見出し画像

世界最古の長編小説『源氏物語』の世界 〜光源氏と愛執に惑う女たち〜

「王朝文学の傑作と高く評価される『源氏物語』。
世界初の本格長編小説ともいわれるこの物語は光源氏(光る君)を主人公に、計400人以上の人物が登場する壮大で複雑なストーリーです。
今回は、光源氏の愛の遍歴と愛執に惑う女性たちがどのように描かれているかについてです。
第一線で活躍する歴史研究者&歴史作家が、世界最古の長編小説ともいわれる『源氏物語』のストーリーを徹底解説します!

監修・文/福家俊幸

ふくや としゆき/1962年、香川県生まれ。早稲田大学高等学院教諭、早稲田大学教育学部助教授を経て、現在は早稲田大学教育・総合科学学術院教授。著書に『紫式部日記の表現世界と方法』(武蔵野書院)、『紫式部 女房たちの宮廷生活』(平凡社)など多数。


世界初の本格長編小説『源氏物語』
400人以上の人物が登場する王朝文学の傑作

図版作成/グラフ

圧倒的スケールを誇る
長編小説の魅力とは

 『源氏物語』は平安時代中期、11世紀の初頭に、一条天皇の中宮彰子に仕えた、紫式部という宮廷女房によって作られた。複数作者による共同制作とする説、一部に紫式部以外の作者による巻があるとする説などもあるが、現在まで、紫式部1人の作と考えられることが多い。

 『源氏物語』は全部で54帖から成る、長編物語である。物語の時代は四代の帝、桐壺・朱雀・冷泉・今上に及び、70余年にわたる時間が流れている。登場人物は410数人。さらに主要な人物だけでも50人を超える。物語の長さのみならず、そのスケールの大きさも圧倒的である。

 主人公は光源氏。言うまでもなく、絶世の美男子であり、多くの女性と浮名を流すとともに、抜群な才知を発揮する理想的な人物として描かれている。

 一方で、桐壺帝の最愛の子でありながら、第2皇子にして母の地位が低く、臣籍に降下し、帝位から遠く隔てられていた。そうした影を背負っていることが光源氏の造型に深みを与えている。

 光源氏は父の后と密通の罪を犯すが、その不義の愛が天皇に准ずる地位の原動力となった。しかし、後年、若い妻が密通し、光源氏は罪の報いに戦慄し、苦悩する。

一夫多妻の時代に
貴族女性がいかに生きていくのか


 ところで光源氏という名は、光り輝くほど美しい源氏の君という意の通称であり、いわばあだ名である。光は本名ではない(源光ではないのである)。そして紫の上、明石の君、夕顔、浮舟などの女君も本名ではなく、これもあだ名のようなものである。

 そのように言うと、どこかベールの向こう側の人のような印象を受けるが、『更級日記 』の作者・菅原孝標女が少女時代に成人したら夕顔や浮舟のようになれると信じていたと記しているように、物語に登場するキャラクター達はいずれも迫真性があり、内面も含めて精緻に描き分けられている。

 光源氏は魅力的だが、同じように光源氏を取り巻く女君達の描かれ方がこの物語の魅力を増大させていると言えよう。一夫多妻の時代にいかに貴族女性が生きていくのかというテーマが掘り下げられている。光源氏亡き後の、宇治を舞台とする宇治十帖も、細やかな心理描写と、より迫り出した宗教的な世界が物語にさらなる陰影と深みを与えている。

第1部から第3部まで
物語のテーマと内容は


全54帖、約100万字の大長編小説である『源氏物語』の内容構成を図式化したもの。各帖の分量(文字数)をそれぞれの「幅」で表現している。

 この長大な物語は3部に分けて考えると、理解しやすいと言われる。

 第1部は、桐壺巻から藤裏葉巻までの33帖で、継母・藤壺との密通を基軸に、藤壺の姪である紫の上との出会いなど、若き日の女君達との奔放な交渉が描かれる。政敵右大臣の姫君・朧月夜との密会が発覚し、須磨に流謫し、明石の君と出会う。その後、帰京して昇進し栄達する。大邸宅六条院を造営し、妻達を住まわせ、准太上天皇の高みに上る。

 第2部は若菜上巻から幻巻までの8帖で、晩年に差し掛かった光源氏が直面する罪と罰を描いている。

 朱雀院の皇女である女三の宮の光源氏への降嫁は、理想の妻であった紫の上との関係にひびを入れ、さらにその女三の宮が柏木と密通するに及び、光源氏は若き日の藤壺との罪の因果応報を痛感するのだった。

 第3部は匂宮から夢浮橋までの13帖で、光源氏亡き後の物語である。薫、匂宮と二人の貴公子が宇治の大君、中君、浮舟と恋愛を繰り広げる。出生の秘密を持つ薫を軸に、没落皇族の娘達の物語が進行し、仏教的な色彩がより強くなっている。


