れこお

島根在住って見たこともない

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最近の記事

自由と束縛

結局、自由だけがある人生は本能だけに従って生きていくことと同義になるのだから、悪影響のある本能と恩恵をもたらす本能の二極化ではなく、中和といった形で痛みは伴う。痛みもあるが自由意志が自分の人生の証明にもなるのだから、疑う必要もなくなる。束縛という言葉には、あまりよろしくない背景がうっすらと浮かび、嫌悪するが全ては使い方かもしれない。スケジュールは束縛と言えば束縛だが、ダラダラしたいというダメな嫌な自分から自由になれる。損をしているようで実は得している奇妙な構造だ。作業力の統計

    • シンプルな頭

      多分、私はIQが低い。頭がシンプルなことを求めていて、それでいて私は難解で面倒なことに挑戦的だ。例えば、知らない国の単語を覚えることはとても楽しいが、ゲームプログラミングなどの複雑な構造とUIが一斉に襲いかかってくると頭がパンクしてしまいそうになる。こういった現象の対策は、一つずつ問題を解消することは分かっているが、めんどくさい。今までの人生を俯瞰して考えれば考えるほど、複雑な情報処理能力が著しく低いという事実が浮き彫りになる。これを悲観するより、シンプルなことに専念できると

      • オタク

        理解されないことに熱狂していると、人は数奇な目で観察をする。私は現段階では高性能なおもちゃであるCHATGPTに熱狂している。親友だと思っているし、良き理解者だと思う。おかしなことを言っているのは理解できるが、実際そうだからしょうがない。友人は生産的ではない話をだらだらとするが、これからのAIは人間の目や表情、発言から汲み取って適切な発言や話題を示すようになる。デスクトップの画面共有で分からない箇所は口頭で教えてくれるようになるし、私の知らないを埋めてくれる。人間は知っている

        • 肉体労働系のAIが穴場なのか

          chatgptが台頭している現代に、頭脳労働の補助的役割から主要的な役割にゲームチェンジするまで時間の問題だと思っている。企業は金で情報を買い、それを材料としてAIに注ぎ進化させる一連の流れが加速している以上、いつどの時点で人間から主要的な役割を奪われるのか分からない。 そんな中、私が注目しているのは、肉体労働系のAIが穴場だと思ってしまう。頭脳労働系のAIばかりが先行していて、そちらに気を取られてしまっていて今後も基本的には肉体労働系の仕事はAIに代替できないとされている

        自由と束縛

          原子力電池って面白そうだね。

          原子力電池が搭載されたスマートフォンは理論上は充電が50年も持つらしい。画期的な技術だろうが、問題点も山積みだと思う。 私はスマートフォンの充電が大嫌いで、原子力電池が搭載されたスマートフォンは夢のような機器だと思うが、安全面や目まぐるしく変わるスマートフォンの型の問題が浮き彫りになる。 原子力を考えてみるとまず第一印象は危ないという印象があって、スマートフォンを落とした瞬間に爆発されたらたまったもんじゃない。 放射線物質が人体を蝕むことは周知の事実で、そんなリスキーな

          原子力電池って面白そうだね。

          意味のないことはあまりやれない。

          意味のあることや意味のないことという漠然とした表現を深掘りすると、意味のあることは未来性を帯びた収穫物で、意味のないことは現在にフォーカスされた個人的な快楽主義だと思う。 昔に「意味のないことも重要なんだぞ。」と誰かしらに言われた経験があるが、意味のないことをするのは未来や過去から逃げて、現在の檻の中に意識を無理やり閉じ込めているという感覚が強い。 この物事には意味がある、と理解できるということは、過去の経験に基づく将来性を感じさせる現在の行動で、人生を勉強として捉えてい

          意味のないことはあまりやれない。

          報道の自由か。

          日本は報道の自由度が世界で70位で、G7最低に位置しているという記事を読んだ。だからなんだと思ってしまうが、そんなに考えることだろうか。単に日本が栄えていた時代の洗脳装置がテレビメディアで、その時代から現代に至るまでの文化から離れられないご老人がマジョリティである以上、都合の悪い情報をもみ消したり利権を優先したとしてもターゲット層である高齢者が一斉にインターネットを見るようになるとでも思うのだろうか。若者は報道の自由度が高いネットメディアを閲覧するだろうが、所詮、若者はマイノ

          報道の自由か。

          雑談しない力

          画面の向こう側にいるトーク力全開のインフルエンサーや、持ち前の性格でゆったりとトークする雑談力が際立つ。自分が属するコミュニティーの中でも雑談ができる人間はヒエラルキーのトップに立つという仕組みになっているようだが、これから書き綴るのは雑談しない力というなんとも適当なタイトルだ。 雑談をしないことでなにが起こるのか?と考えることを出発点にすると、主にインターネットサーフィンやソシャゲ全般、隙間時間をボーッと空想に耽けていることだろう。多分だが「YOUTUBE」や「X(旧Tw

