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賞味期限のない「贈り物」

私の誕生日当日。

ではなかったけれど、私の誕生日から2~3日過ぎた日の夜のこと。
何気ない会話をしながら、いつも通りの雰囲気で夕飯を食べていた。
すると小学4年生と3年生になる息子達から
「ママの誕生日プレゼントを買いに行きたいから、明日僕たちが学校から帰ってきたら、お店に連れてって」と言われた。

いつの間にか30歳を超えて母になっている私が、誕生日プレゼントを買ってもらえる?!
ここ何年も、プレゼントをもらえるというワクワクからは遠のいていた私。
そんな折に急きょ訪れたサプライズプレゼントのようなお誘い。しかも忘れ去られたと思っていた、私の誕生日当日を過ぎてからの企画。
日常生活で張りつめていた神経がふっと緩んだ。

でも明日になったらそんな約束忘れて、友達と遊びに行っちゃうだろうな……。

うれしさと同時に、子どもたちの言葉から桜の花びらよりも強いはかなさを感じた私。
翌日はあまり期待しないで子どもたちの帰りを待っていた。


「ただいまー!」
ガチャっと玄関のドアを思いっきり引っ張り開ける音がし、きっと靴なんて揃えずに入ってきたであろう早さで、リビングの引き戸が勢いよく開いた。立て続けに入ってきた長男と次男が顔をのぞかせて言った。
「ママ、誕生日プレゼント買いに行こう!」

ちゃんと覚えてた!
私は冬生まれのくせに寒さに弱く、冬が大嫌い。陽が傾き始めるのが早いこの季節に、夕方から出かけるなんて、憂うつ極まりないこと。しかしこの日は違った。太陽が低くなりオレンジ色に染まる空の下、外へ出た時の冷たいからっ風にさらされても、肩をすくめることなんて忘れるくらい気分が明るくルンルンだった。

どこのお店へ行くのだろう。どんな物を選んでくれるのかしら。この提案はいつ、どちらから言い出したのか。いろんな想像を巡らせながら出かける支度をし、胸を躍らせていた。支度が出来た私は胸だけではなく、小躍りしながら車庫へ向かっていたかもしれない。

子どもたちを車に乗せ、リクエストを受けたスーパーマーケットへ向かった。ハンドルを握る私の横顔は、ニコニコ?いやニヤニヤが隠しきれなかったと思う。

バースデイソングを歌ってもらっている時の照れくさい感じ。誕生日ケーキのろうそくを消すときの主役感。子どもたちの想いが「本日の主役」という見えないタスキを私にかけてくれた。

いつの日からか、自分の誕生日なんて楽しみでも何でもなく、日常に埋もれていた。子育てや仕事に追われ、時間にも気持ちにも余裕のない日々。子どもの頃のような誕生日に対する特別感はほとんど消えていた。

だからといって家族から誕生日を全く忘れられていたわけではない。結婚して2年目くらいまでは夫からの誕生日プレゼントがあった。しかしそのプレセントは、なぜか私の好みとはかけ離れたもの。プレセントの包みを開ける時は、どんよりした曇り空を胸に抱えながらプレセントを迎える儀式だった。

結婚後に迎えた2回目の私の誕生日。「ありがとう」と言って夫からプレゼントを受け取り、目を細めながら中身を確認した。すると何やら皮製品のような塊が見えた。

その塊を取り出し、しばらく沈黙。手に取ったプレゼントが何なのか認識できなかった私は夫に
「これ、何?」とシンプルに尋ねる。
「かわいいかなと思って」とこれまたシンプルに答える夫。
謎めいたプレゼントの正体は、淡い茶色のドクターズバッグだった。

「へぇ~変わったバッグだね」
ドクターズバッグを初めて見た私は、怪訝な表情を浮かべながらひと言発した。

(コレはオシャレなの?私の趣味ってこういうものだと思われてるのかな……全く違うんだけど。それにこのバッグ、金具が固くて口が開かない。)
静かに佇む夫をよそに、心の中で呟いていた。

釈然としない私の反応を見て、夫も察したのかもしれない。そんな気まずい誕生日を機に翌年の誕生日から「これで好きなものを買って」と茶封筒を渡され、夫から私への誕生日プレゼントは現金支給に。その現金を予算にして自分の誕生日プレゼントを物色するようになった私の誕生日は、もはや結婚式や法要の引き出物の“カタログギフト化”した。

