本質の才能はマニュアルの外にある

今日はSalon Relaにずっと憧れていたライターさんをお招きしてお話をお伺いした。

自分の中のエネルギーも整え、
部屋の掃除を終えた後、
生玄米パンをお焼きして、
パンのお供の生玄米レモンムースも器に盛ってスタンバイ。

今朝焼いた生玄米パン
スライスした生玄米パンに生玄米レモンムースを添えて。

アクセスバーズのクラスでお会いした時の雰囲気は
キリッとした黒のお召し物を着ていたせいか、
クールで白黒はっきりしたニューヨーカーのような印象。

半年後の今日、久しぶりにお会いしてみたら、
ハワイのオアフ島のカフェで待ち合わせしたかのような錯覚に陥るほど、
髪型もメイクもファッションも表情もエネルギーも何もかも、
リラックスした柔らかい雰囲気に変わっていた。

サロンにお招きして話してみたら、
真っ白いコットンタオルで包み込まれるような柔らかさと包容力、
大地にどっしり根ざしたグラウンディングのエネルギー、
静かで落ち着いた語り口調、
温かくも鋭い眼光。

オーラが大きい!

どこにいても目立ってしまう人、
指導者になってしまう人の特徴とも言える。

1年ほど前からWebライティングのオンラインスクールに申し込み、
ライティングのイロハについて学んでいたものの、
いまいち自分に一致せず、宙ぶらりんになっていた私は、
ここぞとばかりに質問を投げかけた。

どんな思いでライターをしているのか、
読者にどんな思いを届けたくてライティングをしているのか、など、
聞きたいことを一つずつ聞いていった。

ど素人の私の質問に一つずつ丁寧に答えてくれる過程で
「え、ちょっと待って、それって、、、?」
と思わず話の腰を折ってまで聞きたくなるポイントがたくさんある。

話が途中で脱線してしまい、
なかなか最後まで辿り着かないまま、
気がつけば夕方5時の鐘が鳴り、
4時間近く話し込んでいた。

質問への答えの随所随所に、
彼女の人間性が見事に現れていて、
その人間性がいわゆる世間一般の常識とはかけ離れていて、
思わず目を丸くして椅子に仰け反る場面が何度もあった。

つまりそれだけ私自身が社会の一般常識に合わせて生きてきたということの証でも
ある。

中でも一番驚いたのが、プロのライターだけどライターのスクールに通ったことがないということ。

そして、最初の取材ライターの仕事が芸能人で、
しかも、下調べも何もしないで臨み、
且つ、用意した質問に即してインタビューするのではなく、
インタビュー項目を網羅した雑談をして、
結果的にインタビュー項目を満たして終わる独自のやり方をしていること。

ライティングスクールで、取材ライターが芸能人などの大型案件を受注するにはコツコツした下積みが必要と聞いていたので、初受注案件が芸能人なんて、まさに
「そんな人いるの?」状態だった。引き寄せ力が強いというか、波動そのものが強いというか。

そして、AIライターのアプリが発達する中、ライターの仕事が減っていくのではないか、との疑問に「それはない」とキッパリ断言された姿にチャキチャキの江戸っ子のような潔さを感じた。

私が仰け反るたびに「ハハハ」と軽快に、でも、安定したトーンで静かに笑う彼女を見ると、取材ライターに必要なのは人間力なのだ、と確信した。

「この人にならなぜか話せてしまう」
「この人には自分を取り繕ったりしなくてもいい」
「この人には包み隠さず話してもいい」

そう思わせる人間力だ。

取材ライターは人あってのライティングだからこそ、
人の心を解きほぐして大きく開かせる人間力がモノを言う。

そこにライティングスクールで習うようなマニュアル的なテクニックは通用しない。

だって、相手は生身のいのちなんだもの。

軽く脳みそにパンチを当てがったようなショックを受けながら、
「ライティングスクールで習うような知識や情報はあまり必要ないと思いますよ」
との一言に
「うーん」
と唸らざるを得ない自分がいた。

そして今、私は、ライティングスクールのマニュアルを学習する代わりに
このnoteを書いている。

人を最後の一文字まで惹きつけて捉える記事の最大のポイントは何か。

それは、技術でもなく情報でもなく知識でもなく

情熱。

この言葉もズドーンと来た。

「これについて書きたい!」
「これを人に伝えたい!」

と言う情熱が今の私にあるか?

正直に言うと、ない。

でも、書きたい。

今の私には、書くことそのものに意味がある気がしてならない。

だから、書く。

とにかく書くことに決めた。

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