうように「評価」をうけつづける。
 
「『政治』や『外交』や『歴史』は面倒だ」
 
 このような忌むべき無関心が市井において一般的になれば、21世紀に入ってからの法整備は、魂のはいらぬ「仏像」になってしまいます。木村汎先生のご存命の折りにご関心があったかどうかは存じませんが、とりあえず、「仏像」はつくられました。
 複数から成り立つ「仏像」。拙著に関わるものとは異なる「仏像」の一つの図面が安倍晋三首相(当時)に手渡されたのは、5月15日。くしくも安倍晋太郎外相と高坂正堯先生のご命日のことだったと聞きます。
 
 しかし、安倍晋三首相を支えた一人、北村滋氏は別格としましても、小生の知る限り、大阪府警と兵庫県警は「仏像」のことよりも、目下の仕事に懸命でした。現場において情報が共有されることなく、
 
「隣の同僚が何をしているか。それすらもわからない(知らされないし、知ろうとも思わない)」
 
 大阪府警察本部のオフィス。

 その「部署」の存在は「大阪府警」という会社の中においても秘密にされていたというエピソードを裏付ける小話を承っています。小生のカウンターパートが大阪府警本部長賞を受賞。本部長賞の授与式が行われた後の本部長室に、式服に着替えることなく私服(スーツ)で訪問して、他の受賞者とは別の時間帯に授与される。そのようなものだと聞きました。
 
 「仏像」たちに魂をこめられるのが、「20××年頃」と申し上げることはできませんが、少なくとも2010年代には、そのような時代ではなかったということだけは、小生が東京都町田市に拠点をうつしたことで耳目に接することができました。
 木村汎先生にはお叱りをうけるかもしれませんが、拙著では、「学術論文」からは距離を置いております。同時代の「体験談」を小説にした、という体裁をとっているからです。引用を行った参考文献には書籍データを明記しておりますが、論文でとられているような「文末(巻末)脚注」ではなく、文献情報を「本文中」に登場させております。
 
「どうやら私(神谷:かみたに)は、学術論文を書く環境には、身を置いていなかったようだ」
 
 世間では「虚構」の世界にしか存在しない「世界」を生きた、小生の30代という「青春」。そのような「青春」を送ってしまったがために、友人や知人とは疎遠になってしまいました。しかしながら、「民主的な選挙という手続きを経たという正当性に担保された、内閣総理大臣。その人の判断材料を提供するために『非効率的な行動』がどのように行われていたのか」。ひととなりだけではなく、「書き物」によって評価される日がくることを願って過ごす俗世の毎日です。
 
 
2023年11月14日 23時30分 公開
 
 
【追伸。】
 阪神タイガースが、1985年以来となる、日本シリーズ制覇(日本一)を成し遂げました。ワタクシゴトながら、小生が阪神タイガースファンとなったのは、1987年。「日本一」を実体験として経験したのは、初めてです。
 
 これを「歴史」というには早すぎるかもしれませんが、1985年日本シリーズで、西武ライオンズに勝って日本一になった阪神タイガースについて、東京都内の忘年会で一緒に席を囲んだ埼玉県警の方が申されました。
 
「西武球場という『目の前』で胴上げされたあの悔しさを、今でも覚えています」
 
 小生は、その1985を同時代人としては知りません(幼稚園の年長組でした)。「映像」を通して「歴史」として知っているのみです。
なぜこのようなやりとりを埼玉県警の方と行ったのか。
 
 その忘年会では、小生の隣に座った顔見知りの神奈川県警の方が着座(自由席)。向かいの席に誰が来るのだろうと待っていたところ、奇しくも初対面として名刺交換した相手は、埼玉県警。神奈川県警と埼玉県警が意気投合するあまり、「大きな声」になってしまいました。小生も警察官という身分こそもたないものの「大阪府警」ですから、話の内容をなんとなく理解できてしまいます。情報共有について厳しいファイアーウォールをしかれている神奈川県・埼玉県の同業者が、ビジネスパーソンの参加する忘年会の一角で「情報交換」。
 
「前回の決算で『神奈川県警』は『大阪府警』に猛烈な追撃をうけましたが、なんとか逃げ切ることができました」(神奈川県警)
 
 埼玉県警では「専従」が配属されることなく業績をあげられない危機感。
 熱気に水を(故意に)さしたのが、小生の次の発言です。
 「酒の席での会話」では済まされないぞ。
 
「『大阪府警』といえば、『阪神タイガース』のような存在です」
 
 二重カギカッコの部分は、小生が故意に大きめの声をあげた箇所です。
 隣の席に座った一介の個人事業主が、「同業者」の会社名をあげたら、会話が止まります。
 
 埼玉県警の方が、すかさず応戦。
 それが、西武ライオンズがその本拠地である所沢で見せられた、日本シリーズ対戦相手・阪神タイガース日本一の胴上げです(1985)。
 
 西武ライオンズ(1985)の逸話をもちこんで迎撃された埼玉県警との応酬に小生が「スリル」を感じなかったといえば、ウソになります。学術研究においては許されない「感情」かもしれませんが、そのような瞬間があったという懺悔を許されるのは、「阪神タイガース」というものであることをここに明記しておく次第です。
 
 ただし。
 木村汎先生が、メディア取材のために、「阪神タイガースファン」を演じられていたのであって、実のところは(たとえば)、阪急ブレーブスファン・オリックスブルーウェーブファン・オリックスバファローズファンであられましたら、衷心よりお詫び申し上げます。
 そして、
 
「日本シリーズ(2023)を戦った阪神タイガース。その対戦相手のオリックスバファローズはそれ以前の過去3年間にパリーグ3連覇をなしとげた王者。最終戦は『第7戦』までもつれこみました」
 
 と、「見苦しい言い訳」をさせていただきます。
 
 もっとも、阪神タイガースが惜しくもリーグ優勝を逃した1992。
 中学受験をへて入学した中高一貫の男子校にて小生は、「エリート教育」をうけております。国語科の若手のU先生が授業でおっしゃいました。
 
「道頓堀への飛び込みはアカン。意味がない。そもそも、1985の(リーグ?)優勝の時に道頓堀に飛び込んだのは、『3人』だけやった。今回(1992)は優勝もしてないのに、『90人』も飛び込んだと報道されている。雰囲気に流されているだけや。1985は、『3人』やったから、価値がある。・・・・・・もっとも、『3人』のうち一人は、俺(U先生)の先輩やねんけどな」
 
 あの、「エリート教育」から30年。
 
 恩師の教えをお慕いするあまり、母校の公式メールアドレスを通して問い合わせたのですが、返事はありません。今では「危険なのでやってはいけないこと」になってしまっていますので(1985以降には死者も出ましたので)、30年前の1年D組での「エリート教育」は、検証されることもなく「歴史」として残らないのだろうな、と歴史の恩恵をうけている学徒として申し訳なく感じております。
 「歴史」(たとえば映像)として記録(記憶)されるのは、「阪神優勝に感極まって道頓堀に飛び込む阪神ファン」であって、たとえそれが群衆の中の(自分自身の行動に自覚と責任をもった)「3人」であったとしても、「3人」というイメージが(無自覚な)「群衆」へと飛躍する。これは社会としての認識の変化としては「近道」だった、のかもしれませんね。


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