一方、私から夫への誕生日プレゼントといえば、夫の趣味に合う持ち物を贈るのが定番だった。
耐用年数が過ぎた物でも気にせず使っていたので、正直みずぼらしくなっていたり、時代遅れな感じがしたりしていたので、新調する意味も込めて新しいアイテムを選んでいた。

ところが、私が贈ったプレゼントは目の前で開けられたのを最後に、再度箱から出された様子がなく、使っている形跡がない。あろうことか箱にうっすらホコリがのっているではないか。

不満と不思議さを覚えた私は、夫に質問した。

「どうして使ってくれないの?他に欲しいものがあった?」
すると「いや、もったいないから大事な時に使おうと思って」と悪気はない様子の返答。

本心の返答だとしても私には理解できず、夫への誕生日プレゼントは「家族で外食してみんなでケーキを食べる」といった内容に流れ行き着いた。私から夫宛ての誕生日プレゼントもまた、このように形骸化してしまったのである。

夫婦間では当たり障りのないスムーズな取引で、誕生日イベントを乗り切る温度のないやり取り。だからこそ夫のATMからやってくる茶封筒を受け取るという、まるで給料日のような誕生日から一転、子どもたちからのお誘いが、久しぶりに高揚感のある誕生日を与えてくれた。

ニヤつきながらハンドルを握る私と車内でワクワクしている子どもたち。一緒にプレゼントを選ぶ絵を想像しながら車を走らせた。

自宅から10分ほどでリクエストのスーパーに着いた。車から降りると、私を真ん中にして手をつなぎ、2人の息子たちは迷いなく歩き始めた。

目当ての店の前で足を止めた2人は、私の手を離して言った。
「プレゼントを選んでくるから、ママはここで待っていて。お店の中へ入ってきたらダメだよ」

そう言い残し、駆け足で2人仲良く店内へ消えていった。

「えっ??」
目当てのお店は民族系の雑貨や洋服を取り扱う店舗で、私はアクセサリーや洋服をちょくちょく買うことがあった。子どもたちを連れて入ったのは数えるほどだったと思うが、子どもたちは「ママの好きな物が売っているお店」と記憶してくれていたらしい。

しかし同行するのは店の前までとは……お店のチョイスもさることながら、てっきり一緒に店内を回るものだと思っていたので、子どもたちの指示は予想外だった。

子どもたちに言われたとおり、店から5mくらい離れたソファーに座り、店の外で待っていた。まだ140cmにも満たない2人の身長では、マネキンや店内の装飾に紛れてしまい、ソファーから2人の様子は見えなかった。

5分も経たないうちに2人の様子が気になり始めた私は席を立ち、店の外側にあるマネキンに身を隠しながら、店内の様子をそっとのぞいた。

店内では私に背を向けた位置で、兄弟2人が何やら話し合っている様子が見えた。すると1人がその場を離れて別の売り場へ走り去る。私の姿には気づいていない。店内を駆け回り、なにやら忙しそうに商品を選んでいるようだった。

心の中でクスクス笑いながらも、懸命に私の誕生日プレゼントを選ぶ子どもたちの姿を見て、胸がいっぱいになった。
胸を熱くしていたのもつかの間。子どもたちが約束を破ったのぞき魔に気がつき駆け寄ってきた。ソファーの方へ私を押し戻しながら真剣な眼差しで言った。

「ママ見ちゃダメ!ちゃんと座ってて!」
プレゼントは開けるまでナイショのお楽しみ。
ハッキリ教えた覚えはないけれど、子どもたちが触れてきた環境の中で自然に学習したのだろうか。楽しみを届けようという徹底ぶりをこれ以上茶化すのはやめようと思い、2人が戻ってくるのをおとなしく座って待った。


ほどなくして、会計が終わった子どもたちが、満足げな表情で店から出てきた。
「今プレゼントを包んでもらってるよ!」
私は席を立ち、やっと店に入ることが許された。

子どもたちと店内に入りレジの方に近づくと、プレセントを包んでいた店員さんは手を早めながらニッコリと言った。
「お母さんの誕生日プレゼントを買いに来たと教えてくれました。かわいいお子さんたちですね」

