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仕事…また辞めてしまった…

引き続きお読みになっていただきありがとうございます。


見えない世界に足をつっこんだものの、その時点で無職のため、スマホを開くといつも(いい求人ないかなぁ)と探していました。


最後に仕事をしていたのはスピリチュアルに足をつっこむ、4ヶ月前でした。その仕事の最後は、悲惨なもので体調を崩して職場に行く事が出来くなったのでした。


派遣会社に就職していたのですが、どーしても前職を辞めたくて逃げ出すために選んで決めた仕事でした。前職は自分の過大な自己評価と思い込みで始めた仕事でした。


保険の営業です。

おいおい いくつ仕事が出てくるんだ?よくわかんないぞ!とお思いでしょうが、自立をしようと決めて、主婦時間でできる、パートを辞めてから、どんどん悪い方、悪い方に転がっていき そこから短いスパンでいくつもの仕事を経験することになります。

解決するには離婚!離婚するには自立!そんな考えから正社員で仕事をしよう!という 正解でしかないと思う道筋を選び、パートから仕事を変え正社員になりました。

ところが!!ここから だんだん家庭の、そして自分自身の綻びが目立ち始めるようになったのです…


よし、もう安泰だ!と思った その正社員の仕事も長く続かずに、辞めたと同時ぐらいに そのままコロナ禍になり緊急事態宣言…そしてコロナもやや落ち着いてからの 保険の営業の仕事でした。

自分で言うのもなんですが、おしゃべり好きだし、人当たりもいいし、これは〜、向いてる方ではないか?と、ルンルンで飛び込んだのです。


保険の営業に飛び込んでみようと思ったきっかけは、緊急事態宣言下、たまたま聞いていたラジオで「お金の勉強をしよう」というテーマで募集がありました。時間もあるし 興味もかなりあるし…、お金…ムフフなんて妄想が広がっていました。


さっそく申し込みをしたところ、定員200名様の枠に当選しそのイベントに行けることになりました。それはローカルラジオ局のお金をテーマにしたラジオ番組での企画で、オシャレなレストランで開催されるマネーイベントでした。


自分に興味のある条件がいくつも重なり、その日をすごく楽しみにしていました。

ここで勘のいい方なら、あ〜、行っちゃったのね〜(笑)っていう話なのですが…。そういう事だったのかぁ、って今なら分かりますが、そのイベントで登壇されるファイナンシャルプランナー軍団が お宅のマネープランにかかわり、その流れで保険も申し込んでくれたらとっても嬉しいなぁ〜🎵っていう、大前提のイベントだったのです。


もう少し世間を知っていれば参加しなかったかもしれませんが、世間知らずの私は そのイベントでお金の増やし方についての講義にふむふむと真剣になり、その一方で「現在がん患者は2人にひとり、今目の前でおしゃべりしてる相手か自分のどちらかはがんになる時代ですよ〜!」なんて聞いたのものだから、話を聞いた後に しっかり3つも保険の契約をしてしまっていました(笑笑)

離婚も視野に入れていた私は、将来これがあれば何があっても もう心配ないわ〜🎵とホクホクで、すっかりファイナンシャルプランナーさんを頼りにしていました。(ひとつは辞めましたが、2つは今でも続けていますよ🎵その時提案してくれ良かったと思っています)

その、ファイナンシャルプランナーの知識と人当たりの良さをみて、私もそういう方向もいいな と思い、つい保険の扉を叩いてみることにしたんです。

これは私の担当してくれた人柄の良さが魅力的だったんでしょうね、ファイナンシャルプランナーという仕事、というのがとても魅力的に見えたような錯覚をしてしまっていました。

そーやって 飛び込んでみたのはいいけれど、蓋を開けてみてびっくり!!自分自身は ひとつも保険を契約してもらう事ができないんです!

自分でも、いや〜こんなはずでは…と、内心 毎日がヒヤヒヤしていました。 入社して3ヶ月になろうとしてる頃から、これは間違えたのでは?と、思い始め、そこから気持ちの軌道修正が出来ずに、毎日眠れない日が続くようになりました。気持ちを切り替えて 前向きに仕事に向き合う事もできたはずなのに、契約の取れないことに、自分自身を責めてしまっていました。それから 先輩達の励ましも かなりあり、そしていつか気持ちが切り替わる時がくるのでは?と自分に 糸のように細い期待をいだきながらまた3ヶ月が過ぎようとしていました。


ある日 営業先でコロナ対策のためのアクリルパーテーションに映り込む自分の姿を見て、ハッとしました。アクリルのパーテーションなので、自分の姿がハッキリ映るはずもないのに、目の下や頬に見たこともない影が映り込んでいて、まるで別人でした。


ずっと細い細い気力だけで動いていたのでしょう、カラダも心も悲鳴をあげていました。辞める決意をしました。


そう思ったら行動は早く、営業所の所長に退職の意を伝えました。しかし、所長の自己都合に押し切られ、年内に辞めることができず、年があけて、次の仕事が決まったことを既成事実に、やっとそこを離れる事が出来ました。

今思えば、自分自身で過大な期待し、首をしめていたなと思います。営業所の先輩達も、とても親切で親身でした。それに何故か、ひとつもやる気がない、契約も取れない、保険内容の覚えも悪い私に期待をしててくれて…自分の中では、人間関係でとても居心地のいい職場でした。


自分自身の綻びは、自分が自分自身を苦しめているという事を体験として、しっかりと教えてくれていました。

だけど私は、大切なことをひとつも学びもせずに、休む間もなく 次の仕事へと向かうとしていました。

お読みになっていただきありがとうございます。


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