ひま

【いつか来る春のために】㉜ 加奈子の想い出編⓬  黒田 勇吾

 あなたのお母さんはその後も雪が降る日も風が強い日も毎日、私の父やお兄さんに付き添わられながらあなたを捜していたのよ。そしてお母さんはやがて過労で倒れて一週間古川の病院に入院して叔父さんの家に帰ってきたときには、お母さんに抱きついて二人で泣いたわ。それが三月の終わりの頃、正確な日にちは今は思い出せない。
 そしてうちの両親とお母さんの判断でいったんあなたの捜査は中断することになった。あとは自衛隊や潜水の専門の方にお願いしようと決めたの。隆ちゃん、ごめんなさい。あの時はそうするしかなかったの。
 隆ちゃん、私があなたを捜せなくてごめんね。
 隆ちゃん、最後まで見つけられなくてごめんね。
 隆ちゃん、寒く冷たい思いをさせてごめんね。

 四月になり、五月になり、六月になりあなたの子供がお腹の中で大きくなるに従い、私の心は必ず丈夫な子供を産むという決意でいっぱいになっていった。それが私が今しなければならない最大の責務になっていった。暑い夏が終わり、秋風が涼やかになった満月の夜、私はあなたの子供を産みました。3216グラムの産声は、心なしかあなたの声に似てましたよ。大きな、優しい声でした。
 一番喜んだのはあなたのお母さん。この子に生きる希望を見出したのよ。自身のただ一人の孫だもの、当然だと思うし、そして私にとっても光太郎は生きる希望になりました。でもお母さんはその前に、別の希望をすでに見つけていたの。何度も南風町に通っていたお母さんが、六月のある日私に言ったわ。
 加奈子さん、今日もあの生徒さんの自宅跡に行ったら、そこに一つの花の芽が生えていたの、なんだと思うって私に聞いてきた。え、お母さん何のお花ですかって私が訊ねたら、にこにこ笑ってお母さんは言ったわ、向日葵よって。まだこんなに小さいけどあれは間違いなく向日葵。隆行の好きだった花。そう言って笑いながらお母さんは涙を流していたのよ。あなたが助けに向かった教え子の自宅跡に向日葵が芽生えているのを見つけたのって。お母さんはそれからほぼ毎日向日葵に肥料と水遣りに通ったのよ。そして私に毎日その成長の様子を伝えてくれたの。私は向日葵のことを話すときのお母さんの喜びの顔が、何よりうれしかった。お母さんの笑顔があなたの思い出の笑顔と重なって、ずいぶん勇気をいただいたのよ、隆ちゃん。
 夏になってそのたった一輪の向日葵が咲いたとき、次の日私たち家族みんなで見に行ったの。暑い日だったけど、隆ちゃんとお母さんの絆であるその花は青空の下で黄金の輝きを放って咲いていた。周りは一面雑草地。その中で向日葵は空に向かって立派に背を伸ばしていました。私は嬉しかった。まるであなたがここで元気にしているから心配ないよと私に話しかけているようだった。そして私はお母さんに言った。お母さん、よくここまで育てられましたね。隆ちゃんも喜んでいると思います。私も隆ちゃんの子供をしっかり産みます。どうかこちらのお世話もよろしくお願いしますって。お母さんはにっこり頷いてた。
 そして九月のはじめにそのひまわりの種を採取して乾燥させて、私にその中から25粒くれた。あなたの年齢の数よ。これを大事にしてね、どうするかはあなたに任せるからって。今この手紙と一緒にその種を封筒に入れてあなたに届けますから、そちらで大事に育ててください。きっと大輪の花が咲くのでしょうね。25輪の世話は大変だけど、向日葵博士の隆ちゃんなら大丈夫ね。

            ~~㉝へつづく~~

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