2人が店員さんに希望を伝えたことを知り、目的を果たす買い物をやり遂げたことを立派に思った。


包み終えたナイショの誕生日プレゼントを受け取り、店員さんにお礼を言った。行きと同じく私を真ん中にして手をつなぎ、歩き出した。駐車場へ向かう途中、子どもたちが手に持ったプレゼントが入った袋のすき間が気になった。チラッとのぞきたい衝動にかられたが、グッとこらえ家路を急いだ。

帰宅した後すぐにでもプレゼントを見たかったが、はやる気持ちをおさえて、まずは食事を済ませた。プレゼントがそばにありながらとる食事は、食べているのにお預けという何とも不思議な状態。徐々にお皿が空になっていき、箸を置く。いよいよ迎えたプレゼント贈呈式が始まった。


「お誕生日おめでとう!」
兄弟2人のハモリとともに嬉しそうな笑顔とまっすぐな心で手渡された誕生日プレゼント。

「ありがとう!」
思わず顔がほころんだ。自分たちで用意したプレゼントを人に渡す子どもたちの表情は初めて見たが、活き活きとしたいい表情をしていた。

いざとなるとプレゼントを見るのがもったいない気持ちになった。袋を開けてしまったらこんなにうれしいことが終わってしまう。キラキラとした子どもたちの目は私の表情に注目していた。

この瞬間を味わうようにゆっくりと袋を開けた。
湯気が出そうなくらいほやほやの袋から出てきたのは……。

・黄色のニコチャンのハンドタオル
・黄色のレモン絵柄のサラダボウル
・赤色のふくろうのマグカップ
・エスニック柄のピアス
・ボンボンのついたピアス
・エスニック柄の小物入れ

さらに長男、次男それぞれからの直筆メッセージカードが入っていた。
プレゼントの数に驚いたが、内容にはもっと驚いた。

・仕事で毎日ハンドタオルを持っていく。
・フクロウが好きで家の中にインテリアグッズをいくつか飾っている。
・カラフルな色合いが好きで、持ち物にビタミンカラーが多い。
・ピアスが好きで、出かける時は必ず身に着けている。

プレゼントの内容はすべて私の好みにピタリと一致していた。
偶然ではなく、子どもたちはいつの間にか私の好みや身に着けている物を把握していたのだ。
私の育児よりも子どもたちの方がずっと観察力があることに胸を打たれた。

「こんなにも私のことを見てくれていたんだ……」


一瞬にして豊かな安心感にくるまれた私。
目の前に並ぶプレゼントの輪郭がだんだんとぼやけ、インクが滲んだような世界がじわじわと広がり始める。
1つの顔で、1度では表しきれない、たくさんの感情が一気に押し寄せてきた。

メッセージカードには、私への日頃の感謝と仕事を応援する言葉が綴られていた。プレゼントを選んだ後に、2人で書いてくれたのだろうか。

カードの文字も読めないくらいに目頭が熱くなり、涙が目の輪郭いっぱいになったところで、ダムが決壊した。プレゼントの中にあったハンドタオルを早速使い、次から次へとあふれ出てくる涙をタオルでせき止めながら、何度も読み返した。

目を真っ赤に腫らして喜んでいる母親の姿は少し不思議だったかもしれない。
「ありがとう、ありがとう」と子どもたちに何度も伝えた。

すると兄弟2人は顔を見合わせてニコニコしながら、大成功といった表情を見せてくれた。まだまだ私のうるんだフィルター越しに捉えた表情ではあったが、私にはそう映った。

こんなにあたたかい贈り物をもらったのは初めてだった。ごく自然なぬくもりだけど、とても特別なもの。

光芒のようなまっすぐでキラキラした笑いと涙だけがリビングを満たし、麗らかな春の日のようなあたたかさに包まれていた。


「いつもあなたを想っています」
子どもたちからの贈り物は、相手を想う気持ちを呼び起こさせ、

想いを形にする大切さを語りかけてくれる、心の証だった。

相手を想う気持ちを添えた「贈り物」は生もの。
相手を想う気持ちがなければ、それは荷物同様、ただの「送り物」。
子どもたちからの届いたのは、活きた想いに満ち溢れ、

それでいて賞味期限のない、心に届く「贈り物」だった。


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