見出し画像

【いつか来る春のために】❾ 三人の家族編 ⑧ 黒田 勇吾

「へえ、そうなの。なんか強そうに見えるけどねぇ」美知恵はそう言って台所に立った。
「加奈子さん、光太郎はベッドに寝たのね。そしたらあなたも今日は少しお酒飲みましょう」と美知恵が誘った。「あとは今日はミルクにして、母乳は終わりにしましょう。たまにはあなたも気分転換しないとね」
「お母さん、ありがとうね。じゃあ、一杯だけおつきあい」と言って加奈子も炬燵に座った。
「子供が生まれると、お酒もしばらく飲めないから加奈子さん、たいへんだね。うちの妻が昔そうだったなぁ」と言って鈴ちゃんは黙った。何かを思い出してるような遠くを見るような表情になった。
 美知恵はそんな鈴ちゃんの表情を見ながら、
「まずは一杯。少し熱めだから気を付けて」と言って徳利から鈴ちゃんのおちょこに酒をそっと注いだ。美知恵は加奈子にも注いであげてみんなで乾杯をした。鈴ちゃんはおちょこを頭の上まであげると、いただきます、と言ってゆっくりと酒を口に入れた。そしてにっこりと笑って、甘口最高、と目を細めた。酒が気に入ったらしかった。酒は地酒で、以前賞もとったことがある。美知恵は鈴ちゃんに牡蠣鍋を勧めながら、
「しかし鈴ちゃんも偉いね。月謝もいただかないで中学生たちに一生懸命教えてるんだもんねぇ。なかなかできない事だべさ」と褒めたたえた。鈴ちゃんは左手を振って、
「いやいや、月謝を払わないというのは厳密に言ってちょっと違いますよ。もちろん子供たちからは一銭もいただいてないけど、あの塾をサポートしているNPO法人から指導料として支援金の一部から毎月頂いてますよ、もちろん大きな額ではないけど。でもそれは大変ありがたいことです。それに自分でもネット関係で仕事をしていてそちらの収入も多少あるので、何とか生活できてるって感じかな。全国の支援者の皆さんがさまざまな物資を送っていただいてますのでそれにもほんとうに感謝ですよね。でも何より子供たちと一緒に勉強できることが何より心安らぐんですよね」鈴ちゃんは牡蠣鍋の牡蠣や白菜を小皿に盛りながら微笑んだ。
「鈴ちゃんは震災前から塾をやってたって聞いたんですけど」加奈子が訊いた。鈴ちゃんはその質問にあいまいに頷きながら何を話そうか、どうしようか迷っている表情を見せた。
 美知恵は鈴ちゃんに日頃の疲れを癒してもらおうとそれだけを思って今日は康夫おじさんと一緒に鍋に誘ったのだが、おじさんが先に帰ってしまったのでどんな話をしていいか少々戸惑っていた。しかし意を決したように美知恵は訊いてみた。
「確か前に聞いたことあるけど鈴ちゃんは渡山に自宅があったんだよね。ご自宅で塾をやってたんですか」
「そう。自宅の一階が教室で二階が住まいだった。なんか随分前のようだけどまだ一年経っていないんだよなぁ」と言ってからまた黙り込んだ。そしてまた牡蠣鍋を黙々と食べ始めた。美知恵はその表情を見てやっぱり震災の頃の話を尋ねるべきではなかったと後悔した。
「鈴ちゃんごめんね。なんか話したくないことを聞いたりして。そうだ、今日の子供たちの様子を聞かせてよ。男の子と女の子とどっちが多いの」美知恵は話題を変えようとしながら鈴ちゃんにお酌をした。鈴ちゃんは、どうもありがとう、と呟いてからグッとおちょこをあおった。そしてバンダナを締め直して、にこっと笑った。

           ~~➓へつづく~~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?