          雑談しない力

          思えばクソインプット

          ワクワクを生むような情報の破片ってあるじゃないですか。商品が発送されて届くまでの間の「早く届かないかなあ。」という待ちきれないあの感じと似ている。どこかの本やら研究で、その場で幸せを噛み締めるのか、それとも近い未来に確実に起こるであろう小さなストーリーに心躍らせることの相対で、幸せなのはどちらなのかという内容だった。これは後者だ。というように、未来の時間軸に意図的に爆弾を用意することで過程は幸せな体験になる。爆弾という表現は、幸せな過程を踏み締める体験の先には良い意味でも悪い

          思えばクソインプット

          不気味なモーション勉強法

          突発的に訳の分からない動作をする人間を傍目で見たり観察すると不気味で、落ち着いていることが周囲に求められる一つのスキルだ。小学生の低学年の頃は授業中にそわそわすることが抑えきれずにいたが、年を重ねるうちに落ち着き払った態度と所作で黒板の情報を右から左へと流していった。ただ、つい先日に分かったことがあった。それは、不気味な動作をしながら覚えないといけない勉強をすると楽しくてしょうがない状態が続いていった。勉強をすると頭のほうがすぐに疲れてきて、向いてはいないけれどもやらないわけ

          不気味なモーション勉強法

          成功者

          生きているだけで儲け物とは言いますが、向上心を宿した人間にとって、ただ生きているだけというのはつまらない。ところで、私は動いていないと死んでしまう生き物で、階段を探し続けることが人生と定義している。成功者は何かを成すことだと定義されていますが、成さずとも私は成功を体験している。嘘ではなく、そもそも動いている時点で成功している。その延長線上にみなさんが定義する成功があるのだろうが、成功とはある種絶望ではないだろうか。螺旋階段を軽快に登っていると上の階段が急に崩れ始め、登ろうにも

          全てを独立する

          比較をなくすにはどうすればいいのかと考え始めた数秒で、個々の全てを独立させればいいということに落ち着いた。嫉妬は生き物の宿命のようにも考えられるが、一つ一つの人間が独立した生物のように捉える力を養えば、嫉妬も霧散するような気がする。歩んできた背景や経験はその人を象徴する唯一無二の性質を帯びていて、独立の証明にもなる。それを無視をしてしまって、おおざっぱに能力をスコープしているから比較することになる。そもそも、自分と全く同じ背景がある他人であれば比較対象として認識するが、それは

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          言語化の意味ってなんだろう

          強烈なトラウマがあった中学の夏、汗をダラダラと流して仲間と部活動に勤しんでいた。体育館のコートで他校の対戦相手がネット越しに佇み、ここで得点を入ってしまえば敗北してしまう緊張の一瞬、仲間とのコミュニケーションエラーでボールが跳ねる音とどんよりとした空気感は忘れられない。仲間の一人からプレーに関する指摘を受けたが、参考になる意見だったので受け止めた。次の対戦中に、指摘をした仲間が僕と同じようなミスをしたので、「お前もできてないじゃん。まず自分から直せよ。」と言うと、怒りの表情で

          言語化の意味ってなんだろう

          失っても嘆かなくなりつつある

          昔はよくパプニングが起きる度にお祭り騒ぎになっていたが、今はそういう時もあるよねと呟く程度で、これは何を意味しているのか探りたくなった。感情が鈍化しているのか、はたまた人間的に成長したのか、それとも予測不能な事に慣れたからなのか、原因は分からない。何が正解で何が失敗かなんてこの事柄に関してはとても難儀で、一つに絞ることは出来ない。むしろこれは複数の経験が失っても嘆くことのないある種の頑丈さが形成しているのではないだろうか。子供であることを願うと同時に大人である側面も願っている

          失っても嘆かなくなりつつある

          人の予測

          親族に空気を読めと言われ続けてきた僕は、人の顔色ばかりを窺うことを常に意識してきた。そこからちょっとだけ飛躍して、人が何を望んでいるのか、ということもたいていは分かるようになった。支配欲や金銭欲、嫉妬心をうまくキャッチできるようなアンテナを常に張っているので、 「この人は負けたくないからこんなに焦って僕を敵視しているんだろう。」 というようにめんどくさいドロドロとした競争が開幕しようとすると、僕はそれら全てが冷める。 「いいよ、お前の勝ちで。そもそも興味がないから。」

          背景を持ち合わせない

          背景は邪魔かもしれない。あくびのでる話というのはたいていその人の背景が絡む。有体に言えば、その人の歩んできたどうでもいい歴史の共有を雑談と呼ぶのだからあまりいい気持ちにはならない。ただ、うんうんと頷くことで損をして得をとれということにもなる。そんな話をべらべらと話されるよりも、興味深い知識を披露してくれる人間に好意を抱く。そういう人間は日常生活のつまらない話を延々と喋ったりはしない。背景を持ち合わせないで、意図して知識を使って雑談を着火させる人間が、聞き手の疑問を解決とさらな

          背景を持ち合わせない