華麗なる女性遍歴を重ねる光源氏の前半生

『源氏物語』の舞台となった宮中
平安京の北辺には宮城である平安宮(大内裏)があり、その内部の中央東寄りに天皇の私的空間である内裏(禁裏、御所)が置かれていた。南北約300m、 東西約200mの規模で、周囲は築地に囲まれている。 この内裏の南側には天皇が日常の生活を送る清涼殿や政務所である紫宸殿が置かれていた。内裏の北側は後宮と呼ばれ、天皇の后妃や女官などが暮らす「七殿五舎」の建物があった。『源氏物語』に登場する桐壺更衣、藤壺、弘徽殿女御らは、その居住していた御殿の名を取って「通称」としてい た。江戸時代の大奥とは違い、男性の貴族なども普通に出入りをしていた。
図版作成/グラフ

第1部の焦点は光源氏の帝位への接近
運命の人・藤壺との出会い

 桐壺更衣は有力な後見がなく、后妃の中で序列が低い更衣であったが、帝の寵愛を一身に集めていた。そのため周囲から激しい嫌がらせを受け( 呪詛も暗示される)、3歳の皇子を残して亡くなった。この皇子が桐壺帝の第2皇子にして、物語の主人公・光源氏である。

 第1皇子は、時の権力者である右大臣の娘・弘徽殿女御の子で、容貌、学才ともに光源氏に遠く及ばなかったが、祖父の強い後見のもと、東宮から帝への道を歩むことになる。

 一方、将来の軋轢を案じた桐壺帝は、第2皇子を臣下に下らせ、源の姓をもって生きる道を選ばせた。このように資質は圧倒的に優れているが、後見に恵まれない光源氏がいかに帝位に接近していくかが、第1部の焦点である。

 最愛の桐壺更衣を喪った帝は、更衣に生き写しという先帝の皇女を入内させた。運命の人・藤壺である。

 光源氏は母に似ていると聞く藤壺を慕った。やがてそれは強い恋情に変わり、光源氏は藤壺付き女房の王命婦に手引きを頼み、禁忌を犯す。光源氏が北山で藤壺の姪である幼い紫の上を垣間見したのは、藤壺への恋情に心が支配されている、まさにそのころだった。

藤壺と光源氏との間に生まれた冷泉帝
光源氏は内大臣、そして准太上天皇へ

 父・桐壺帝が隠居し(やがて亡くなる)、第1皇子が即位して朱雀帝となると、権力は右大臣方が独占し、光源氏は斜陽期に入る。藤壺は光源氏との間の皇子を生み、秘密を守るために、光源氏を近づけない。

 鬱屈した思いを抱えた光源氏は右大臣の娘・朧月夜との危険な恋に熱中するが、露見して、右大臣方は激怒し、光源氏は須磨へ退去する。その地で暴風雨に襲われ、故桐壺院の夢の啓示もあり、明石に移り、そこで明石の君と出会う。

 折しも都でも異変が続き、朱雀帝は眼病に苦しみ、右大臣も亡くなる。光源氏は都へ召喚され、朱雀帝は退位し、桐壺院と藤壺の間の子(本当は光源氏との子)である東宮が即位し、冷泉帝となる。光源氏は内大臣に昇進した。

 明石の君が娘を生み、やがてこの娘が今上帝の中宮(明石の中宮)となり、光源氏の外戚としての権力を支える。光源氏は六条院という大邸宅を建て、そこに紫の上をはじめ主要な妻達を住まわせた。

 冷泉帝は光源氏の補佐の下、理想的な政治を行ったが、天変地異が続き、藤壺も亡くなる。その後、冷泉帝は夜居の僧から、実の父が光源氏であるという出生の秘密を知る。驚いた冷泉帝は光源氏に譲位を持ち掛けるが、光源氏は固辞する。冷泉帝は、光源氏を准太上天皇(天皇に准ずる、物語固有の地位)の座につけ、光源氏の栄達はここに極まった。

月刊『歴史人』2月号より


最新号 月刊『歴史人』5月号

特集「日清・日露戦争 130年目の新解釈」

「眠れる獅子」と「大国ロシア」に、日本はいかに対峙したのか
・日本最初の対外戦争 日清戦争への道
・遼東半島を奪われた三国干渉の真実
・旅順口閉塞作戦でロシア艦隊を撃滅せよ!
・旅順要塞総攻撃と決死の二◯三高地攻略
・総兵力60万の日露両陸軍の大決戦 奉天の戦い
・日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅す!
・ポーツマス講和会議 終戦の舞台裏を暴く!

日本勝利のため、戦争の裏で活躍した男たちの物語 富国強兵に邁進した10年と日露戦争、日本陸軍の激闘から海軍の活躍、そして日本はいかにして 日露戦争を終結させたのか?ーーー日清戦争開戦から130年の記念号です。
好評連載「栗山英樹のレキシズム」第4回は、千田嘉博先生と語る 城の楽しみ方Part.2です!
歴史人スクープは、広島で今年1月に、発見された巨大な長者山城を徹底解説。 同じく周辺で見つかった城趾は『続日本紀』に記されていたが見つかっていない幻の城か?

『歴史人』(毎月6日発売)のご紹介
2010年創刊の歴史エンターテインメントマガジン・月刊『歴史人』(発行:株式会社ABCアーク)。
カラーイラストやCG、貴重な資料や図表などを豊富に使い、古代から近現代までの歴史を、毎号1テーマで大特集しています。執筆人はいずれも第一線で活躍している著名な歴史研究者や歴史作家。最新の歴史研究、そして歴史の魅力を全力で伝えます!